[3218]『英文法の謎を解く』について

中山裕之 投稿日:2021/08/10 13:31

『英文法の謎を解く』は、私にとって副島思想・学門の始まりの書です。

この書を読む前に、日本は敗戦後ずっと、正真正銘アメリカの支配下にあるという現実を、ずっと考えないようにさせられていることに、強い不満を持っていました。

とくに言語による支配、つまり正しい英語を習得させないようにし、世界においては目暗・方向音痴にさせられていること。また英語とは、私見で、キリスト教の影響が強く、I(アイ、私)は創造主に対してではないか、など、様々なことを勝手に考えていました。ですので、この書を手にしたときの衝撃はすさまじく、圧倒的な知性に感動し、これこそ本物の学門であると考えました。

この本から、副島先生の「属国日本論」を知り、私は「日本なんてアメリカの植民地だ」という見解からより深化して、覇権国・帝国の従属国・属国のうちの一つである、という真実を学ぶことが出来ました。

世界の真実を知るために、主体の私とは、またその精神とは何かという問いに対して、世界覇権国の言語である、英語 mind。これを日本の知性で、どう受け取るのか。当時も今も、この本によって深く学ぶことができ、これこそ根本問題であることを再認識出来ました。

しかし私は、精神とはなにか、については未だにわかりません。
歴史を見るに、人類は精神のありかを深し続け、腹(ハラ、下腹部)から胸、胸からついに頭・脳にたどり着き、古代、先史においては、腹よりも下の性器、人間の精神よりも、大自然、繁殖を重視したと考えます。

荘子の「胡蝶の夢」実体と精神のどちらに私の主体があるのかという問いに対して、どちらにもあるという結論をだすものの、私が精神について考えるには、海や宇宙を見るようなおおらかさも、必要なのではないか、と感じるようになりました。