[3266]生方(うぶかた)議員発言「「拉致(らち)被害者は生きていない」が正しい。

副島隆彦 投稿日:2021/10/12 22:43

副島隆彦です。今日は、2021年10月12日(火)です。
 生方幸夫(うぶかたゆきお)議員が、9月23日に自分の選挙区の千葉県松戸市の集会で、発言した「拉致(らち)被害者は生きていない」は、正直であり真実である。

 私、副島隆彦は、生方議員の発言を支持する。彼は、今、ひとりで追い詰められて、議員辞職まで自分の所属する立憲民主党から勧告されている。ヒドい話だ。政治家が、真実を口にしたら、袋叩きにされる国だ。その背後に、何が隠されているのか。

 以下に載せる新聞の記事の通り、生方議員が言った 「「横田さんが生きているとは誰も思っていない。自民党の議員も」とした上で、「拉致問題、拉致被害者は今、現在はいないと捉えられる、政治家は皆そう思っているということ」などと発言した 」のとおりである。これが真実だ。それなのに、どうして、真実を言うことが、今の日本国では、激しいタブー(禁忌、きんき)の嵐の、バッシングを受けるのか。まず、このことで意図的に騒ぎ始めた産経新聞の記事をしっかり読んで下さい。

(転載貼り付け始め)

● 「「拉致被害者は生きていない」と立民・生方氏 家族会など抗議」
2021年10月11日 産経新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/865966d00892678b001c4c50a5aee3ffe0995be2

 立憲民主党の生方幸夫衆院議員(比例代表南関東ブロック)が、9月に千葉県松戸市で行った会合で、北朝鮮による日本人拉致問題について「日本から連れ去られた被害者というのはもう生きている人はいない」などと発言したとして、拉致被害者家族会と支援組織「救う会」は9月11日、発言の取り消しと謝罪を求める抗議声明を出した。

 声明では「すべての拉致被害者の救出のため心血を注いできた被害者家族、支援者、被害者自身の生命に対する重大な侮辱であり冒涜(ぼうとく)だ」と非難した。
 救う会などによると、生方氏は9月23日、松戸市での会合で拉致問題について見解を問われ、横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=について「横田さんが生きているとは誰も思っていない。自民党の議員も」とした上で、「拉致問題、拉致被害者は今、現在はいないと捉えられる、政治家は皆そう思っているということ」などと発言した。

 また平成16年に北朝鮮が提出し、日本側が別人と鑑定しためぐみさんの偽の遺骨について「遺骨からDNAを鑑定して、それが横田さんであるのかないのかというような技術力はなかった」とした。

死亡の根拠について問われると、「客観的情勢から考えて生きていたら(北朝鮮は横田さんを)帰す。帰さない理由はない」と説明。「生きているのだったら何かに使いたい。1回も使ったことがないですから、残念ながら亡くなってしまっているから使いようがない」などと主張した。

一方、14年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めて謝罪し、帰国した5人の被害者について、北朝鮮に一度返すとした約束を日本側が守らなかったとし、「首脳同士で話をして決めたことも守らないなら、それはだめなのではないか」と述べた。

「拉致した当人は北朝鮮政府なのだから、責任を取らなきゃいけない」とする一方、「自分の意志で入ったが、もう自分の意志では出られなくなったという人を含めて行方不明者、拉致被害者というように言っている」と指摘。「日本国内から連れ去られた被害者は、生存者はいないのだと思う」と重ねて主張した。

これに対し、家族会などによる抗議声明では「生方議員は人の命に関わる重大な人権問題について、日本政府の基本的立場を否定して、北朝鮮の主張に賛同している」と批判。生方氏が所属する立憲民主党に対し、「生方議員発言を党としてどう考えるのか、ぜひお聞かせ願いたい」としている。
北朝鮮は14年9月の日朝首脳会談で拉致を認めて謝罪し、5人を帰国させた。だが、ほかの被害者については8人が「死亡」、4人が「未入境」と主張した。

2016年の日朝実務者協議ではめぐみさん本人のものだとする「遺骨」を提出したが、持ち帰った日本側は約1カ月かけてDNA型鑑定を進め、別人の骨であることを確認した。北朝鮮側は遺骨について「火葬した」と説明したが、通常の火葬よりも高温の1200度で焼かれていたことが判明。DNA型の検出を困難にしようとした可能性が指摘されている。

政府は拉致被害者の「死亡」を裏付けるものが存在しないとして、北朝鮮に誠実な対応を求めてきた。岸田文雄政権も拉致被害者全員の早期帰国を最重要課題に掲げている。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は、この問題では、今の自分の考えを書かない。それよりは、私が、今から3年前に、ここの重たい掲示板に書いた長い文章を載せる。 この文を読んで、皆で、じっくり考えてください。 この中の、2014年の記事の 「石井一(いしいはじめ)議員 「横田めぐみさん、とっくに亡くなっている。私は北朝鮮に精通している」」 の個所を中心に、しっかり読んで下さい。

私たち日本人は、ずる賢くなったり、狡猾(こうかつ)になったりしてはいけないのだ。 私たちは、北朝鮮政府とも、誠実に対話を続けなければいけない。そのために、わざと作られた、余計な障害を、自分たちで取り除く努力をしなければいけない。  以下の3年前の私の文章を、しっかり読んで下さい。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦です。  今日は、2018年5月15日です。
 今、今日のぼやきの方に に、新作映画「マルクス・エンゲルス」、原題は、Young Karl
Marx (「若き日のカール・マルクス」2017年作、岩波映画で公開 )を見た、私の批評文が載っています。私が、2月に試写会を見に行ったあと書いた。

 ・・・・・私が最近、不愉快なのは、日本政府(安倍政権)が、「トランプ大統領。日本の拉致問題も、シンガポールの米朝会談の議題に入れてね」と、まだ性懲りも無く懇願している、そのニューズ報道だ。ホントに拉致、拉致(らち、abduction アブダクション 誘拐 )で、もう10年間も無駄に騒いでいる。

(転載貼り付け始め)

日本人拉致事件 写真特集  時事通信

東京・新宿駅で開催された北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの写真展を訪れた母親の早紀江さん=2018年5月8日【時事通信社】

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。

2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している。

 早紀江さんは「悲しみの中で見る写真は言葉で表せられないほどつらい」と述べ、一刻も早い帰国を求めた。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。 横田滋(よこたしげる)、早紀江(さきえ)夫妻というのが、この運動の司令塔で、広告塔のようだが、もう、こういう偽(にせ)芝居、やらせのドラマはいい加減にして終わりにせよ。

 北朝鮮の国家犯罪としての拉致事件は、外交交渉としてこの20年間、ずっと協議された。そして終わりにすべきことなのだ。もう終わっているのだ。それを蒸し返し続ける、という、その腐った根性はどこからやって来るのか。

 ここでは、私、副島隆彦は、日本のリベラル派で、反(はん)安倍政権派の、温厚な日本国民の、知性がある人たちに、以下の知識・情報すなわち真実を分け与えます。さっさと事実を知りなさい。  

 1977年に、日本の海岸線で起きた一連の事件の拉致被害者たちは、もう、全員、死んでいる。拉致被害者は、全部で13人で、そのうち8人は、横田めぐみも含めて、1980年代に死んでいる。
残りの5人を、小泉純一郎首相が、北朝鮮を騙して、「里帰りだから」の策略を使って、2002年10月に連れ戻してきた。さらに、その子供たちも2004年5月に連れ戻した。このときに終わった。本当に終わっている。それを日本政府は、今も、ワーワー、虚偽の話をねつ造して騒ぎ続けている。これは国際社会に向けて、極めて見苦しい態度だ。 

 だから、北朝鮮政府がこの日本の外務省の嫌(やら)らしい態度に怒る。以下の北朝鮮政府の態度の方が正直だ。

(転載貼り付け始め)

●「 拉致問題提起を非難=北朝鮮「過去の清算回避」 」

2018年5月12日 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051200417&g=prk

 北朝鮮国営の朝鮮中央通信は、5月12日、日本人拉致問題について「解決された」と主張、日本政府の拉致問題提起を「誰かの同情を買い、過去の清算を回避しようとしている」と非難した。その上で、「過去の清算のみが日本の未来を保証する」と訴えた。

 6月12日にシンガポールで行われる金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領の初の首脳会談をにらみ、拉致問題を取り上げようとする動きをけん制する狙いがあるとみられる。同時に、「過去の清算」に向け、日本と対話する用意も示唆した。

 朝鮮中央通信は論評で、「全世界が近く開かれる朝米首脳の対面(米朝首脳会談)について、朝鮮半島の前向きな発展を主導し、明るい未来をつくるための第一歩と支持、歓迎する中で、日本だけがこの流れに逆らっている」と批判。「日本の反動層が既に解決された『拉致問題』を再び持ち出し、世論をあおろうとしているのは、朝鮮半島の平和の気流を阻もうとする愚かな醜態だ」と決め付けた。

 また、「 朝日(ちょうにち)関係は本質的に、被害者と加害者の関係であり、加害者が被害者に謝罪と賠償をしなければならないというのは、問題の初歩だ」と強調。戦時中の強制連行や慰安婦問題などを挙げ、「日本という国全体をささげても到底、賠償できない」と主張した。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。上記の記事の解説はしない。
 以下の記事を読みなさい。これが、日本のリベラル勢力、ちょっとは自分の頭で、考える力のある人は、しっかり読みさない。これが真実なのだ。この事実を、「拉致、拉致」で、わざと騒いでいる人間たちに突き付けなさい。「あ、バレたか」と顔が歪むから、自分の周辺にいる、「拉致(らち)騒ぎ人間」を自分で問い詰めなさい。

(転載貼り付け始め)

●「石井一(いしいはじめ)氏「横田めぐみさん、とっくに亡くなっている。私は北朝鮮に精通している」」
2014年8月30日 The Huffington Post
https://www.huffingtonpost.jp/2014/
08/29/hajime-ishii_n_5739914.html

 民主党の石井一(いしいはじめ)元(もと)国家公安委員長(80)は、8月29日、神戸市内で開いた自らの旭日大綬章(ぎょくじつだいじゅしょう)記念パーティーで、北朝鮮による日本人拉致問題について 「日本政府はいまだに横田めぐみさんらを返せと騒いでいるが、もうとっくに亡くなっている」と発言した。47NEWS などが報じた。

 「私は北朝鮮に精通している。それなのにまだ(交渉を)やっとるのは非常に違和感がある」と、現政権の対北朝鮮外交への不満を表明。「社会に大きな警鐘を鳴らす発言だが、皆さんの批判を問いたい」とも述べた。
 
(47NEWS=共同通信= 『「めぐみさんは既に死亡」 石井元公安委員長が発言』から 2014/08/29 )

 石井氏は、この4月、2014年の春の叙勲受章者に選ばれた。それを知った民主党の海江田万里(かいえだばんり)代表らの呼びかけで、パーティーが実現した。

 石井氏はこのパーティーの出席者に配布した「私の主張」と題した文書で、「北朝鮮が一度死亡と発表した方々を、改めて生存しているとする可能性は、とても低いのではないか」と指摘していたという。また、パーティー終了後の取材では次のように話していた。

 終了後の取材で「(めぐみさんらが)戻って来てくれれば非常にうれしいが、最高権力者が交渉で一度認定した事実を覆すことはあり得ない。冷静になるべきだ」と発言の趣旨を説明した。
 
(MSN産経ニュース『「めぐみさんは既に死亡」 石井元公安委員長が発言」より 2014/08/29 )

 元日経政治部記者で民主党員の宮崎信行(みやざきのぶゆき)氏は、石井氏が国家公安委員長に就いていた1994年に、日本の警察が、初めて朝鮮総連に対して家宅捜索を行っていることを指摘。石井氏が北朝鮮に精通していることを示唆した。

 石井一(いしいはじめ)氏は、55年体制崩壊の翌年、第80代羽田(はた)内閣の国家公安委員長として再入閣し、わずか2か月の在任期間でしたが、長年タブーだった朝鮮総連京都府連の家宅捜索に成功しています。
@47newsflash 民主党の石井一元国家公安委員長が「横田めぐみさんらを返せと騒いでいるがとっくに死んでいる・・・・  国会実況 国会中継 (@kokkai_live) 2014,年8月 29日

 横田めぐみさんを巡っては、北朝鮮側は拉致被害者の安否再調査で、めぐみさんのものとする「遺骨」を提出した。だが、日本側のDNA型鑑定で偽物であることが判明している。

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦です。 私は、政治家の石井一(いしいはじめ)氏と福岡市で、衆議院選挙の応援のあとの食事の席で話したことがある。立派な政治家だった。

 石井一(はじめ)議員は、神戸が地盤で風貌からしてもドスが効いたので、‘自民党内の 山口組 ‘と、畏怖(いふ)と悪名(あくみょう)で呼ばれた人だ。だが本当は繊細な感覚をした頭のいい政治家だった。 石井一は田中角栄に師事した政治家のひとりだ。 

 1992年の“自民党大分裂”のあとは、ずっと小沢一郎と行動を共にした。真に気骨のある政治家だった。だが、最後は、「 石井。そろそろ小沢から離れんかい。そうせんと、刑務所にいれたるど 」と、穢(きたな)い、竹下登(たけしたのぼる)系から、脅しあげられて、それで、「この歳で、拘置所、刑務所はきついなあ」で、最後に2011年頃、小沢一郎から離れた。
   
 下の方に、たくさん貼り付ける、時事通信の拉致被害者たちの顔写真、そしてその下の、解説文に必ず次のように書かれている。

「 「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、1986年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 」  

 北朝鮮政府は、日本政府から、この20年以上も、外交協議の場で、やいのやいとの、拉致、拉致を、言われ続けた。だから北朝鮮側が、ついに根を上げて2002年9月に、最高指導者の金正日(キムジョンイル)が、13人の日本人の拉致(誘拐 ゆうかい)の事実を認めて、日本政府に謝罪した。

そして「分かりました。彼らの骨とか遺品を集めます」で、2004年にまとめて出した。ところが日本政府は、「日本側で鑑定した結果、これらの骨は本人たちのものではない」と北朝鮮に回答した。それが2004年11月だ。この問題で誠実に対応した北朝鮮は、当惑してそして怒った。当然だ。

 この時の北朝鮮政府の正直な態度に対して、日本政府(外務省)は「これらの大量の人骨が、真正(しんせい)であるか、分からない」 と、決断して、このあとも「拉致、拉致」で、騒ぎ続けることに決めた。なんという、悪質な態度であることか。 朝鮮人たちが、またしても怒るはずだ。だから今度の「6カ国協議」の再来(さいらい)版に、日本は入れて貰(もら)えない。

 あまり拉致、拉致と騒がなくなった。テレビも騒がない。騒いでいるのは、外務省の発表だけだ。なぜなのか、ここに謎があるが、私、副島隆彦はだいたい解明している。それは。後ろの方に載せる新聞記事に表れている。

( この記事は、北朝鮮問題の専門家の辺 真一(ピョン・ジンイル)氏が書いた文です。朝日新聞 2017年3月27日に載った、「日本人拉致事件」日本大百科全書(ニッポニカ)の文章です。 文が長いので、副島隆彦があと少し書いた後に載せます。)

 副島隆彦です。だから、ポンペオ国務長官の発言 と同じく、日本外務省が、拉致、拉致、 と言い続けるのは、北朝鮮での体制変更が起きて、そのあとに、復興計画を含めて、和平交渉( peace talks ピース・トークス) が、始まって、それが、やがて65年経っての、平和条約( peace treaty ピース・トリーティ)へとつながる。

 朝鮮戦争が、休戦=停戦して、 1953年に結ばれた休戦協定( cease-fire agreement シース・ファイア・アグリーメント)と、和平交渉、平和条約が、どう、ちがうか、を分かっている、日本知識人が、ほとんどいない。 休戦協定のまま、現在まで続いているのだ。これを、急に平和条約には、出来ない。 1953年の休戦協定は、北朝鮮と韓国が、合意したものではない。中国(ホウトクカイ将軍)と、国連軍の司令官の米国将軍が、結んだ。

 だいたい、平和条約(ピース・トリーティ)は、= 戦争終結条約 のことなのだ。このことを、日本人の知識層でも知らない。

 だから、北朝鮮との和平交渉(ピース・トークス)が始まった時に、日本政府は、北朝鮮政府から持ち出される、「日韓併合(にっかんへいごう)」 の時以来の、 植民地支配で、北朝鮮が、受けた多大の苦難と、死者と、多くの政治弾圧とかへの補償=損害賠償をしなければ済まない。

 その金額は、おそらく、5兆円(500億ドル)ぐらいだろう。そのうちの1兆円とかを、負けてもらうための、「あなた(北朝鮮政府)も、拉致問題という国家犯罪をした」で、その交渉の材料として、相手に、打ち返す、撃ち返すミサイル として、外務省はこの拉致問題を言い続けるのだ。 分かりますか?

以下に資料として貼り付ける。みんな、よく読んで真実を知るべきだ。 副島隆彦記 

(ここから資料、 転載貼り付け始め) 


出典:朝日新聞 2017年3月27日
「日本人拉致事件」  日本大百科全書(ニッポニカ)

 北朝鮮によって、一般の日本人が拉致(らち)された事件。
 日本人拉致に関する疑惑が初めて日本のマスコミに大きく取り上げられたのは、1987年(昭和62)11月に発生した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)が北朝鮮の工作員育成機関である金正日(キムジョンイル)政治軍事大学で日本から拉致された「李恩恵(りおんけい/リウネ)」なる日本人女性から日本語を教わったと証言したことによる。

 日本政府は警察の調査に基づき「李恩恵」なる女性が1978年(昭和53)6月に失踪(しっそう)した田口八重子(たぐちやえこ)の可能性が高いとして、1991年(平成3)5月、第3回日朝国交正常化交渉の場で北朝鮮に対して初めて日本人の拉致に関する問題を提起した。

しかし、この問題は本交渉の議題とはされず、非公式協議に回された。その後、日本の追及に北朝鮮側が「共和国に対する侮辱であり、会談の破壊行為である」と猛反発したことで1991年1月にスタートした日朝国交正常化交渉は1992年11月の第8回交渉で中断する事態に至った。

 5年後の1997年には、新潟市内で1977年(昭和52)11月に失踪した横田めぐみが北朝鮮に拉致されていたことが韓国に亡命した北朝鮮の元工作員の証言で判明。北朝鮮に拉致された日本人の数は、日本政府が認定しただけでも、有本恵子(ありもとけいこ)らヨーロッパ旅行中に拉致された3人も含めて8件11人に上った。

 日本人拉致に関する問題はその後、北朝鮮が「行方不明者としてならば調査する」と応じてきたことで、国交交渉が2000年(平成12)4月から再開されたが、北朝鮮の回答は「(行方不明者は)わが国にはいないことが判明した」と否認で一貫していた。

 拉致に関する問題が急展開したのは、2002年9月17日の首相小泉純一郎の訪朝による日朝首脳会談の場である。

 自ら「拉致はしていない」と否定していた総書記金正日は一転して、「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走って行った」と拉致の事実を認め、謝罪した。拉致の目的については「一つは、特殊機関で日本語の学習ができるようにするため、もう一つは人の身分を利用して南(韓国)に入るためである」と述べ、工作員に日本語を教えるため、あるいは日本人になりすまして韓国に侵入するためとする日本での定説を追認した。

 そして、日本が安否確認を要請していた8件11人については「5人が生存し、8人が死亡した」と通告してきた。生存者は蓮池薫(はすいけかおる)、奥土祐木子(おくどゆきこ)夫妻、地村保志(ちむらやすし)、浜本富貴恵(はまもとふきえ)夫妻、曽我(そが)ひとみ、死亡とされたのは有本恵子、石岡亨(いしおかとおる)、市川修一、田口八重子、原敕晁(はらただあき)、増元(ますもと)るみ子、松木薫(まつきかおる)、横田めぐみであった。

 拉致被害者が13人に増えたのは、1980年(昭和55)にヨーロッパで相次いで失踪した石岡亨、松木薫、それに1978年8月に新潟の佐渡島(さどがしま)で失踪した曽我ひとみが含まれていたからである。石岡、松木の両人については拉致と認定されていなかったために日本政府の安否リストから外されていたし、曽我に関しては日本政府は把握さえしていなかった。このほかにその後、日本政府が認定した拉致被害者として久米裕(くめひろし)、曽我ミヨシの2名がいるが、北朝鮮はその安否について言及していない。

 日朝首脳会談、そして5人の生存者の帰国後の2002年(平成14)10月29日から2日間、マレーシアで開かれた日朝国交正常化交渉で、日本は拉致事件の解決、すなわち生存者およびその家族らの日本への永住帰国、死亡扱いされた8人に関する安否の再調査を求めたが、北朝鮮は「順調に解決されつつあった拉致問題を日本側が複雑にした」と日本を激しく非難し、帰国した5人の拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだという、日本にとってはとうてい受け入れがたい主張を繰り返した。

 その後、被害者をめぐる交渉が膠着状態となり、具体的な進展がまったくみられなくなっていたが、2004年(平成16)5月22日、小泉が再度訪朝、金正日との会談の結果、拉致被害者5人の家族8人のうち、地村夫妻と蓮池夫妻の子供計5人が日本に帰国した。曽我ひとみの夫は元在韓国米軍の兵士で、北朝鮮に亡命したとされており、来日した際にアメリカから訴追される可能性があるとして、当初は2人の子供とともに来日を拒否した。

 しかし、2004年7月曽我と夫、子供2人はインドネシアでの再会を経て、帰国・来日した。5月の会談の結果については、不可解な状況下で死亡したとされている10人の拉致被害者については日本側も参加した調査機関の設置も念頭に置きつつ、再調査を行うこととなった、との政府による説明がなされた。

 その後、開催された日朝実務者協議(2004年8~11月、北京)、日朝包括並行会議(2006年2月、北京)では具体的な進展はなかったが、拉致問題に関する国際的関心は高まり、2005年12月国連総会本会議では「北朝鮮の拉致を非難する決議」が採択された(2006年12月拉致禁止条約が成立)。2006年4月には拉致被害者の家族が、アメリカ下院外交委員会公聴会およびアメリカ大統領ブッシュとの面会で、拉致被害の深刻さと解決の重要性を訴え、アメリカ関係者・世論の共感を得た。

 また2008年8月の実務者協議では、拉致被害者の再調査を行うことで合意した。その後も、日本政府が認定した拉致被害者計12名(前述のほか2005年4月に田中実を、2006年11月に松本京子を認定)の安否について、北朝鮮側より納得のいく回答を得ておらず、今後とも、日本政府は真相究明、被害者の即時帰国、拉致実行犯の身柄引渡しを強く要求し、拉致問題の解決を図っていくこととしている。[辺 真一(ピョン・ジンイル)]

『横田早紀江著『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(2000・草思社) ▽八尾恵著『謝罪します』(2002・文芸春秋) ▽蓮池透著『奪還 引き裂かれた二十四年』(2003・新潮社) ▽北朝鮮による拉致被害者家族連絡会著『家族』(2003・光文社) ▽横田早紀江他著『ブルーリボンの祈り』(2003・いのちのことば社フォレストブックス) ▽和田春樹著『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(2005・彩流社) ▽チャールズ・R・ジェンキンス著、伊藤真訳『告白』(角川文庫)』

  日本人拉致事件 写真特集 時事通信

 東京・新宿駅で開催された北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの写真展を訪れた母親の早紀江さん=2018年5月8日【時事通信社】

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している。
 早紀江さんは「悲しみの中で見る写真は言葉で表せられないほどつらい」と述べ、一刻も早い帰国を求めた。


 拉致被害者の横田めぐみさん[横田めぐみさんのご両親提供]

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(1977年04月撮影) 【時事通信社】

北朝鮮で撮影された20歳前後の横田めぐみさんとされる写真。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した。94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】


 北朝鮮が提供した拉致被害者の横田めぐみさんとみられる写真[横田滋さん提供]

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】


北朝鮮が提供した拉致被害者の横田めぐみさんとみられる写真[横田滋さん提供]。めぐみさんの影と背景の樹木の一部に影の向きが違っている部分があり、合成された疑いもある。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。

「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産した、が、94年4月に自殺したと主張している 【時事通信社】


横田めぐみさんの娘と確認されたキム・ヘギョン(ウンギョン)さん。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。
「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(2002年09月30日) 【時事通信社】


北朝鮮・金剛山で、父方の祖母らとの面会にやってきた横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョン(ウンギョン)さん。

 1977年11月15日、新潟市で下校途中の中学1年横田めぐみさん=当時(13)=が失踪。97年、めぐみさんは北朝鮮にいるとの情報が寄せられ、政府は同国による拉致被害者に認定した。2002年9月、日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。
「遺骨」とされる骨も渡されたが、鑑定で別人と確認された。北朝鮮側は、86年に結婚し翌年娘キム・ヘギョン(ウンギョン)さんを出産したが、94年4月に自殺したと主張している(2006年06月29日) 【AFP=時事】


 拉致被害者の田口八重子さん。八重子さんの兄の飯塚繁雄さんが外務省に資料提供した写真。

 北朝鮮政府は、田口さん=当時(22)=は1978年6月29日、宮崎市の青島海岸から北朝鮮工作員に連行されたとしている。2年後に同じ青島海岸から拉致された原敕晁さん=失踪当時(43)=と、北朝鮮で84年10月に結婚。2人の間に子供はいなかったという。

北朝鮮政府は、田口さんは86年7月、乗用車で帰宅途中にトラックとの交通事故に遭い、死亡したとしている(1977年10月0日) 【時事通信社】


韓国当局が発表した大韓航空機事件の容疑者・金賢姫の教育係「李恩恵(リ・ウネ)」のモンタージュ写真。
78年6月に北朝鮮に拉致された田口八重子さんは、81~83年の約20カ月間、「李恩恵」の名で金元工作員と生活し、日本語などを教えたとされる 【時事通信社】


拉致被害者の原敕晁さん。失踪前の1970年代、大阪で撮影された写真。

 大阪市内の中華料理店で働いていた原さん=失踪当時(43)=は、1980年6月17日に宮崎市の海岸に誘い出され、北朝鮮の工作員に拉致されたとされる。
 北朝鮮政府は、原さんは北朝鮮に入国後、84年10月に同じ拉致被害者の田口八重子さんと結婚した、が、86年7月19日、咸鏡北道麟山郡で肝硬変で死亡したと説明している 【時事通信社】


拉致被害者の松本京子さん。[特定失踪者問題調査会提供]
 松本さん=失踪当時(29)=は、1977年10月21日午後8時ごろ、編み物教室に行くため外出。近所の人が自宅近くで、松本さんとみられる女性が男2人と話しているのを目撃し、声を掛けたが、殴られて負傷した。男らは海岸方向に向かい、松本さんは行方不明となった。

北朝鮮政府は2004年11月の実務者協議で、松本さんについて「入国は確認できなかった」と回答していたが、日本政府は06年に北朝鮮による拉致事件と断定した 【時事通信社】


 拉致被害者の松本京子さん(撮影日不明)。
 松本さん=失踪当時(29)=は、1977年10月21日午後8時ごろ、編み物教室に行くため外出。近所の人が自宅近くで、松本さんとみられる女性が男2人と話しているのを目撃し、声を掛けたが、殴られて負傷した。男らは海岸方向に向かい、松本さんは行方不明となった。
 北朝鮮政府は2004年11月の実務者協議で、松本さんについて「入国は確認できなかった」と回答していたが、日本政府は06年に北朝鮮による拉致事件と断定した 【時事通信社】


拉致被害者の久米裕さん(撮影日不明)。

 警備員として三鷹市で勤務していた久米さん=失踪当時(52)=は1977年9月、休暇を取得中に上司へ電話をかけ、「宇奈月温泉(富山県)にいます。休みが終わったら、出勤します」と話した後、連絡が途絶えた。

警察の捜査によると、久米さんは知り合いの在日朝鮮人に石川県の宇出津海岸に誘い出され、迎えに来た北朝鮮の工作船に乗せられ拉致された。北朝鮮側は久米さんについて「入国していない」と回答し、安否は確認されていない 【時事通信社】


拉致被害者の曽我ミヨシさん(撮影日不明)。
 曽我さん=失踪当時(46)=は1978年8月、娘のひとみさん=同(19)=とともに新潟県佐渡島の自宅近くの海岸で北朝鮮の工作員に拉致された。ひとみさんは2002年に帰国したが、北朝鮮政府はミヨシさんについて「入国を確認していない」と回答し、安否は確認されていない 【時事通信社】


拉致被害者の有本恵子さん(撮影日不明)。

 有本さん=失踪当時(23)=はロンドン留学中の1983年、よど号ハイジャック事件のメンバーらによってデンマークのコペンハーゲンに誘い出され、そこから北朝鮮に拉致された。
北朝鮮政府は、有本は85年12月に同じ拉致被害者の石岡亨さんと結婚、翌年娘を生んだ、が、88年11月4日にガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の石岡亨さん(撮影日不明)。

 石岡さん=失跡当時(22)=は欧州滞在中の1980年に失跡。北朝鮮政府は、同国の工作員が日本語教師の獲得のため石岡さんを拉致したことを認めた上で、85年12月に同じ拉致被害者の有本恵子さんと結婚し、娘をもうけたが、88年11月4日にガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の増元るみ子さん(撮影日不明)。
 増元さん=失踪当時(24)=は1978年8月、当時交際していた市川修一さんとともに鹿児島県日置市の海岸で、北朝鮮工作員に拉致された。
 北朝鮮政府は、増元さんは入国後の79年4月20日に市川さんと結婚したが、81年8月17日に心臓病で死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の市川修一さん(撮影日不明)。

 市川さん=失踪当時(23)=は1978年8月、当時交際していた増元るみ子さんとともに鹿児島県日置市の海岸で、北朝鮮工作員に拉致された。
 北朝鮮政府は、市川さん入国後の79年4月20日に増元さんと結婚した、が、同年9月に海水浴場で心臓麻痺のため死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の松木薫さん(撮影日不明)。

 熊本市出身の松木さん=失踪当時(26)=は語学の勉強のために滞在していたスペインで1980年5月ごろ行方不明になった。松木さんはスペインで知り合った石岡亨さんとともにウイーンへ行き、そこで拉致されたとみられている。

北朝鮮政府は日本政府に対し、松木さんは96年に交通事故で死亡したと説明した 【時事通信社】


拉致被害者の田中実さん(撮影日不明)。

 神戸市出身の田中さん=失踪当時(28)=は同市内のラーメン店で働いていた78年6月6日、成田空港からウィーンに向けて出国し、そのまま消息不明となった。
日本政府は2002年10月の日朝国交正常化交渉の際などに、田中さんの所在確認を要求していたが、北朝鮮側は「入境が確認できない」と返答していた 【時事通信社】

(資料の 転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。私には、もうこれ以上、今は何も言うことがない。 副島隆彦拝