[323]3月19・20日の報告文2

栃木・石井 利明 投稿日:2011/03/24 12:17

こんにちは。
石井 利明です。
引き続き、福島第一原発に関係する20日の出来事を報告します。

19日の調査では、郡山の西条(にしじょう)タクシーのKさんに、大変お世話になりました。
先生は、初日の調査が終わる際に、翌日、20日の調査もKさんにお願いしたのですが、一日交代の勤務シフトなので無理。そこで、同僚のEさんを紹介してもらいました。

お二人の協力がなければ、今回の調査は不可能でした。
ありがとうございました。

また、ありがたいことに、20日は、郡山在住の学問道場の会員で、先生の古くからの友人のTさんに、日曜日ということもあり、ご協力していただけました。
やはり、地元の土地勘のある方が、居ると安心できます。
昨日とは、雲泥(うんでい)の差です。

20日の調査は、郡山の北東に位置する伊達郡川俣町から始まりました。
災害対策本部を訪ねると、毛布・マスク・非常用飲料水が並んでいました。

・川俣町 非常用飲料水

隣には、会津交通のバスが待機中です。これから、会津方面に避難するのでしょう。
しかし、まだ、避難する人たちは乗車していません。避難するには、放射能に汚染されていません、という証明書が必要なのです。
その証明書をもらうために、体育館で測定が行われていました。

災害本部を離れる前に、本部長さんから話をうかがうことが出来ました。
「トラックの運転手が、福島に行くことを拒んでいるらしいので、物資がなかなか補給されない」
本当に困っている様子でした。

・川俣町 災害本部長と副島先生

実際、前日に、那須塩原駅でも栃木の地元の運転手は、先生が「郡山に行って下さい」と言っても。
「福島には行かない!」と、にべもなく断わられました。並んでいるタクシー全部にです。

川俣町を出発して、次に目指したのは、南相馬市です。
30キロ圏に達すると、昨日より凄いことに、看板は立っていましたが検問所すらありません。人が居ないのです。

今日は、北側から原発に近づくことにしました。
海岸線が近づくと、昨日同様、瓦礫(がれき)に埋め尽くされています。

私たちは、瓦礫を避けるように国道6号線を南下しました。
6号線は、いたる所に陥没(かんぼつ)や亀裂(きれつ)が生じています。
私たちは、それを避けながら、なんとか、浪江町(なみえちょう)に、ちょうど12時に到着。

・浪江町 河口付近

人の気配は全くないのですが、浪江町には、電気が通っている箇所もあって、お店の電気が、煌々(こうこう)と点いていて、半壊したお店からはスピーカーから音が漏れていました。なんとも、不思議な感覚に、またも、襲われました。
町の方は、本当に、取るものも取らず避難したのでしょう。

測定を開始すると、20~30マイクロシーベルト毎時(μSv/h)の値が表示されます。
原発からの位置は、昨日と同じ、8キロ位です。
写真では、23.08マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。

・浪江町 測定状況

私たちは、道が許す限り、ずんずん、南下して双葉町へ。
道路が隆起(りゅうき)して6号線では、これ以上、進むことが出来ない所で、初めて、100マイクロシーベルト毎時(μSv/h)の値を確認しました。
見づらいでしょうが、写真では、70.34マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。

・双葉町 国道6号線

ここから、6号線を離れ、双葉町の中心街を目指しました。5キロ圏内です。
さすがに、ここまで来ると、測定値は、常に100マイクロシーベルト毎時(μSv/h)以上を指します。
写真では、106.9マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。

・双葉町 市街地数値1

私が、確認した最大値は、240マイクロシーベルト毎時(μSv/h)でした。
わき道も、これ以上、進むことが出来なくなり、ここで引き返しました。
その時の数値は、133.3マイクロシーベルト毎時(μSv/h)です。
今日も、東電の発表の数値と私たちの測定した数値は一致した、と私は確認しました。

・双葉町 市街地数値2

ただ、地理的な関係で、原発を目視することが出来なかったことが残念です。
19日より、確実に近いところであっただけに、写真に収めたかった!

私は、今回の調査を行い、改めて、“事実を知れば強くなる”という言葉を実感しました。
以上

石井 利明拝