[3243]コロナ脳はデモクラシーも破壊
会員の一柳 洋です。
まず8月29日に行われた「コロナ前を取り戻そう・・・医師、専門家、市民によるシンポジウム」には学問道場会員も参加され、何人かの方から声をかけて頂き、有り難うございました。
公会堂には正体不明の女から「マスクをしない団体の集まり」に会場を貸すのはおかしいなどの妨害行為もありましたが、無事に開催を終わり、200名を超える参加を頂き、且つまた多くの方からカンパを頂くなど熱い支持を受けました。
なお当日の様子はhttps://info423665.wixsite.com/koewoageyo2021市民の会のHPに昨日、動画をアップをしていますので、関心のある方はご覧下さい。
デモクラシー崩壊を誰も指摘しない
8月29日のシンポでも指摘しましたが、あと2ヶ月後には行われる総選挙ではコロナ前の暮らしを取り戻したい主権者は投票先がありません。
是は民主政体を構成する政党や議員に、私達の思いを託せる選択肢が無いわけで、デモクラシーの崩壊です。私は投票権を持って半世紀たちますが初めて遭遇する事態です。
しかしこの大問題を政治学者もコロナ脳にかかってか、指摘しません。
副島さんは、デモクラシーを「民主主議」と訳すのは誤訳で、デモクラシーは民主政体であると早くから指摘されています。
2010年3月に刊行された『決然たる政治学への道』の北一輝による「国体(こくたい)」の復活論の章において、国家主権者(sovereign ソヴリン)を論じていく中の、112ページの指摘は、目から鱗で読みました。以下そのところを紹介します。
現在の国民主権なる訳の分からないコトバに比べれば、「君主主権」すなわち国王がその国の全てを所有すると言う考えの方がずっと明瞭である。この国家主権(国家を支配する地位、権限)あるいは、これをもっと短く主権(しゅけん)と言うが、これを、フランス語でも英語でも、sovereignty ソヴリーンティ という。
「国民主権」とは「国民みんなに主権がある」などという、よく考えてみれば、一体どういうことなのか、分からない理論だ。国民みんなに主権が有る、だから、「国民が国家の支配者」などという愚かな理論が何故作られてしまったか。
※ 正しくは「デモクラシーにおいては選挙で選ばれた国民の代表者達(議員、議会)が主権者である」と解釈すべきである。 引用終わり。
※印のところは、現憲法下の日本では「主権者」国民は国政においては、その代表者たち(representatives レプレゼンタィブズ)を選挙(衆参選挙)で選んで、彼らに主権(sovereignty ソヴリーンティ)の行使をさせる。すなわち内閣は行政執行権、各議員は質問権、議決権を国会で行使する、となるわけです。
それでも、是までは「よりまし論」でも、何とかこの候補や、この政党にいれようとの信託先がありました。しかし今回の選挙では、出来もしないゼロコロナを振りかざし続け、感染拡大防止と称してPCR検査を金科玉条にして陽性確認をほじくり出し、無症状を発症者扱いする狂気と、軽症者に治療もしない放置隔離で重症者を作り出し、併せて医療逼迫を演出して、それで 私権制限を「合法化」し、混乱を継続をさせている政党ばかりなので、投票先がありません。
特にどうしようもないのが立憲民主から共産、れいわに至るまでの野党です。
コロナ騒動を1年7ヶ月も続けて、国民が疲弊している時にこそ、野党は国民の側に立って、違憲状態の自粛強要や営業権侵害をやめさせるせるべきなのに、自公と愚策の競い合いしか出来ない。これが護憲や立憲主義、リベラルを名乗る野党連中の実態である。このことが明確になりました。
まあシニカル(皮肉的)に言えば、この状態は同著の同ページで副島さんが指摘される、もし国民政治のデモクラシーの実質が失われて「虚(きょ)」になるなら「本当は真の支配者は別にいるのだ」という真実が暴かれる。という事になります。
しかしこれに気づく国民はごく少数だから、コロナ騒動の収束は真の支配者が時の政権に「愚策を止めても良いよ」と指示しない限り続くと言うことになります。それが属国日本であると言うことでしょう。
しかし私としては総選挙という国民の意志を示す時に、この愚かな状況を作っている国会議員と政党に何も言わないのは全くシャクだから、お前らがデモクラシーを壊している! と声をぶつけたいと思う次第(しだい)です。