[3505]ジャカルタ生まれで「元ミス日本」伊藤千桃さん

会員 投稿日:2022/12/20 13:00

会員です。匿名で失礼します。
昨年、内部連絡網のメールで、副島先生が『「元ミス日本」伊藤千桃さん』のことを紹介されました。私は、このメールを読んで、伊藤千桃さんに興味がわきました。つい先日、伊藤さんのイベントが開催されたので参加してきました。
ホームページで紹介されているとおりの上品で美しい女性でした。千桃さんは、神奈川県の葉山町の山の上にお住まいです。その山の道は、隣の秋谷(横須賀市)に繋がっているそうです。その山道の頂上付近に警備が来ると、葉山の御用邸に皇室一家がいらしているのだな、と地元の人たちには分かるようです。千桃さんは、犬の散歩のときに、何度か葉山の海岸で美智子上皇后と立ち話もされたそうです。
(以下、転載)

From:*副島隆彦<****@nifty.com>
Sent:* Saturday, June 12, 2021 4:54 AM
To:* *****@****.com
Subject:「元ミス日本」伊藤千桃さん。「老後の貯金は無いけれど、お葬式もお墓も無くていいと思っています」

副島隆彦注記。 この女性は、今、70歳か。私よりも 2,3歳上だ。 父親は、インドネシア人 の 将校だったようだ。その写真が、残っていて、以下の記事の中にある。
このインドネシア人の青年には、宗主国(そうしゅこく。コロニアル・マスター)のオランダ白人の血が入っている。 だから、この女性は混血だ。

母親の日本人は若くして彼女を生だがなじめず帰国して、日本のインドネシア大使館の前に、彼女を置き去りにした。

このことが新聞に出て、「私が引き取る」と現われた養母が、 今のこの 葉山の高台の家(この頃は、ここらに家を建てる 米軍人たちがかなりいた)はその養母が残してくれた家だ。
養母が、気の利いた人で、彼女を、女優にしようとか、ミス日本(第5回)に応募させて当選した。

**

◯「元ミス日本」伊藤千桃さん。「老後の貯金は無いけれど、お葬式もお墓も無くていいと思っています」
2021年6月11日 https://kunel-salon.com/post-20812

葉山の山の上で貸し切りレストランとケータリング業を営む伊藤千桃さん。「お金は無くても、何とかなるわよ」が口癖ですが、その精神はどこからくるのでしょう?お金について伺いました。


◇伊藤千桃さん

「お金はね、それはあるに越したことはないです。でもね、無いからといって悲観したり、焦ったりは全然しません。よく『老後の貯えは何千万円必要』とかTVでいっているでしょう?みなさん、そんなにお持ちなの?!って本当びっくりしちゃう。もちろん、我が家にはそんな貯金は無いですけども」
そういってニコニコ笑う千桃さんは実に大らか。一般にはなかなか話題にしづらいお金のことですが、「なんでも聞いて」と話します。
「老後のお金どうしよう?って不安に思っているお友達の話など聞くと、『そんなに不安を抱えていたらそこから鬱々とした気持ちになってかえって病気になっちゃうわよ』って思っちゃう」
人生についてどこか達観している千桃さんですが、山あり谷ありの人生を歩んできたからでしょうか?


◇自然に囲まれた葉山の山の上の家。

「親も事業に失敗して、お金が無くて苦労しながらもなんとかやっているのをそばで見ていたからかしらね。人生なんとかなるんだなって思えるんです。離婚して貯えも仕事もないなか、娘と息子と子どもふたりをよく育てたな~。私どうやってやりくりしてきたんだろう?っていまでは不思議なくらいです」
「貯金なんて全然ない!」とあっけらかんと語る千桃さんですが、病気になったら?とか、不安にならないのでしょうか?と尋ねると……。

「保険も最低限しか入っていないんです。『じゃあ大病したらどうするの?』って聞かれるんですが、子供たちには私が病気になったら延命治療しないでって伝えてあります。それで、亡くなったら献体してもらうつもりで、もう登録してあるんですよ。解剖して医学の役に立ててもらい、火葬してもらって骨になって戻ってくるんです。

お葬式もしなくていいし、お墓には納めずに、遺骨は海に撒いてってお願いしているんです。お墓があると遺された人たちが管理が大変ですし、海に還っていると思うと、どこにいても祈れるでしょ。調べたら、そういう団体で手続きをすれば海洋散骨していただけるんですって」
人や世間がどうではなく、自分がどうしたら心地よいかを知り、それを実践している千桃さん。その生き方は本当に清々しく、凛々しいのです。

◯  2021.01.28 (木)
願えば叶う。「元ミス日本」マダム・伊藤千桃さんが辿った数奇な運命ストーリー。~ジャカルタの父編~
https://kunel-salon.com/post-20812

伊藤千桃さん ヒストリー
新しく〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーに加入となった「桃花源」主宰の伊藤千桃さん。『クウネル』本誌にも何度か登場し、そのたおやかな佇まいと、自然のなかでお金をかけずに豊かに暮らす姿勢が多くの読者の共感を得ています。そんな伊藤さんの波乱万丈な人生について、まずは伺いました。→前編「日本の母編」からの続きです。

インドネシアの父とは2歳で別れ、実の母とも生き別れ、養母に引き取られ、葉山の山の上での暮らしをしていた伊藤千桃さん。24歳のときに結婚し、一男一女を設けましたが、40代後半のときに離婚を決意しました。

「生活感覚の違いがあったりいろいろと『あれ?』と思うことが重なって……。旦那さんの悪口をどこかでいいながら生きていくのは嫌だなって思って、私から別れを切り出しました」

お子さんがまだ学生のころで、お金の心配もありましたが、「まあ、何とかなるでしょ!」と、そこは持ち前の豪胆さを発揮。当時、定期的な収入があったわけではなかったのですが、女手ひとつで子ども二人を育てることとなりました。(そのときの顛末はまた、別の機会に……)。

無我夢中で子育てをし、子どもたちも独立した十数年前、千桃さんは運命的な旅をします。それは、生まれてすぐに別れたジャカルタの父へと辿り着く旅。


◇この写真を手掛かりに、ジャカルタの父を探すこととなった。

この写真を手掛かりに、ジャカルタの父を探すこととなった。


◇アルバムには幼いころを知る貴重な記録。
親族に巡り合って以降、定期的にジャカルタを訪ねている。

「父とは幼い頃に別れ、記憶に全くなく、消息不明のまま。今のままでも自分としては幸せだし、いいかとも思っていたのですが、私の子供たちにルーツを残してあげたいと思ったんです。それで、残された写真などわずかな手がかりから、父を探し出そうと決めたのです」

インドネシア大使館に連絡をとったものの、「探すのは困難」との返事。それでも諦めず、何度も何度もコンタクトを取り続けていました。そして遂に! ジャカルタの父は見つかったのです。

知らせを受け、千桃さんはすぐにジャカルタへと飛びました。残念ながら父は亡くなった後でしたが、親族たちに会うことができました。実父もずっと千桃さんを探し出そうとしていたことを知りました。そのときに巡り合った従兄弟・サトリア ウィラは、フラワーアーティスト。緑に囲まれた美しい家で自然とともにある暮らしに共感し、血のつながりを感じたと振り返ります。以来、ジャカルタの親族たちとは交流が続き、子どもや孫たちと何度も訪れています。
遠い国に、深いつながりを持ち、千桃さんの人生はより豊かなものに。探すことを諦めずにいてよかったと話します。

事実は小説より奇なりといいますが、千桃さんのライフヒストリーはまさに波乱万丈。でも、決してほかの人と比べて悲観したり、現状を嘆いたりしません。運命は受け入れつつも、改善の余地があるならば失敗を恐れずに前に突き進む。そんな姿勢はしなやかで、かっこいい。「一歩前に踏み出してみよう」そんな勇気をもらえます。


◇現在の葉山の家。 葉山の家は養母から受け継いだ千桃さんの宝。

2021.05.24 (月)
経験ゼロから始めたケータリング業。「お金は少しでも、知恵と工夫でなんとでも」
https://kunel-salon.com/post-30030


◇伊藤千桃さん お弁当

葉山の山の上で貸し切りレストランとケータリング業を営む伊藤千桃さん。「私にできることはなにかしら?」と経験も知識もゼロから十数年前に始めました。いまでは娘さんと二人三脚でおいしいごはんをつくり、デリバリーしています。

『桃花源(とうかげん)』 の屋号で、自宅を拠点にケータリングや、B&Bを営む伊藤千桃さん。その始まりは、かなり手探りなようでした。

「40代後半で離婚したとき、長女は高校一年生でした。私はその時、仕事をしていなくて、周囲には『どうやって子ども二人を養うの?』とすごく心配されましたね。でも、私自身はそんなに心配していなくて……。『どうにかなるでしょ』と思っていました」

今の自分に「何ができるか?」と考えた千桃さん。周りを見渡し、自分の強みは亡き養母から受け継いだ、豊かな自然に囲まれた家ではないかと思い至り、この家で何かを始めようと決意しました。

取材の日、撮影スタッフ用にと『桃花源』のお弁当を頼んだ。
近くの漁港で買った魚のフライに、旬野菜のマリネなど、季節のおいしさが詰まっている。


◇自家製山椒の実とちりめんじゃこのおむすび。

「料理も好きだったこともあり、山の上の家のレストランを始めたんです。しばらくひとりで切り盛りしていて、それなりに成り立っていたのですが、やはり大変な部分もあって……。こんな田舎で一日数組のお客様だけでやっていて、そんなに高いお料理を出すわけではないし、これじゃ採算が合わないわねとなったんです」

結婚して家を出ていた娘さんが、離婚をして戻ってくるタイミングで、まだ日本では黎明期だった民泊を始め、料理の方はケータリングへとシフトしました。

「葉山、逗子、鎌倉、三浦、横須賀地域限定ですが、テレビや映画の撮影のお弁当などを配達しています。あとはご近所の方から、『ホームパーティをするからいくらくらいの予算でお料理をつくって』とかのご依頼があったり」

千桃さんの庭でとれた野菜や果実、野草を使ったお料理は、見た目も味もバラエティに富んでいて、旬のおいしさがふんだんに盛り込まれています。素材の味を生かした料理は、食べ終わった後に心と体が満たされる健康的な力を宿しています。

庭で採れた野草や果実は干したり漬けたりして、日々の食卓で活用。

◇庭のビワの葉を干してお茶に。

「お金は、たくさんはないけれど、なければないで何とかなるものだし、その分、頭と手を使って工夫するのが楽しいんです」

いまある幸せに感謝し、あるものを最大限に活かすことを考え、心を込めて手を動かす。千桃さんのモットー「贅をつくさず、精をつくす」の精神に学ぶことは多くあります。

◯ぶれない心。「元ミス日本」マダム・伊藤千桃さんが辿った数奇な運命ストーリー。~日本の母編~*
https://kunel-salon.com/post-20797
新しく〈クウネル・サロン〉プレミアムメンバーに加入となった伊藤千桃さん。『クウネル』本誌にも何度か登場し、そのたおやかな佇まいと、自然のなかでお金をかけずに豊かに暮らす姿勢が多くの読者の共感を得ています。そんな伊藤さんの波乱万丈な人生について、まずは伺いました。

『桃花源(とうかげん)』 の屋号で、自宅を拠点にケータリングや、B&Bを営む伊藤千桃さん。インタビューを何度かしていますが、お話を伺う度に「ええー!」と、驚くことばかり。オープンになんでも話してくださるのですが、その内容が毎度あまりにもドラマティックで、目を丸くしてしまう筆者です。驚きのストーリーをニコニコと、さもないことのように話す千桃さんはただものではない!そんな千桃さんの胆の座った生き方を、本サイトで少しずつご紹介してまいります。まずは生まれたときの話から……。

「生まれたのはいまから70年前、インドネシアのジャカルタです。日本人の母とインドネシア人の父の間に生まれました。といっても、インドネシアにいたのはほんの少し。インドネシアになじめなかった母は、2歳の私を連れて日本に帰国したのだそうです」


◇赤ちゃんのときの写真。

アルバムを見せてくれる千桃さん。
だから、父の記憶は全くないという千桃さん。かといって、母の記憶もほとんどありません。というのは、子育てがうまくできず若かった母はインドネシア大使館に幼い千桃さんを置き去りにしたまま、いなくなってしまったというではありませんか!
このことが当時の新聞に載り、とある女性が引き取り手として名乗りをあげ、養母となってくれました。

「養母は誰も近寄れないほど独特な雰囲気の人で、とにかくみんなから恐れられていました。私も最後まで敬語で話していたものです。会社を経営していて羽振りもよく、私は子守りの女性をつけてもらい、ごはんをつくってもらったり、遊んでもらったりという記憶はまずなくて。あまり養母に育てられたという感じではなかったですね」

しかし、調子のよかった養母の事業もあるときから立ち行かなくなり……。お金で苦労する様子を近くで見ていました。「お金は無いなら無いで何とかなるもんよ」が口癖の千桃さんですが、それは、どん底を経験しているからこその境地なのだといいます。

「ミス日本」になったのは1972年のこと。第五回ミス日本コンテストに養母が応募し、見事グランプリへと輝きました。それからの1年間は「ミス日本」として、世界中を訪問。海外旅行が珍しかった当時、貴重な体験をしたのだそうです。その前には、なんと映画デビューもしている千桃さん。1969年に行われた東宝映画『華麗なる闘い』のオーディションに養母が応募し、最終選考の7人に残り、映画に出演。ただ、自分に自信が持てなかったという千桃さん、女優としてのお仕事はこのとき一度限りで辞めたのだそうです。あのとき、女優続行を決断していたら、全く別の人生を歩んでいたかもしれません。

初の著書『千桃流・暮らしの知恵』
http://shufunotomo.hondana.jp/book/b477869.html(主婦の友社)には、
自然の恵みを活用して暮らす知恵やアイデアが多数紹介されています。
ドラマティックな人生ヒストリーの記述も。

◯ 2020.03.31 (火)
「元ミス日本」という輝かしい経歴の素敵なマダム。伊藤千桃さんのおもてなしに感激。
https://kunel-salon.com/post-6854


◇伊藤千桃さん

クウネル5月号にて取材した伊藤千桃さん。神奈川県・葉山でケータリングや民泊サービスを行っています。打ち合わせの時も、取材時も手作りのランチでおもてなしをしてくださいました。

『桃花源』という屋号でケータリングや民泊などを行っている伊藤千桃さんを取材しました。いまから40年以上前、第五回目の「ミス日本」グランプリ受賞という、輝かしい経歴を持つ素敵な女性で、神奈川県・葉山の山の上にある一軒家で自然に囲まれて暮らしています。打ち合わせで伺う約束をしたところ「ごちそうはありませんが、我が家でお昼を食べながら打ち合わせしましょう」との素敵なお誘いが。そうして用意してくださっていたのが本当においしく豊かな食卓でした。近隣の漁港で買ってきたといういわしの自家製パテ、野菜たっぷりのポトフ、デザートのプリンまで! 


なんと、慌ただしい撮影の日にも用意してくださり、自家製フォカッチャとポテトのパイなどをスタッフ一同ごちそうになりました。

取材を通して印象的だったのは、「お金はあるにはあった方がいいけれど、無ければ無いで”なんとかなるようにしよう”と頭を使って、工夫をするようになり、それが面白い」というフレーズ。その「工夫」から、庭や家の周りにある自然の恵みを存分に生かした暮らしを営んでいらっしゃいます。そんな伊藤千桃さん流・暮らしの知恵について、ぜひ本誌をご覧になってください。

千桃さんに教えていただいた、金柑のシロップ煮レシピの記事
https://kunel-salon.com/post-5765 もご覧ください!

より詳しくご覧になりたい方は著書『千桃流・暮らしの知恵』(主婦の友社)を!
(転載おわり)