[3540]今度のNHKの大河ドラマはヒド過ぎる。それと過去の60年間のNHK大河のこと。

副島隆彦 投稿日:2023/04/26 02:54

副島隆彦です。今日は、2023年4月25日(火)です。ああ、もう、26日(水)だ。

 以下の文は、私が、2日前の 23日(日曜日)に書いた文だ。
午後6時半ごろ、NHKBSで 今年のNHKの大河ドラマ の 1日遅れの再放送の分の 「どうする 家康」を、私は、たまたま初めて見た。たった30分だけ見た。それで十分に判定が付いた。 いやー、酷(ひど)い。

 こんな、ヒドい作りの、NHK大河(歴史もの)ドラマ番組を、私は、生まれて初めて見た。呆(あき)れ返ったよ。

 この回は、1570(元亀1)年4月の 織田信長の、朝倉義景(あさくらよしかげ。越前=今の福井県 の 戦国大名)を攻めた時のことを扱っていた。この時の、信長と、家来の家康のそれぞれの陣中の様子だった。ヒドい作りだ。

 これでは、NHKの歴史もの作り陣(部署)への、風当たりが強まって、すでに 非難 囂々(ごうごう)が、沸き起こっているはずだ。もう4月も終わりだ。どうして、まだ「コラー、NHK。 こんな歴史ドラマを作るな―。受信料、返せー」の嵐が起きていないのか、私、副島隆彦には不思議でならない。

 このあと、信長は、自分の妹のお市の方が嫁いでいた浅井長政(小谷城主。近江半国の大名)の裏切りで、挟み撃ちに遭いそうになったので、京都に、一旦、逃げ帰った。

 これが、有名な信長の ” 金(かね)ヶ崎(城)の退き口(のきぐち)” 、1570(元亀1)年4月だ。金ヶ崎城は今の福井県の敦賀市(つるがし)だ。ここで信長は、挟み撃ちに気づいた。

 これは、天下人(てんかびと)に成り始めの、信長にとって、初めての命がけの退却、退(の)き陣であった。この時、木下藤吉郎が、尻払(しっぱら)い、殿軍(でんぐん)で、しんがり、とも言うが、一番、最後に退却した。

 木下藤吉郎(このあと羽柴秀吉だ。のちの太閤さまだ )は、背後から追いかけて来る、敵の追撃を防ぎながら、朝倉、浅井の連合軍に、自分の手兵の部下の多くを死なせながら、京都まで逃げ延びて来た。自分と周りの共の者たちだけが、生き延びた。その時いた主要な部下たちは、ほとんど死んだだろう。軍隊は、幹部たちでも使い捨てだ。秀吉は、この時、信長から褒(ほ)められた。

 信長は、このあとすぐに岐阜に戻り、一気に 討(う)っ手(て)返して(反転攻勢して)、早くも2か月後の6月には、この両軍を、琵琶湖の東岸の姉川(あねかわ)の合戦で破った。それでも、このあと3年かけて、ようやく1573年8月に、浅倉義景(よしかげ)を、一乗谷(いちじょうだに)城で破り、戻って浅井長政を、小谷(おだに)城で、打ち破って敗死させた。

 長政に嫁いでいた、お市の方は、兄の信長の下に、無事、連れ帰された。この時、3人の娘も、助け出された。長女が、お茶茶(のちの淀君、よどぎみ)で妹のお江(えよ。豪姫=ごうひめ=、2代将軍、徳川秀忠 の正室。歴史で 重要な女性 )だ。
お市の方は、このあと、重臣の柴田勝家(しばたかついえ)に下げ渡され、再婚した。夫婦仲はよかったが、信長が死んだあと、越前の国の大名になっていた柴田勝家(権六、ごんろく)が、秀吉に、攻められて、お市と共に、越前の北の庄城(きたのしょう)城(今の福井市の福井城)で自害した。

  ここからが、大事だ。今の今でも 徹底的に、びっしりと、ひた隠しに、隠されている、この500年間の日本史の真実がある。 この時の、家康は、本当は、信長によって、三河大名(みかわだいみょう)の松平元康(まつだいらもとやす。岡崎城主)が、暗殺されて、今川義元との2重スパイだった、喇叭(らっぱ。戦場忍者)によって、摺り替えられた。

 1561(永禄5)年1月の、信長と家康の ×清州同盟(きよすどうめい)などと、歴史学者たちよ、よくも、ウソを言い(書き)続けるものだ。信長と家康が、対等の関係であるわけがない。家康は、このときはっきりと、信長の家臣団の武将のひとりになったのだ。

それから9年後(1570年4月から)が、朝倉、浅井攻めであるから、家康は、完全に信長の家来だ。
 
 1561年1月の名古屋の 清州城(信長の本拠)での対面 では、信長が、這い蹲(はいつくば)る家康に向かって、「おお、お前は、よくもまんまと三河大名に摩り替ったな。誉めてやろうぞ 」と言った、顔見世の、改めての主従の誓い(固めの杯、さかづき)だ。信長は、部下たちに甘い態度は見せない。 

 この時、清州城に入ろうとした、松平元康(に摩り替った男)を、城門の外に集まって見ていた民衆の中から、「あのお方は、松平元康どのではないぞ。別人じゃ」と、声が上がって、騒ぎになった。このとき、本多忠勝(ほんだただかつ)が、「黙れ、黙れ。下郎ども、解散せよ」と追い払った、という伝えが、文書(もんじょ)に残っている。

あれこれ、真実は、この500年間の間に、露見している。
今の今でも、東大教授に、ひとり、『徳川実記(とくがわじっき)』という、ウソで塗り固めた、虚偽の 家康像を、守り抜く係の者がいる。 東大の国史(こくし)科の教授で、お東大・史料編纂所(しりょうへんさんじょ)の教授でもある。 
徳川公爵(こうしゃく)家としては、今の今でも、真実の家康もまた、下層民から這い上がった人間だ、という真実が、日本国民に、バレたら(露呈したら)、まずい、という判断。いい加減にしろ。

私は、上記の、自分の本で、 松平元康の正室の、瀬名姫(せなひめ。築山殿=つきやまどの=)と、息子の、信康(のぶやす)が、 摩り替った家康によって、18年後に、惨殺されたことも、書いている。本当の、本当のことを知りたかった、私の本を読みなさい。

そんな、、自分の頭がおかしくなるそうなことを、今頃、言われても、困ります。ただでさえ難(むずか)しそうな本を読むのは、苦手です。そんな生活の余裕が、自分には、ありません。という人は、私は、放(ほお)っておく。 これ以上の、説得(せっとく)は、出来ない。私は、誠心誠意、どこまでも真面目に、本当の。知識と思想と言論の力で、この国に、大きな真実を、浮かび上がらせる。

 家康が摩り替った、その1年前が、桶狭間の戦いだ。 1560(永禄3)年5月に、尾張に越境(境川=さかいがわ=が今もある。代々、忍者の家系である水野氏の領地だ )してきた、今川義元は、桶狭間の戦いで、待ち構えていて奇襲をかけた、信長によって、横っ腹から突かれて、敗れた。

 その翌年、義元の先陣(最前線の突撃隊長 格)だった、三河大名、松平元康 (まつだいら・もとやす)は、桶狭間のそばの丸根、大鷹(おおたか)砦から、居城の岡崎城に、急いで逃げ帰って立て籠もっていた。「これから、俺たちはどうしたものか」と、松平の家臣団と、主従で深刻に考え込んでいた。

 その岡崎城に、1年後に、「息子の信康=のぶやす=2歳」殿を、助け出して参ったぞー。城門をお開けてくだされー」と、松平信康( このあと20歳まで城主。そして、殺された。幼児から三河大名になっていた )を、 この戦場忍者は、息子を生きて連れて来たことを口実にして、岡崎城に、まんまと入り込んだ。そして三河大名(みかわだいみょう)松平元康(まつだいらもとやす)を、城中で隙(すき)を見て、殺して摩り替った。 本名を、世良田元信(せらだもとのぶ)と言う。父親は、上州の世良田村の出身だ。同じく、戦場のヤクザ者だ。

 この男 が、このあと、コロコロと、家康に変名し、そして、徳川に変名した。すべて信長が、京都の藤原摂関(せっかん)家の “氏(うじ)の長者”で、左大臣の藤原前久(まえひさ)に働き掛けて、朝廷から新しい名前を貰ってやったのだ。 信長は、これで、自分の 東海道の東の守りを、自分の腹心の戦場忍者(間諜、願人坊主)上がりで固めた。自分の東側の憂いを無くした。

 私、副島隆彦が、三河大名(みかわだいみょう)松平元康、と書くと、日本の歴史学者たちと、NHK好みの歴史評論家の連中は、震え上がる。 有名人で、売れっ子の、今や、日本の筆頭の、若手歴史学者の磯田道史(いそだみちふみ)は、馬鹿でなければ、かつ、私、副島隆彦の書く、真実の 日本史の 戦国時代もの、を知っているだろうから、顔を顰(しか)めるだけなのか?  おい、磯田よ。

 私、副島隆彦を、お前たち程度 の、「歴史が動いた」とかのNHKBSの 番組に、呼べ。そうしたら、大きな真実を、たくさん、教えてやる。バカでなければ、お前らは、揃(そろ)って、私、副島隆彦の本 

 『 信長は、イエズス会に爆殺され、家康は、(忍者だったのだが、松平元康に)摩り替った』( PHP研究所、2013年刊) (ここで、この本の、アマゾンのリンクを貼る)

信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた

 を、読んでいるだろう。そして、この本が、日本史への核爆弾級の破壊的な、真実暴きの攻撃だと分かっている。歴史の専門家なのだから。私のこの本が、日本史の分野でも、どうせ、時間をかけて、このあと数十年かけて、作り変える。 このことを、私、副島隆彦は、腹の底から分かっている。

 織田信長が尾張大名だ、それでは、三河大名は、居るだろう、誰(だーれ)だ? と 、私、副島隆彦が、聞くと、歴史研究を真面目にやっている者たちなら、蒼褪(あおざ)める。

 なぜなら、尾張と三河で、それで今の愛知県なのだ。 今、三河に住んでいる愛知県の東部(尾張名古屋よりも面積が倍ぐらい広い)の人たちも、そろそろ、真剣に考えなさいね。

 自分たちの体に流れている、その血の中の、真実を。500年前の、ご先祖さまたちの亡霊、怨霊に囁(ささや)かれて、思い出しなさい。
以上が、副島隆彦が、暴き立て続けている、日本史の戦国時代の、大きな、真実だ。 

 この作業は、このあとは、名古屋在住の、私の弟子の松永知彦(まつながともひこ)君が、 徹底的に、細かい証拠と共に、真実の歴史研究として、暦年のウソつきのNHKと歴史学者たちに、さらに真実を突き付ける。「そういう説もあるよね」などと、逃げを打たれるものか。お前たちの、その 歪んだ虚偽(きょぎ)歴史家たちの、息の根を止めてやる。真実というものの、恐ろしさを、十分に思い知らせてやる。 

 お前たちは、知識人のくせに、ウソつきだから、反省して、自分の本心をそろそろ書かないと、自分の業績までも歴史の藻屑となって消えるぞ。

 ところが、こういう戦国時代の、信長、秀吉(彼は、素性が、すべて暴かれている。徳川時代に。中村 = 今のJR名古屋駅の辺り = の湿地帯の 下層民の出。名古屋の人は皆、この真実を、知っている。中村区は、ついこの間まで、ブタと牛の品評会をやっていた場所だ )、家康の3人の、「おみゃーさんよー。・・してちょーよ。たー(わ)けー。本当は、クソ田分けー 」まで、名古屋弁では言う。この地域から出てきて、名古屋一体の生産力の高さを背景に、日本の権力者にまで成り上がった、この3人の男の生きた、当時たった合計50年間の真実を、私たち日本国民のすべてが、知るべきだ。

 私、副島隆彦の本の愛読者だったら、そろそろ、上記の、『信長はイエズス会に爆殺され‥・ 』本を、真剣に読みなさい。そんな人生時間の余裕が自分にはない、それに、そんなに自分は、頭が良くない、と言う人は、それならそれでいい。私も、あまりにも、「私の本を読め、読め」と、私の書いていることを信じてくれる人たちにまで、しつこく言うのが、イヤなのだ。

ところが、今度の、NHK大河の作り は、あまりにヒドい。
 
 家康と周りの家臣団の描き方が最低だ。 ジャニーズの嵐の、カっちゃんだか、ミーちゃんだか知らないが。 美人のテレビ女優の 北川景子のゴハンの食べ方が、下品極まりない(いいとこのお嬢さんの出なのに)と、皆、知っている。この女優まで含めて、全く、ガキの集まりの俳優たちで、ガキの演出だ。よくも、こういうジャリたれ(ント)を集めたものだ。 若い俳優たちを使わないと、視聴率が上がらないので、人気が出ないのは、困るので。とか、いい加減にしろ。私は、怒った。

 あのなあ、全国の、じいさん、ばあさんで、歴史好きの人たちを、ここまで、がっかりさせるとな、あとが怖いぞ。 NHKも、経年劣化で、潰(つぶ)れかかっていて、内部は腐敗(ふはい)と堕落(だらく)が、酷(ひど)くて、大変なんですよ、と、屹度(きっと)言い合っているだろう。

 これは、私だけの、今度のNHK大河 への思い付きの怒りでないことが、以下の週刊誌記事で分かる。 

(転載貼り付け始め)

〇 「どうする家康」で感じる大河ドラマの難しさ  豪華キャスト、売れっ子脚本家起用で見えるNHKの思惑 」

2023年4/23(日)  デイリー新潮編集部  新潮社

 4月16日のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、前週が 統一地方選挙の開票特番だったため2週間ぶりの放送だった。この日の 第14話「金ヶ崎でどうする!」は、いわゆる“金ヶ崎の退き口”を 描いた織田信長(岡田准一)の退却劇。 徳川家康(松本潤)はもちろん後の豊臣秀吉(ムロツヨシ)も登場する戦国三英傑の揃い踏みで、見所も多かった。もっとも、視聴率はいまひとつで……。

【写真を見る】見てるこちらも笑ってしまう 「北川景子」渾身の変顔  

 ところが、4月16日の視聴率は、世帯11・4% だった (ビデオリサーチ調べ、関東地区:以下同)。 世帯視聴率20%超 が当たり前だった大河が、いまや二桁がやっとだ。

 民放プロデューサーは言う。 「これまでの大河は、いわば中高年向けの時代劇でした。お金をかけた重厚な作りがウリで、1963年の第1作『花の生涯』は尾上松緑(おのえしょうろく)が、幕末の大老・井伊直弼(いいなおすけ) を演じて、平均視聴率20・2%。第2作『赤穂浪士』は、長谷川一夫 が主演で、平均31・9%、最高53・0%を記録。

 その後もほとんどが歴史上の人物を描いていて、87年の『独眼竜(どくがんきゅう)政宗』(主演・渡辺謙)では平均39・7%という大記録を打ち立てた。平均20%を超えた最後は、2009年に妻夫木聡 が上杉家の家老・直江兼続(なおえかねつぐ)を演じた『天地人』の21・2%でした」  

 このあと 15年近く20%超はなく、19年に明治から昭和を描いた「いだてん~東京オリムピック噺~」(主演・中村勘九郎、阿部サダヲ)は、遂に平均8・2%(の最低)を記録した。

「大河のみならず『紅白歌合戦』など看板番組がことごとく数字を落としていることに、NHKは危機感を抱いています。高齢世代がメイン視聴者層のNHKとしては、なかなか受信料を払ってもらえない若い世代に番組を見てもらい理解を得ることが最重要課題となった」  NHKの番組は大きく変わった。

若者迎合  「『紅白』は大御所の演歌歌手に代わって若手アーティストを出場させ、『ガッテン!』などの長寿番組も相次いで打ち切り。また、午後11時台に“若年層向けゾーン”を設け、ドラマを放送。もちろん大河も若年層をターゲットに変えた。

『どうする家康』の主演は、嵐(あらし)の活動休止後も人気が衰えない松本潤。女優陣も有村架純や北川景子など民放連ドラの主演級を揃え、脚本にはフジテレビの『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』で知られる古沢良太 を起用した。

タイトルバックも今風にしてCGも多用。まさに不退転の布陣で挑んだ」  大河ドラマとしての出来が良くないか。 「作品のクオリティが低いわけではないと思います 」  今回の“金ヶ崎の退き口”は、1570年(元亀元年)、織田・徳川の連合軍が越前(福井県)の朝倉家を討ちに行ったが、信長の妹・お市(北川景子)の夫である 浅井長政(大貫勇輔)の裏切りに遭い、挟み撃ちを避けて撤退した。

 時代劇としては、お市が袋(ふくろ)の両端を縛った小豆(あずき)を兄の信長に贈ったことで、挟み撃ちを知らせるというのが通例だ。ところが、脚本の古沢は大きくアレンジして見せた。

北川景子の変顔も 「お市は最初、小豆袋を兵士に託したが、それが捕まった。次いで侍女の阿月(伊東蒼)が夜通し走って、家康に『おひき候へ(逃げろ)』という言葉を伝えて息を引き取るという設定に。 伊東は子役出身の17歳で今後の活躍が期待されますが、彼女が走る間にはお市との回想シーンが入り、北川との変顔対決シーンを盛り込むなど現代ドラマ的な要素もありました」

 ところが、11%台だった。 「昨年の『鎌倉殿の13人』と同時期の視聴率を比べてみる。22年4月17日放送の第15話『足固めの儀式』の視聴率は、世帯12・9% 」 ・・・ 問題は視聴者層だという。

 視聴者層は変わらず 「視聴率が落ちても、若者層が見てくれればNHKの目的は達せられる。ところがコア層(13~49歳の男女)で見ると、『鎌倉殿』は3・0%だったが、『家康』は2・5%に落とした。松潤ファンが多いF2層(35~49歳の女性)も、3・6%から3・2%へと落とした。 F1層(20~34歳の女性)、M1層(20~34歳の男性)ともに1%台で見向きもされていない。

一方、F3層(50歳以上の女性)とM3層(50歳以上の男性)は、昨年より若干落ちてはいるものの二桁をキープ。結局、出演者や内容を若者向けに変えても、うまくいかないということだ」

 こんなに頑張っているのに、なぜ見てもらえないのだろう。 「放送の翌日、“ねぇねぇ、昨日の『どうする家康』見た?”と友達や知人に話したくなる内容がまったくない。 2022年10月期の『silent』(フジ) や 今年1月期の『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ)にはそれが満載だった。共有できる生活感も多かった」

 「“金ケ崎の退き口”のアレンジなんて若い人は話題にしない。小豆袋(あずきぶくろ)の件を知らないから楽しめない。だから、大河ドラマで若い人を取り込もうという考えが無理なのだ。NHKの看板ドラマなら、堂々とこれまで通り続ければいい。それを見失って、若い人からも見てもらえず、高齢の視聴者層からも見放されることになって、本末転倒だ」   デイリー新潮編集部  

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 ほら、こういう風に、週刊新潮に書かれている。この記事の書き方も、かなり遠慮がちで、ジャニーズ事務所の同性愛者系 暴力団からの抗議が、新潮社でも怖いから遠慮して書くのか。 私は、この番組のあまりに低劣な作り方に、私は、唖然を通り越した。もう、NHK大河ドラマは、これで崩壊だ。

 去年の 「鎌倉殿の13人」は、素晴らしかった。 NHKの 歴史ドラマの 知性 の 歴史が感じられた。しっかりと歴史考証(こうしょう)も、若手の歴史学者たちを使って、やっていた。私は、2月末からウクライナ戦争が始まって、その追いかけで忙しくなって、それで、全48回のうち、20回分ぐらいしか見ていない(200円払って、あとで見たのが3回)。

 何なんだ、今年の、この バカ大河は。目も当てられない。 あまりの酷(ひど)さに、歴史ものの本読み読者や、蘊蓄(うんちく)傾け人間たち、日本全国の 歴史好きたちは、呆(あき)れかえって、コトバを失っているはずだ。

 これまでの、NHKの大河の、 戦国時代もの や、平家物語や、鎌倉時代もの(吾妻鑑。=あずまかかみ=) や、太平記(足利氏を描く)や、 応仁の乱(戦国時代の始まり)やら、そのあとの、江戸時代もの の重厚なつくりを、全部、これで、壊してしまった。

 今年一年このヒドいのに 付き合っていたら、非難の嵐が、NHKに対して、歴史好きたちから沸き起こるだろう。戦争の合戦(戦闘)のシーンは、ほとんど、過去のNHKの映像財産か、CG(シージー)の合成でやって、粗雑極まりない作りでも仕方がないや、カネがないのだから、でやるのは構わない。だが、ほんとに、いい加減にしろよ。

 信長役の岡田准一(おかだじゅんいち。こいつもジャニーズ事務所だが、今では、立派な俳優になった )が、ひとり困り果てている感じがよく分かる。何なんだ、他の、私は、誰も名前も顔も分からない、ガキの役者どもの顔ぶれは。 私が、もうジジイだから、どうにもならないのか。 

 “ 歴女(れきじょ)” と呼ばれる、歴史ものをこの好む、女たちが層として出現していると言われて久しい。本当に、この女たちは、少しは、難しい歴史の事実を知ろうとしているのか。やっぱり、どうしても、総体としての女の頭は足りない。思考力がない。その足りない頭( 私、副島隆彦は、公然と、女性差別主義者である)が、問題なのか。

 国民の半分は、女だ。そして、今、女たちが、激しくすべての産業の分野(フィールド)で台頭しているというのに。長年、バカ扱いされ来てた者たちが、下から這い上がって来る勢力は強い。

 この 頭の軽い、歴女たちの、目的は、やっぱり、自分の好きな、かっこいい若い男の俳優が出ていれば、それだけで、うっとりと見つめて、それでいい、ということらしい。 NHKも、時代に合わせてどんどん、変わる、ということを目指している。

 私は、日本の 歴史の重厚さを、すっかり、かなぐり捨てた、極度の 軽薄(けいはく。ケーハク )番組を否定し、糾弾する。 驚いた、を通り越した。 

 思い出したが、 NHK大河で、幕末の 新選組 を描いて、ケーハク極まりない、若い俳優たちを使って、ちゃらちゃら、馬鹿な演技を続けさせて失敗した、あの大河(調べたら、2004=平成16=年だった )の再来だ。 これも、三谷幸喜(みたにこうき)が、シナリオ・ライター(脚本家)だった。が、あれは、いくら喜劇作家だからと言って、ヒドかった、と、私は記憶する。

 今度の、「どうする家康」(題名からして、最低だ) を、何と言う、愚か者のシナリオ・ライターと 演出家( NHKのたただの職員だ)を使って作ったのか、私は、知らない。あまりのヒドさに、私は、コトバを失った。
 
 とても史実 (歴史の文献証拠などの事実に基づくこと、との、ある程度の照合 ) がどーの、というレベルではない。ただ、低劣で、あまりに不出来(ふでき)だ。

 これは、NHKが、死につつあることの現象のひとつだろう。スマホと、ユーチューブと、SNS にやられて、民放を含めてテレビ局全体が、国民文化として、不用になり、死につつある。 「NHKをぶっこわす党」(この党名に戻すべきだ) の 立花孝志(たちばな・たかし)は、国民政治なんかやらなで、ただ、己れの怨念(おんねん)一筋に、「NHKを、ぶっ壊す」をやりさえすればいいのだ。それだけを国民は期待している。 立花よ、お前の、その激しいまでの図太い度量と胆力でも、国民政治は無理だ。 

 私は、立花孝志が、裏のある、黒川敦彦(くろかわあつひこ)と政治女子48 とかの女たち(おそらく統一教会からの潜り込み分子たちだろう)に、まんまと嵌(は)めれて苦境にあるのが、分かる。 
 だが、立花を含めて、黒川も、統一教会のカルト集団と関係がる者たちだから、私は、近寄らない。かつ、彼らは、憲法改正派だ。絶対に話しが合わない。彼らは、決して、日本の反(はん)自民党リベラル派 ではない。

 健全な野党の国民政党であるべき、立憲民主党も、国民民主も、あの党首の、泉健太も、玉木雄一郎も、統一教会の臭(にお)いがする。 こうなったら、野党の組織丸ごと、叩き潰すしかない。そして、健全な、反(はん)自民党の国民勢力を、作り直すしかない。

 日本維新の会(党)は、笹川財団(ささがわざいだん)という、統一教会と同格の反共右翼(はんきょううよく)が、資金源だ。やっぱり、気色の悪い政党だ。今は、温和そうにしているが、そのうち本性を剥(む)き出しにするだろう。

 笹川良一から、全部、笹川一族は、朝鮮系、韓国人だ。と、私、副島隆彦が書いてどうにもならない。こういう事実は、韓国の方から、どんどん流れてきて、韓国人が、日本に、ワーワー伝えるから、隠しようがない。

 私は、左翼言論人 だから、人種差別を煽るようなことを書いてはいけないのだが、遠慮しないで書く。とにかく、統一教会(世界基準では、Moonies ムーニーと言う)どもが、日本民族主義や愛国者のふりをして、日本の愛国運動を、おかしな、反共右翼運動に、変質させるのが、私は、我慢出来ない。
だから、私、副島隆彦は、人種問題、民族問題も、ガツガツと書く。チョーセン人と、気色の悪い宗教人間どもが、愛国者を名乗るのが、許せない。

私、副島隆彦の真意は、統一教会(反共右翼。今も自民党の安倍派の勢力 )に、相当に搦(から)め取られている、日本の保守勢力を、何とか、元の健全で、穏健(おんけん)で、温厚な保守の、金持ち、経営者たちに、戻したい。

 反共右翼と、温厚で素朴な愛国保守の人たちの 間に、ガシッと楔(くさび)を打ち込んで、メリメリと、切り分けて、日本の健全な保守勢力を、再興しなければいけいない。

よくもまあ、韓国(本当は北朝鮮)発祥の、気持ちの悪い、統一教会の悪口も言わないで、
あれほど、韓国人、中国人(チャンコロ)、ロスケ(ロシア人)差別を、長年、ずっとやって来たのに、それなのに、自分たちの頭が、朝鮮・韓国で生まれた、奇妙奇天烈の、
政治宗教団体の、統一教会と、今の、ほとんど、頭が繋(つな)がっている、というのは、どういうことだ。 私は、激しく、この「保守と反共」を気取る者たちを、糾弾する。
私のまわりにの、まだまだ、居る。こいつらの頭を、叩きのめしてやる。

まさしく、有田芳生(ありたよしふ)が、言う通り、「(山口県の)下関は、統一教会の聖地(せいち)だ」だ。 この通りだ。

 この件で、有田に対して、「下関の住民たちが、有田に怒っている」と、書いて有田攻撃をしている、産経新聞や、夕刊フジの、この統一教会(安倍派)の片割れ共を、私は、攻撃する。こいつらは、自分たちの親分で総大将だった、安倍晋三が処分されて(死亡した)して、旗色(はたいろ)が、随分と悪くなっただろうに。ところが、それでも、まだ、安倍を旗頭(はたがしら)にして、自分たちの意地張りだけの、闘いを続けている。

 お前たちは、大きな世界、というのもが、見えない、愚鈍な、バカ右翼に過ぎないのだ、ということが、どうしても分からない、生来、愚劣な人間どもだ。 

 これは、言論の戦いであり、政治闘争だから、「自分たちの方が、余裕をもって正しい」とか思い込むなよ。これ以上、有田芳生 や、島田雅彦(しまだまさひこ)を、陰湿にイジメるようだと、私、副島隆彦が、出てゆくかなら。

どこへだ? お前たちの目の前にだよ。

 前にも書いたが、参政党(さんせいとう)は、幸福実現党が姿を隠して、変身しただけの政党だ。議員になった 党首の 神谷宗幣(かみやそうへい)は、おとなしそうにしているが、本性は、統一教会だ。始めから操(あやつ)られ人形(puppet パペット)だった、

 大川隆法(おおかわりゅうほう)が、勝手な事ばかりするものだから(国連職員だった若い女と結婚した。その前 の、あの目の吊り上がった、奥さんが、本当の狂気の教祖だ)、用なしになったので、大川隆法を、死なせたのだろう。白金(しろがね)一丁目の、あの宮殿のような御殿の中で。急に死んでいる。今も死亡届を出さないらしい。 だから、大川の次の表面の顔が神谷宗幣だ。よく出来ている話だ。

 もう一つ。 ガーシー(東谷・・・)が、もう元気がなくなった。インターポール(国際刑事機構)の指名手配を、警察庁から受けたから、今も、ドバイにいるのだろうが、きっと、身動きが取れない。トルコとかレバノンに逃げることも出来ないだろう。

 ガーシーを、あれほど、日本の政治権力者たち(政治家たち)が、嫌(きら)って、恐れたのは、それは、政治家(国会議員)たちの、私生活の秘密(カネと女だ)が、ガーシーによって、国外からユーチューブで、どんどん、証拠付きで、暴かれるのが、政治家たちは、死ぬほど怖かった。ガーシーに情報と証拠 を垂れ込んで、その数、数万件あると、ガーシー本人が言っていた。

 ガーシーは、日本の最(さい)下層階級の、貧乏人たちで、不満分子の人間たちの、一瞬の希望の星(スター)だった。 ガーシーが、芸能人と、IT企業の成り上がり者で、若い経営者・金持ちたちの素行を暴いているうちはまだ、よかった。それが、政治家(国会議員)たちまで標的(ターゲット)なると、本当に自民党は困るのだ。

 政治家たちは、スキャンダルが一本出ただけで、選挙で、転げ落ちる。このことが、死ぬほど怖い。 20年前の、2ちゃんねる (西村ひろゆきが主宰した)に、政治家たちのスキャンダルを、どんどん彼らの身近にいる者たちが、匿名で投稿した。警察官や公務員もいる。それで、自民党が、真っ青になった。

 それで、世耕ひろしげと、 平井・・(デジタル大臣をした。香川県を支配してる田舎財閥。電通の謀略部隊上がり)と、高市早苗 たちが、自民党ネトサポ・クラブ を作って、自民党が、ネオウヨ たちを大量に雇って、お金を出して、もの凄い量で、2ちゃんねるに、きたならしい投稿文の嵐を作った。

 それで、政治家スキャンダルの、覆面(アノニマス、仮名)のネット投稿を叩き壊した。 あまりものキタナイ言葉の渦を作って、何が何だか分からなくした。あれと、同じことが、今回もガーシー事件でも起きたのだ。

 だから、ガーシーを、あれほどに、本気になって、自民党が、参議院議院の議員から除名、追放した。 ガーシーは、アカウントを取り上げれて、かつ、自分の仲間の、反グレかチンピラ上がりの、アテンダー( 港区女子を有名人たちにデリバリーして、あてがう仕事だそうだ)の 仲間たちも、生来の犯罪性人間たちだろうから、自分も、犯人隠匿罪で、警察に狙われるのは、本当にきついから、遂にガーシーから離れて、皆、散り散りバラバラになって、逃げているはずだ。 闘いというのは、どうしても孤立無援になるものだ。

 ガーシーに大きく期待した、日本の下層の、生活苦でうめき声をあげている人間たち、おそらく300万人ぐらいが、失望している。私、副島隆彦も、一瞬は、「ガーシーは、石川五右衛門=いしかわごえもん=(秀吉に釜茹(かまゆで)にされた。これが、五右衛門風呂だ)や、鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)のような、貧民に金持ちから盗んだカネ(小判)をばら撒いた、義賊(ぎぞく)の、思いやりのある人間実のある男なのだろう」と思った。上州(今の群馬県)赤城(あかぎ)村の博徒、国定忠治(くにさだちゅうじ)のような感じかな、とも思った。

だが、やっぱり、それなりの政治知識と、人生経験からにじみ出る、指導者としての知恵がないから、ガーシーでは、政治権力とは闘えない。 ガーシーが、「おっかあ(自分の母親)まで、(警察が呼び出して調べたという)イジメないでくれー」と、画面で泣いたときに、この男の闘争本能の限界に、皆、気づいてかっがりした。 まだ立花孝志のほうが、やっぱり、腹(はら)が座っている。

 NHKにとっては、今も、立花が最大の脅威だ。立花は、高卒で、NHKに入り、下積みで、ずっと内部にいて、”エビジョンイル(正日)” と呼ばれた、NHK会長の海老沢勝二(かつじ。民衆宰相の田中角栄と仲が良かった)の、御庭番で忠臣で、芸能界や、スポーツ界に、毎年、何億円ものカネ配り をやっていた、裏方だから、NHKの中枢の 何でも知っている。

 NHKの歴代幹部たちからすれば、立花孝志 は、必ず絶対に殺さなければ済まない男だ。立花の存在が、今もNHKの最大の危機だ。立花が始めた、受信料を払わない運動は、NHKにとって、今も死活問題だ。

 私は、立花が、3年前に、Youtube で、堂々としゃべっていて、白板にどんどん書いていった、NHKの内部の、お金の動きや、幹部たちの人間関係のことを、すべて、メモして、30分ものを10本分ぐらい、しっかり保存している。このメモがある限り、立花の真実の暴きの活動の、そのあとを、たとえ立花が、殺されたあとでも、私が、言い(書き)続けることが出来る。  

 立花が、出色(しゅっしょく)で、傑作だったのは、ユーチューブの動画の画面に出てきて、NHKの裏門(西門)の、渋谷駅からずっとつながっている大通りで、「 NHKのアナウンサーの有名な女たちでも、NHKの、この 、こっちの方の建物の中で、夜中に、セックスをしているんですよ」、と、立花がバラしていた。

 NHKの女の有名アナウンサーのお局(つぼね)さまが、今は、経営幹部にまでなっている女たちで、背中を冷や汗が流れて、顔が引きつっただろう。

 私は、今度のNHKの大河ドラマに怒った、ついでに、この60年間の、すべてのNHKの大河の、すべての60個を、以下に転載して、10個づづの表のまま載せて、以下の通り、それらに、私自身の、短い評価、寸評(すんひょう)を書いてゆく。

 NHKの大河60年分 は、私のこれまでの人生の60年と重なる。私は、今や、勝手な自称だが、日本国の総合プロヂューサーだから、日本人の国民文化(ナショナル・カルチュア)の重要な一部を構成していて、国民的な共通了解事項になっている、このNHK大河を、無視しては、国民文化人としての、自分の立場が成り立たない。

 だから、私は、NHKの大河の過去の60本を、論じないわけ内は行かないのだ。前記(上記)のデイリー新潮のネット記事の中にも、主要な作品の名前が、8作ぐらい出ていた。

(転載貼り付け始め)

1-10作

副島隆彦です。 第一作の、1.の 「花の生涯」(1963年)を、10歳だった私が、見ている。ぼやっとした白黒の画面のテレビで見た。家具調(かぐちょう)とか言って、これが、やがて仏壇を、日本の家庭から、追い出してそこに鎮座した。

 幕末の大老(たいろう)井伊直弼(いいなおすけ)を主人公に描いていた。私は、生来、頭のいいガキだから、井伊直弼の行動 を、10歳で理解したのだ。 東神奈川(今の横浜)をさっさと開港して、欧米白人 、すなわち、毛唐(けとう) の手先となった、井伊は、尊王攘夷(そんのうじょうい)の武士たちと、激しい憎しみ合いになった。

 「安政の大獄」の大弾圧をやった。 それに水戸藩と薩摩藩が中心となって、血だらけの、殺し合いになった。それが、最後のシーンの、桜田門外の変(へん)(今の警視庁の前)だ。

 私、副島隆彦が、ここで、毛唐(けとう)というコトバを使うと、多くの日本人の、体の奥の方から、何かが湧いて来る。 「けとー(毛唐)ども、断じて、許さん。我らが、神州不滅の土地を、お前たち汚れた白人どもに、踏まして、蹂躙(じゅうりん)されてなるものか」の、欧米白人たちへの、怒りがある。そこには、南蛮人、紅毛人(こうもうじん)と四が、16世紀(1500年代)以降に、日本に来た、スペインやオランダ商人たちへの、恐怖感と劣等感も 混ざっている。こういう排外主義(はいがいしゅぎ)の、何かが、沸き起こっている。 

私、副島隆彦は、何でも分かる。

 私は、NHKの大河は、だいたい一本当たり、一年間(50回か49回ぐらい)のうち、5回ぐらいしか見ていない。それでも、全体像は掴(つか)まえられる。それは、私、副島隆彦の頭が、スバ抜けて、少年時代から、いいからだ。私は、この国の、生来の知識人(インテレクチュアル(英)、インテレクティーエレン(独)、インテリゲンツア(露))だからだ。

 さらには、再放送のものを、ちらちらを、この60年間に、あちこちで見ているからだ。私の頭は、ハエ取り紙のように、歴史事実とかをすべて、頭に吸収して、残している。

 この歴史ドラマの、重厚な役の、歌舞伎俳優の尾上松緑(おのえしょうろく)の役回りを覚えている。

2.の赤穂浪士(1964年)は、二枚目俳優の長谷川一夫の、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の討ち入りの場面の、「各々(おのおのがた)、ご油断なさるな」の言葉と共に、日本人の魂の中に、残っている。大ヒットした作品だ。 原作は、大佛次郎(おさらぎじろう)だ。 山鹿(素行。やまがそこう。軍学者でもあった)流儀 の陣太鼓、 1打ち、2打ち、3流れ のトン、トン、トーンの、小さな太鼓の音も覚えている。播州赤穂(ばんしゅうあこう)の浅野家にも、山鹿流は伝わっている。

もっと、本当のことを書くと、備前(びぜん)、備中(びっちゅう)(今の岡山県)の、池田氏(大名家)と同じく、浅野家にも、隠れキリシタンのキリスト教が、深く根付いていた。

 赤穂浪士=忠臣蔵 の 物語 は、主君の江戸城での刃傷(にんじょう)の事件と切腹(ではない。真実は、籠から引きづり出されて、そのまま打ち首だった)の事件から、たった一年のうちのことで、すべては、仕組まれていた。大石以下、全員、切腹まで、初めから仕組まれていた。柳沢よしやす(5代将軍綱吉の、お側=そば=用人 )に。 大石たちが、しまった、自分たちは、計られた、と気づいたときは、もう、遅かったのだ。

 京都の花魁(おいらん)たちまでが、囃(はや)し立てて、「敵討ちは、いつおやりですか」と、催促した。警戒の厳しい、江戸を夜を、番小屋(ばんごや)の厳しい監視が有るのに、集団で徒党を組んで、武器を持って移動することなどできない。すべて周到に、彼らに突撃させるように準備されていたのだ。これまでの赤穂事件の研究者たちの本は、駄目だ。

3.の太閤記(1965年)は、新国劇(しんこくげき)出身の俳優、緒形拳(おがたけん)が、実に貧相に、貧乏人の出の、秀吉を、上手に演じて、日本国民を泣かせた。

 原作者の吉川英治は、「宮本武蔵 」(みやもとむさし。大阪城に中に雇い入れられた、雑兵、足軽になった、今の兵庫県の宮本村の百姓の武三、たけぞう )という、戦争肯定の、虚無(きょむ)思想で、真珠湾攻撃のその日も、日本全国の、それこそ、官僚たちまでが、朝日新聞の、「宮本武蔵」連載小説を、皆で、食い入る様に読んで、「自分も、この戦争で、死ぬのだ」と、思い詰めさせた、だけの迫力を、この小説は持ったのだ。だから吉川英治は、戦後は、戦争体制を翼賛(よくさん)ことで、評判を落とした。

4.源義経(1966年)は、主役の尾上菊五郎が、あまりにもハンサムだった。これで、きれいごとが過ぎた。本物の義経(よしつね)は、チビで、出っ歯である。 このドラマの上記の解説にもある通り、共演した藤純子(やくざ者映画の「緋牡丹(ひぼたん)お竜」の役だ。背中に唐獅子牡丹(からじしぼたん)入れ墨をした女ツボ振り師 )と結婚した。ああ、きれいなものだなーと、まだ少年だった、私は、遠くの遠くから見ていた。

5.三姉妹(1967年)を、私は、まったく記憶がない。江戸幕府が崩壊する時の旗本の娘たちだそうだ。どうでもいい。

6.竜馬が行く(1968年)は、主役の北大路欣也が、立派な感じで堂々とし過ぎていて、あまり真実味が無かった。 原作の × 司馬遼太郎 が、本当に、ワルい作家で、とんでもない歴史の偽造をする悪質(あくしつ)作家だ。

 私は、少年ながらに、このヒットした、坂本竜馬に、強い違和感を持った。 マリウス・ジャンセンというアメリカのダートマス大学? の 日本史学者の本から、司馬が、剽窃(ひょうせつ)で書かれた、坂本龍馬ものの走りだ。本当に司馬遼太郎と言うのは、今からでも、成敗(せいばい)しなければいけない、悪質作家だ。

 真実の 坂本龍馬は、脱藩浪人ではない。土佐藩主の山之内容堂(やまのうちようどう)の御庭番(おにわばん、青年スパイ)として、18歳の時から、江戸に送られた人間だ。そして、ジャーデン・マジソンという今も有る、イギリス国策会社で、アヘン(阿片、オピアム)を中国人に大量に売って、中国を崩壊させた、かつ、その武器商人として、日本にやってきた、グラバーの手先として動いた男だ。本当は、竜馬は、才谷屋(さいたにや)梅太郎(うめたろう)と呼ばれていた。

 戦略外交官で、日本語が出来て、日本国内の、ふたつの勢力を、いいように 操(あやつ)った、アーネスト・サトウの「日記」に、はっきりと書かれている。
 ただし、竜馬は、最後に、イギリスを裏切った。「議会制の日本となって、独立国になる」という考えを持った。だから、イギリスから捨てられて、殺されたのだ。

 こういう、真実を、私の名著(笑い)『属国・日本論』(初版、1997年)に、はっきりと書いている。私、副島隆彦が、切り開いた、真実の歴史と言論の意義を、まだまだ、多くの人が知らない。私への正しい評価がまだ、ない。

7.「天と地と」は、原作の海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)を、生前、少年だった私は、見ている。よかった。この歴史作家は、本当に真面目(まじめ)だった。ウソを書かなかった。 

 上杉謙信と 武田信玄の 川中島の合戦ものは、38年後に、46.「風林火山(ふうりんかざん)」として再度、現れた。上杉謙信は、本気で神懸(が)かりの武将で、毘沙門天を真剣に信じていた当時の、武家の棟梁だ。石坂浩二が上手に演じていた。

 武田信玄は「風林火山」で一番、有名だ。「べん声粛々(しゅくしゅく)、夜、河を渡る」 の、幕末の有名文化人、頼山陽(らいさんよう)の「日本外史」の漢詩(崩れ漢文)が有名だ。 本当にあの時、戦っていたのは、百姓たちだ。彼らは、刀や槍(やり)なんか持っていない。ただの農具で、額に、堅い鉢巻をしただけの、みすぼらしい農民の姿のままだ。

 4列縦隊で、ザクザクと整列して行進する、などということはない。それは、明治になって西欧式の近代軍隊になってからだ。そこら中に、騎馬に乗った御屋形さま(村の領主、侍)ごとに集まって、ぐるりとそれを取り囲んで動いた。若い元気な農民たちだ。

 今のウクライナ戦争でも、地下足袋(じかたび)のようなものを履いて、ゲートルのようなものを足に巻いて、手甲脚絆(てっこうきゃはん)を絞めている、両軍の兵隊たちの姿が有る。いつの時代も、どこの国でも、最前線で戦うのは、ああいう、百姓の子供たちだ。

そして、その多くは死ぬ。 英雄物語など、すべて、ウソだ。

 NHKは、大河ドラマで、戦争、戦闘シーン、すなわち、合戦(かっせん)のシー ンを、毎週、歴史のお勉強のふりをして、国民に見せる。NHKは、日本国民に、戦争を、扇動する権力メディアなのだ。

 合戦の勇ましい姿と、そのあと、兵士たちに死体が、転がって散らばっているシーンも、ちらりと、5秒間ぐらいは、見せる。 NHKは、日本国民に、計画的に、戦争を脳に、刷り込ませている。 

8.「 樅(もみ)ノ木は残った」(1970年)は、伊達(だて)騒動という、今も、ストーリーがよく分からない、歴史事件を扱っている。山本周五郎の原作だ。どうも、企業が生き残って行くために、経営者たちが、苦労に苦労で、かつ、内部の人事を巡る、複雑な権力闘争があって、それを、このドラマから学べ、という感じだった。幕府が、伊達藩を、取り潰したい、という計画だった、というのが、歴史の真実だろう。

 江戸時代の、260年間の 太平の世 で、何がきつかったか、といって、大企業になりあがった、組織の中で、どうやって、会社(企業)が、生き延びてゆく かの、切実な、去らr?マンたちの 企業人生の苦労話だ。 本当は、アメリカの属国として、アメリカに這い蹲(つくば)って生きている、日本の上の方の人たち(支配階級)の苦しみを、NHKの大河は、たいてい、描いているのだ。私、副島隆彦には、この事がイヤ(嫌)と言うほど
分かる。 

9.春の坂道(1971年)は、柳生宗矩(やぎゅうむねのり)と十兵衛(じゅうべえ)の親子が、忍者系の、武道家として、徳川家の中で、権謀術数を使いながら、生き延びたかの、話で、組織人間(会社勤め)の厳しさを描いていたのだろう。忍者は、隠密(おんみつ)だから、絶対に、自分たちのことを書いて残したらいけない。

松尾芭蕉(まつおばしょう)は、公儀隠密 だ。その弟子たちの、与謝蕪村も、向井去来(むかいきょらい)もそうだ。彼らは、一体、武士なのか、商人なのか、上層農民なのか、分からない人たちだ。だから、公儀隠密(忍者)なのだ。

 彼らは、連歌師(れんがし、ここから俳句になって行った)の、俳諧師(はいかいし)で、皆、全国を徘徊(はいかい)する者たちだ。彼らが、全国に連歌の会をもって、隠密の拠点を作り、暗号のような俳句を書き、情報交換をしている。 

 私は、20年前、伊賀上野市と、隣りの名張(なばり)市のロータリークラブに呼ばれて、講演して、それから、翌日、あちこち案内してもらった。伊賀ものたちの中に、百地三太夫の百地一族もいた。

 山を越した向こう側の、奈良の方に、柳生の里が有る。大きくは、伊賀者(いがもの)でも、使える主君が違って、生き延びるために、分裂していった。それが、伊賀者(隠密)たちで、今も、それと同じような、公安警察官で国家公務員くせに、言論人を名乗っている者たちが、たくさんいる。
 
 柳生の新陰流の奥義(おうぎ)は何なのか、と、若かった私は、興味を持ったが、そんなものは、ない、と分かった。秘儀秘伝は、「どうやって、自分が、苦しいところを、生き延びるか」だけだ。

10.「新・平家物語」(1972年)は、私は、全く覚えていない。平清盛を仲代達矢が演じたと書いてい有るが、見た記憶がない。それよりも、あとの29.の「太平記」(1991年)の出来が大変良くて、こっちの、足利尊氏(今は、高氏と教える) を演じた、真田広之が好演していた。 どっちに転んでも、厳しいところを、ずっと生きなければいけない、
会社経営者の苦しみのように描いて、大人のドラマだった。 
綺麗(きれい)ごとで、歴史の事件や、争いを、見るわけには行かない。

 実際の歴史事件の時は、ほとんど人間は、下っ端の、下々(しもじも)の、一般庶民であるから、恒に、権力者たち主役である、大河ドラマなんか、お前たち、お庶民(一般ピーポー)には、何の関係もないのだ。 それでも、私たちは、本読みだから、歴史ものの小説も読むから、こうして、やっぱり、NHKの大河の話をするしかない。

副 島隆彦です。ああ、もう、こんなに書いた。もうやめる。あとの50本に、ついては、後日、少しずつ、私の感想、寸評を、書き加えて行く。 
「今日は、ここまでといたし候(そろ)」  副島隆彦拝 

加筆。副島隆彦です。 私は、明治4(1871)年7月 の、廃藩置県(はいはんちけん) で、日本全土を、46個の、おかしな名前の、 県や府 にした者たちを、必ず、引きづりだす。 彼らは、これまで、絶対に表に出て来ない。一体、明治新政府の中の、誰たちが、こんな、ヘンな地名にしたのか。それを決定した責任者たちの名前が分からない。私が、必ず、探し出して、筆誅( ひっちゅう)を加える。

一番ひどいのが、茨城(いばらぎ)県だ。茨(いばら)とは、棘(とげ)だらけの、最悪の雑木である、茨(はぜ、うるしの木)だ。この名を水戸に、付けた。 よっぽど、水戸の徳川氏 の人間たちが、憎かったのだろう。 群馬 (上州。かみつけ、上の毛 の国)も、栃木(下野、しもつけ。下の毛の国)も元に戻せ。
神奈川県は、相模(さがみ。しゃがむ、から来た )の国に戻せ。 昔からの、歴史のある土地名に今からでも、皆で決めて、戻せ。 

東京と京都は、どう考えてもこれでいい。北海道も今のままでいい。
しかし、埼玉(武州。武蔵の国)も、福島(会津と、常陸の国)とか、島根も鳥取(因幡の国)もヒドい。越後の国である新潟県もよくない。秋田とか、岩手とかも、よくない。広島は、安芸(あき)の国だ。九州の県名もヒドい。今からでも、みんなで考えて、元に戻せるものは、戻せ。 こういう提案は、国家戦略家(ナショナル・ストラテジスト)を自認し自任している、私にしかできない。
 
 愛知県は、「知を愛する」だ。フィロ・ソフィーだ。フィロ(愛すること)をソフィア(知、知恵を)だ。 いい名前だが、誰が決めたのだ。前の方で書いた通り、愛知とは、尾張の国と、三河の国を合わせたものだ。 私が、愛知はフィロソフィーから付けだろうと、
本に書いたら、「いや、昔から、愛知の名前があります」と即座に、反論が有った。

それは、旧名の ちふり を、今、知立(ちりゅう)市に変えた、あの辺だ。愛知という
地名はない。 同じく、江戸には、江戸(えど)氏という名の古い、地侍(じざむらい)一族はいない。 江戸は、本当は、厭離穢土(おんりえど)と、言って、穢土(えど)という、キタナイ土地のことを、言ったのだ。秀吉が、家康に、「お前は、あの、穢土(えど)に行け」と使ったのだ。

 大阪府もひどい。浪速(なにわ、難波) の国でいい。摂津の国が、大きく上の方にはいっているが。 その他も。 副島隆彦記

11-20作

21-30作

31-40作

41-50作