[3179]熱海の土石流の災害のこと。私は無事です。

副島隆彦 投稿日:2021/07/04 07:01

副島隆彦です。今日は、2021年7月4日(日)です。

 私が暮らしている、静岡県 熱海市の北で、3日の午前11時半頃に起きた土石流(どせきりゅう)の災害で、多くの人から安否気遣いの連絡をいただきました。有り難う御座います。私は無事です。私の家は、災害地から5キロぐらい離れています。

(ここに、記事の 現地の地図の画像を貼り付ける)

 
 私は、昨日は、東京で仕事をしたあと、午後3時頃、無事、熱海の家に帰り着きました。新幹線は2時間遅れで、動き始めていました。 私の家は熱海市の熱海駅から南に3キロの山の中腹です。

 日本列島に滞留した梅雨前線が厚い帯状になっている 雨雲が、今もずっと降り続いていて、あちこちで小さな土砂崩れを起こしているでしょう。日本は、多雨(たう)性の災害国家です。地震と津波と台風による被害が、これからもずっと続きます。

 日本史の年表をずっと見ていると、中世(平安時代、室町時代)も、ずっと、数年にいっぺんぐらいずつ地震と風水害が続いています。これは、この国に生まれた私たちの運命だ。私たちは、この運命を引き受けて生きて行く。少数の人が災害で死ぬが、生き残った多くの人は、また、何ごとも無かったかのように、生きて行く。これは、人間世界の自然法則(自然の掟。 natural law ナチュラル・ラー)であり、動物の法則 だ。

 この熱海土石流の災害を機会に、いろいろと私が、身近に思いつくことを、熱海の歴史、観光案内を兼ねて、書いておきます。

 昨日(3日)の午前11時半(10時半とも報道された。どうもこっちの方が正しいようだ)に、この土石流が起きた。それを、生々しく伝える 住民がスマホで撮影された映像が、全国に報道されたので、日本国民の関心が集まった。 いや、世界中に報道されたようだ。すばらしい映像作品のような、災害の瞬間を捉えた映像だ。数名の死者とあと不明者が20人ぐらいいるという。

 私は、この災害現場の辺りをよく知っている。伊豆山(いずさん)という地区で、熱海駅から直線で2キロぐらい北に行った所だ。

 ここには、伊豆山神社という小さな祠(ほこら)がある。有名な神社だ。だが、社務所もなくて、誰も日常的には管理していない荒れた神社だ。皆さんも一度いらしてください。この神社の下(した)辺りが崩れたのだろう、と私は、最初、想像したが、そこよりは、もっと斜め下だった。 

 伊豆山の別荘地は、ずっと、この崖のような一帯に、へばりつくように、建てられていている。明治大正には、大金持ちたちが建てた別荘だ。かつての岩波書店の、作家たち向けの別荘だった、せきれき荘は、今は、佐伯泰英(さえきやすひで)氏という時代小説の大衆小説家が住んでいる。

私は、岩波書店の創業者の 岩波茂雄(いわなみしげお)の、女婿(じょせい。娘の婿=むこ=)の
小林勇(こばやしいさむ)が、書いた、「せきれき荘日記」という希有な本を読んでいる。岩波書店の恥部というか、秘密がそれとなく書かれている。 おい、こら。今の岩波書店の 社長の
岡本厚(おかもとあつし。私より2級上で、早稲田大学の時、知っている )よ。なんで、私、副島隆彦に、一本も、原稿を書かせないのだ。 許さん! 岩波書店。

 土石流の現場から、海にまで続く、谷沢(たにざわ)沿いに、今度の土石流は流れていっている。海沿いは、熱海ビーチライン(旧国道)という 観光用の道路がある。ここに、伊豆山港(いずさんこう)という小さな、それこそ10隻ぐらいの漁船がいるだけの港がある。この辺りに死体が2体、流れ着いている。 

 私は、昨年(千葉県に大きな被害を与えた)と 一昨年の、2つのヘンな台風が、伊豆半島を直撃した。その 直撃の後、この伊豆山漁港を見に、車で谷川のような渓谷をくだっていった。まだ台風の大波の余波 が岸壁にドドーンと打ち寄せていた。走り湯(はしりゆ)という観光名所があって、岩肌の洞窟の奥に、お湯が、ぶつぶつと沸いているだけの場所だ。これが、前述した、崖から海に向かってドドドと流れ落ちていた温泉の 名残(なごり)だ。

 伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、源頼朝(みなもとのよりとも)と、北条政子(ほうじょうまさこ。後の尼将軍)が、逢い引きをした神社と言われる。政子は、親に無理やり結婚させられた婚家を脱出して(20歳)、頼朝と結婚した。 激しい駆け落ちのようなもので、、ああホントに、ものすごい女だなあ。

 この伊豆山神社が、なぜこの小さな神社が、有名か、というと、この下の方から、滝のように、海に向かって、温泉が吹き出して、何百年も流れていたからだ。それは、「龍(りゅう、たつ)の口」に描かれて、人々に感動を与えていたはずだ。

 来年のNHKの大河ドラマは、「鎌倉殿(どの?)の13人」とかいう、北条氏を描いたドラマらしい。私は、沼津の土豪、悪党(あくとう。という)から、源氏の棟梁(とうりょう)の頼朝(よりとも)を担いで這い上がった北条氏のことも調べて知っている。

 北条氏は、優秀な家系だ。御成敗式目(ごせいばいしきもく)という武家が、能力の限りを尽くして、京都の公家に負けない法律(今の憲法、憲法典だ)を作った。2代執権、北条泰時(ほうじょうやすとき)だ。尼将軍、政子の甥だ。 政子の父、時氏の 長男、義時(よしとき)は、政子よりも6歳下だ。

だから、長女である政子の方が、弟の、初代執権、義時に、あれこれ命令したはずだ。だから剛胆で強かった政子の方が、最高権力者である。夫、頼朝が挙兵した(1180年)「石橋山(いしばしやま)の戦い」(敗北。頼朝は海を越えて房総半島に敗走した)、このとき、政子は、まさしく上記の伊豆山神社に、逃れて来て隠れた。その当時は、ここを 湯走山(ゆばしりやま。後述する)と言った。

 だから、おそらく来年のNHKの大河ドラマの時に、この伊豆山神社が、ものすごく人気が出て、観光地として脚光を浴びるだろう。だから、歴史好きの人は、特に歴女(れきじょ)は、今のうちに早い者勝ちで、伊豆山神社に、参拝しに言ってください。まだ、本当にボロ神社の、荒れた祠(ほこら)です。すぐに、きれい、きれいになるでしょう。

 それでも北条氏は、それから150年後には、足利氏(かしかがし)に敗北して滅んだ。途中に、モンゴルが攻めてきた、元寇(げんこう)があった。7代?執権(しっけん)時宗(ときむね)の時。西暦1274年と、1281 年だ。NHKの大河ドラマでやった。

 そして、北条氏の世(鎌倉時代)から、次の室町幕府の足利氏(あしかがし)の時代が来る。それが、足利と、後醍醐天皇(1333年、建武の中興) との戦いを描いた、ぐちゃぐちゃの内紛の権力闘争の、「太平記(たいへいき)」の世界だ。

 ここで、教えておきますが、この鎌倉時代の北条氏と、 それから、300年後の、戦国時代の北条氏は、別ですよ。 戦国時代の、北条氏を、歴史学では、後(ご)北条と言います。この後北条の、初代の北条早雲(ほうじょうそううん。本名、伊勢の新九郎 )が、韮山城(にらやまじょう)を作った。この1550年ごろからの、(後)北条5代(このあと小田原を拠点にして、北関東まで、関東一円を支配した。だが秀吉に、1590年の小田原攻めで、滅ぼされた。この話は、もうしません。

 ここの伊豆山(いずさん)の温泉が崖から海に流れ出す この「龍の口」の、真上の場所に伊豆山神社が作られたのだ。熱海(あたみ)という地名は、この海に流れ注いだ、温泉で熱くなった海のことを指している。私は、身近なことから歴史研究もやる人間だから、ちょっと調べるといろいろの事に気づく。太閤秀吉も、徳川家康も、おそらく2回ぐらいずつ、この熱海の温泉に入りに来ている。

 東海道(とうかいどう)を、箱根を越えずに、わざわざ南に回って、おそらく、籠(かご)どころか、大きな平台の上に乗って、大勢の兵隊に担がれながらやって来ただろう。ここから山を越えて沼津に向かった。

 江戸時代の徳川将軍は、この流れ落ちる、熱海の温泉を大きな桶(おけ)に入れて、早舟で、ぐるりと江戸湾まで、そして江戸城に運び込んだと言う。到着する頃、丁度、よい湯加減だったそうだ。ホントかな?  おそらく、このような贅沢は将軍しか出来ない。

 江戸城の大きな石垣は、10トンぐらいの巨石まで、この伊豆半島や、房総半島の石切場から、切り出して大きな筏(いかだ)で運んで作っている。戦争という公共”破壊”事業の他に、こういう大きな公共事業(パブリック・ワーク)を、人類はする。兵力や労働量が余っていると、こういうことをする。人間(人類)というのは、共同幻想で生きている生き物だ。大きな建造物に、とにかく憧れるらしい。馬鹿なんだよ。

 箱根権現(はこねごんげん。という神社。芦ノ湖の北岸)に、祈願に行った帰りに、鎌倉幕府の三代将軍 源実朝(みなもとのさねとも。優れた歌人。彼で源氏は断絶)は熱海からずっと山の上にある、十国(じゅっこく)峠から、相模湾を見下ろして、有名な歌を詠んだ。

 箱根道(はこねじ)を 我(われ)越え来れば、伊豆の海や
 沖の小島(こじま)に、波の寄る見ゆ

 である。 この沖の小島とは、今の初島(はつしま)である。 金槐(きんかい)和歌集から。
 実朝(さねとも)は、出家して歌人になった元武士(佐藤義清、さとうのりきよ、28歳 )の西行(さいぎょう)法師にも学んだ。 新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)を編んだ 藤原定家(ふじわらていか)にも学んだ。

 母親の尼将軍、政子(まさこ)は、頼朝との間の子、2代将軍、頼家(よりいえ)と、その弟、実朝の2人を、我が子、実子 であるのに殺した。その子たちも殺している。そして北条家の世を作った。そして京都の公家たちを打ち破った。1221年、承久(じょうきゅう)の変。この時、京都の天子と公家を中心とした政治権力から、武家(ぶけ)の時代が確立した。

 政子は、すでに旦那の頼朝が落馬して死んで(1199年)、息子二人も、自分も加担して死んでいた。尼になっていたのに。 父親の北条時政(ときまさ)も追放した(1205年)。京都から、後鳥羽院(ごとばいん)の命令で、攻め降りてきた、公家の天皇軍に対して、「いざ鎌倉」で、関東一円から、馬を引いて駆け付けた鎌倉武士団 は、死ぬほど震え上がっていた。京都の天子さまに、逆らうことはできない。

 鎌倉武士団4万人が結集した 鎌倉の政所(まんどころ)、幕府(ばくふ)の大きなお白洲に、奥から出てきた政子、尼将軍が、大演説をした。「 皆の者。源氏(げんじ)累代(るいだい)のご恩顧を、なんと心得る 」と、大音声(だいおんじょう)で、のたまわった。

 関東武士団(地侍=じざむらい=、いつもは百姓)は、このとき、腕組みしたまま、涙を流しなから、全員で決意した。よし、京都から攻めてくる天皇の軍隊と、俺たちは戦う、と。それが、富士川の合戦である。決死の関東武士団(侍とは、身分の低い、さぶらい =土間に 這(は)い蹲(つくば)っている。京都の御所の北面(ほくめん)のガードマンから始まった。下臈=げろう=と呼ばれた。馬の口取りだ )は、京都の公家=殿上人(てんじょうびと)=)向かって、死ぬ気で襲いかかった。そして勝利して京都まで、攻め上がった。

そして六波羅探題(ろくはらたんだい)を、作って、逆に、京都の公家たちを次々に捕まえて、さらには、後鳥羽院(ごとばいん。上皇)を、隠岐(おき)に島流しにした。

 政子の息子で、長男坊の悲劇の2代将軍、頼家(よりいえ。短命 )は、伊豆の中央の 修善寺(しゅぜんじ。今は温泉地)の湯殿(ゆどの)で襲われて絶命した。修善寺の山肌に、鬱蒼とした、今も怨霊が立ちこめている頼家と従者たちの墓がある。 確か、そのそばに、夏目漱石が、大量の血を吐いて倒れた(胃潰瘍で)菊屋(きくや)という有名な旅館がある。

 北条氏は、このあと、京都から、宮将軍(みやしょうぐん)を招いて飾りとして上に置いた。彼らはボンクラだった。そのおじいさんたちは、極めて優秀な貴族だったのに(「愚管抄」と「梁塵秘抄」の著者 )。

 「右大臣実朝(うだいじんさねとも)」という、極めて優れた歴史小説を書いたのは、太宰治(だざいおさむ)である。太宰治は、確かたった38歳で死んでいる。熱海の旅館で、秀作を書いている。「ヴィヨンの妻」も「人間失格」も 「斜陽(しゃよう)」も、そうだろう。 三島由紀夫(45歳で自刃) も、よく熱海に来ている。それから、下田の東急ホテルに行っている。

 太宰治 は、戦争中に、甲府(甲州。今の山梨県 )の 御坂峠(みさかとうげ)の小さな峠の茶店ちゃみせ)の旅館にいて小説を書いた。それが、「右大臣(源氏、3代将軍)実朝(さねとも)」である。
この中に、

 「明るさは、滅びの姿であろうか。暗いうちは、人も世も 滅びはせぬ」

と書いた。日本はこんなバカな戦争をしていると、本当に滅ぶ、と書いたのだ。太宰のスゴさを日本人は今も知っている。

もうひとつ、 「富士には、月見草が、 よく似合う」 という 秀逸 なコトバが、ここで太宰治が書いた 「富岳百景(ふがくひゃっけい)」の中にある。

 今度の伊豆山(いずさん)の土石流災害は、国道135号線が、中腹にある。ここも土砂で埋まっている。自衛隊が出動しているので、すぐにこの道路は、復旧するだろう。この国道の逢初(あいぞめ)橋というところが、今度の土石流の中心だ。藍染(あいぞめ)と言うコトバと掛けている。 

 おそらく関東大震災(1923年、大正12)のあと、海沿いの道は危ない、と、日本政府(建設省)が、海抜(標高)70メートルぐらいのところに、山を削りながら道路を作ったのが、この国道135号線である。 これが、ずっと南下して、下田まで行っている。

 津波は、海抜70メートルぐらいまで上がると大丈夫、という建築学と防災学の知識で出来ているのだろう。公務員の技師たちは、自分たちが災害の時、責任を追及されないように、先を先を考えて“国家、百年の計”、で国土の建設をする。この長期の観点は国家官僚たちの優れた点だ。

 もう、これぐらいにしましょう。文学者、知識人、作家、言論人というのは、いろいろのことを自分の脳に、自然に勝手に、どんどん溜め込む生き物だ。谷崎潤一郎も、横山大観も、みんな、冬は、毎年、何十年も熱海に来て暮らしていた。谷崎と、齊籐茂吉(さいとうもきち)が、特権階級の人たちが疎開していた熱海で、「早く戦争が終わらないものか」と、話し込んでいるシーンを作ったNHKの番組がかつて有った。

 遠くの方(直線で100キロ先)の東京の大空襲(1945年3月10日。8万人ぐらいが焼死)のあとの様子だ。知識人というのは、このように、「こんなバカな戦争をして( いや、英米に、まんまと騙されて、策略に乗せられて)、国家指導者たちは間抜けだ」と、慨嘆することしか出来ない。今もそうだ。

もう、これぐらいにしましょう。
 私は、この熱海の土石流の映像を、テレビやネットの動画(映像)で見ている人たちが、全員、「共同幻想(きょうどうげんそう)」の中に生きていることに気づいている。

 すべては、共同幻想( mass illusion マス・イルージョン  × イリュージョン でない )だ。国家も、戦争も、宗教も、今の過ぎ去りつつあるコロナウイルスも、ワクチンも、人間という愚かな生き物が、共同にもつ幻想を上手く利用して、扇動する者たちが、捏造(ねつぞう)した策略、謀略だ。 誰が、こんな、馬鹿コロナ、馬鹿ワクチンなんかで、死ぬか。 

 テレビ、新聞の画像、映像も、おそらく共同幻想の、集団発狂状態を作り出して、国民、民衆は、いいように利用される。馬鹿だから。 私たちはすぐに騙されて扇動(せんどう)される。

 私は、今のアメリカ合衆国の金融と経済が、土石流のような、土砂崩れをもうすぐ起こすと、分かっている。 アメリカの住宅価格が、今、激しく高騰していて、30年前の日本(1980年代末)の “ 狂乱地価(きょうらんちか)” のようになっているいることを知っている。1日で売り家の値段が倍になる、ような発狂状態に入っている。

 コロナ対策金と、コロナ給付金(Corona subsidy コロナ・サブシディ)で、国民みんなに、2千5百ドル(25万円)を、何回も配る、という、ことをやっている。この巨額のジャブジャブ・マネー(金融緩和=きんゆうかんわ= QE キュウ・イー )が、もうすぐ、アメリカ経済の土石流となる。 

 私は、この4月、5月、本当に苦しみながら、私の最新作の金融本を書き上げた。 『目の前に迫り来る 大暴落』(徳間書店刊、7月1日)である。
今、今日のぼやきで、宣伝しています。

 今の世界を支配する、愚劣極まりない、ディープ・ステイト、カバールの世界権力たちは、何か、秘策があって、世界支配の妙薬を持っていて、こんなにもおかしな金融政策をやっているのか、と、私は、ずっと苦しんだ。だが、やっぱり、この悪魔たちには、秘策などない。

 今、FRB(アメリカの中央銀行)は、自分たちがやった狂気のジャブジャブ・マネー(8兆ドル、900兆円)の愚策のために、激しい物価高と、狂乱地価を起こしてしまって、肝が冷えて、動転している。もうすぐ金融引き締め(タカ派路線)の、金利上げを実施するだろう。

 そうしたら、株価と、債券(主に国債)の市場が、ガラガラと崩れる。
まさしく、私が、苦心して、悩んで書いた、最新作の「目の前に迫り来る大暴落だ」。金融や経済に関心のある人は、買って読んでください。 

「アメリカ経済に土石流が起きる」である。 

(ここに誰が、URL=リンク先=を貼ってください)  

目の前に迫り来る大暴落

 副島隆彦記
 

(以下に、熱海土石流の災害の新聞記事を、あとあとの資料として載せる)

◯ 土石流 急な斜面、水吸う地質で悪条件重なる

2021年7/4(日) 1:14  産経新聞

◯ 熱海の土石流“カメラが捉えた瞬間”

2021年7/3(土) 静岡テレビ朝日  All Nippon NewsNetwork(ANN)

 およそ20人が安否不明となっている大規模な土石流。 複数のカメラがその瞬間を捉えていました。 動画撮影者 「外みてみたらものすごい音と悲鳴っていうか聞こえてきて」

「そのあとにものすごい勢いで全部を飲み込んでいくというか」 静岡県熱海市の北部にある伊豆山地区で起きた大規模な土石流の様子です。 山の上から流れてきた土砂が、次々と家屋を飲み込み、濁流となって、街中に押し寄せていきます。

 電柱もなぎ倒し、火花が散っているのもの確認できます。 土砂が押し寄せてきた時、まだ道路上には消防隊員でしょうか?人の姿が確認できます。 異変に気付き、走って逃げる人の、すぐ目の前まで土砂が迫っています。

  静岡県 川勝知事 「上流で土石流が発生し、そして家を巻き込んで、河道に従って土石流が息をを増して、人々とともに、家屋を流し、135号線を突っ切って一部の人が心肺停止で見つかった。」「2人の心肺停止。」 市の消防によると、心肺停止の2人は、ともに女性で、年代などはまだわかっていません。

 静岡県によりますと、土石流によって、住宅十数軒が流され、住民およそ20人の安否がわかっていないということです。 熱海市・危機対策本部によりますと、被害にあったのは100世帯から300世帯にわたるとみられています。 現場は安全確認ができていないため、具体的な被害数はわかっていないとしています。

現在、およそ80人が地元の小学校などに避難しています。 また、土石流により電柱が倒れたり、電線が切れたりしたことによりおよそ3000軒近くで停電が起きています。 テレビ朝日

 大雨で多数の家屋が流された静岡県熱海市の現場周辺は、県が土石流の発生する恐れのある「土石流危険渓流」に指定していた。斜面が急で地質も水を含みやすく、大雨が降れば土石流が発生しやすい悪条件が重なっていたという。

 長時間降り続いた雨で地盤の緩んだ状況は当面、続くとみられ、気象庁は雨がやんだ後も警戒を呼びかけている。 岩手大の井良沢(いらさわ)道也教授(砂防学)によると、土石流は崩れた土砂が周囲の土砂などを巻き込みながら、渓流沿いなどに流れ落ちることで発生する。

 今回の土石流は「もともと土砂災害が起きやすい地形や地質だった場所に、記録的な大雨が降ったのが原因で発生したのではないか」と分析する。 井良沢教授によると、現場周辺の地質は箱根周辺の火山からの噴出物からできており、通常の地質よりも水分を通しやすく、雨が降るともろくなりやすい。

 また、周辺の山頂から住宅地が広がる海岸付近までの距離は2・5キロ程度しかなく、急な斜面が雨でもろくなると崩れやすくなるという。 映像で今回の土石流を確認した井良沢教授は「(土石流が)泥っぽく、火山性の地質が影響しているとみられる」と指摘。「現場の山の上の方が崩れ、低い位置の土砂を巻き込みながら大きな土石流となったのではないか」とみる。

国土交通省によると、現場周辺は土石流危険渓流のほか、土砂災害の発生しやすい「土砂災害警戒区域」にも指定されており、過去に現場付近で斜面が崩壊した跡が見られるという。 気象庁によると、日本列島周辺の南側にある太平洋高気圧が張り出しを強めたため、列島の南方にあった梅雨前線が押し出されるように列島まで北上。前線に向かって南から暖かく湿った空気が大量に入り、静岡県を含む広い範囲で大雨が降ったという。

今回、土石流が発生した熱海市伊豆山地区は斜面が東に面していることから、南側から押し寄せる暖かく湿った空気が斜面にぶつかりにくく、例年は雨量が少ない。一方、気象庁の担当者は「雨が少ない地域は緩い地盤が崩れずに残っていることが多い」と指摘。斜面が南向きで、雨量が普段から多い静岡県の西部地域と比べ「雨量が少なくても、少し雨が増えただけで土砂災害の危険が強まってしまう」と話した。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝