[3324]ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の謎を解く(2)

下條(ジョー) 投稿日:2022/01/09 11:59

前回はヴィトゲンシュタインが哲学の成立する範囲と境界を決めることに成功したことを述べた。

以下にこれによって解決した哲学問題を記しておこう。

1)17世紀から18世紀にかけての近代哲学には、認識を「経験」に求める英国系の議論(イギリス経験論)と、「理性reason」に求める欧州大陸系の議論(大陸合理論というらしい)の2つがある。イギリスチーム(ロック、ヒューム、バークリー)対大陸チーム(デカルト、スピノザ、ライプニッツ)の議論だ。人間のreason(理性)と経験では、どちらが重要かという問題でもある。

ウイトゲンシュタインによればイギリスチームの圧勝である。なぜなら、命題のかたまりがその人の思考だからだ。だから、経験(事実)によって思考が形成される様子がはっきり描かれている。ヒュームの「causality(原因)とはただの経験による推測に過ぎない」もバークリーの「知覚の束」も見事にその中に取り入れられている。

2)ドイツ哲学といえば、カントとヘーゲルが有名だが、この二人の理論(弁証法的論理学とanalytic propositions)も事実に基づかないから無意味となる。

3)エルンストマッハの言った「感覚できるものだけが正しい」という科学哲学の最先端の思考法も前回の考え方で理解できる。感覚として得られた経験的事実から、「射影」されない命題は「語ることができない」。

4)ウィーン学団(Vienna Circle)のつくった科学哲学とは、すべてヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からのパクリである。このことが前回の文を読むとよく理解できる。

3人の主要人物がいる。シュリックは物理学者だから、ヴィトゲンシュタインの思想に忠実だったが、ルドルフ・カルナップとオットー・ノイラートはヴィトゲンシュタインの思想を捻じ曲げた。ただし、現代の自然科学はカルナップの思想に、社会科学はノイラートの思想に従っているように見える。

5)同様に考えると、ポパーの「反証可能性」もヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』からのパクリであるとわかる。だから、このことを知っていたヴィトゲンシュタインは火箸でポパーに殴りかかった。自分の理論を改悪したのが、よほど腹に据えかねたのだろう。

さて、もう一度前回のせた図を見ていただきたい。

3つの括弧がある。

事実のかたまりが現実で、命題のかたまりが思考である。したがって、右の括弧には「現実」が左の括弧には「思考」が入る。

命題のかたまりがその人の思考をつくる。だから「私の世界」とは左の括弧である。ここに「思考」が存在する。一方、現実は(reality)は右の括弧の中に存在する。

ただし、「私の世界」は左側にしかない。そして、命題のかたまりがその人の「思考」だから、命題を表現する言語が、その人の世界の限界を決める。

哲学では、右の括弧の世界から、左の括弧の中の世界を作る人はノミナリスト(唯名論者)、左の括弧の中でのみ思考するひとはイデアリスト(理想主義者))と呼ばれる。大雑把にいえば、左の中の括弧に存在する猫がa catで、右の括弧の中に存在する猫がthe catとなる。こうすれば日本人でも冠詞と定冠詞のちがいがわかってくる。

以上です。

下條竜夫拝