[3178]思考と霊魂についての感想

中山裕之 投稿日:2021/07/03 18:44

避難勧告が避難指示へ変更。古村治彦氏が指摘するとおり、私も、すでに戦時下だ、という認識です。「コロナ恐い恐い」詐欺、インチキPCR検査での「感染者、死者何人」の完全な嘘の報道は、大本営発表と全く同じで、すでに一年以上経過しています。オリンピックまでにワクチンをさばき、余っていれば、また延期あるいは中止され、第何次「コロナ恐いぞ、ワクチン打て、打たせよ」キャンペーンがくり返されるだけです。お次は「中国恐い恐い」詐欺。ワクチンパスポートは、日本人がどれだけ馬鹿かアホかで、悪質さの程度が決まります。本質的には、欧米日の財政破綻危機に向けての、移動制限、管理であり、その名の通り、まさにパスポートです。コロナ詐欺にしろ、戦争賛美にしろ、私が徹底的に追いつめられたら「俺をコロナにして、いくら補助金もらったんだボケ!その金俺によこせ!だれが戦争支持するか馬鹿!おまえが戦場に行って殺し合いしろ!その動画にいいね!をクリックしてやる」と徹底的に醜く抵抗しようと、冷酷に、やや個人的楽観を持って、決意しています。ともかくも、副島学問、副島予言の通り、80年~100年周期での、世界的な財政破綻にむけて、進行しています。

話は変わりますが、近頃、副島先生がこの掲示板で、「物質と思考の」世界があると、明記されたことは、私にとって、とても重たいことです。副島先生に一番、投げかけたかった疑問だからです。

先生の「隠されたのヨーロッパの血の歴史」の前後まで、私は、副島先生を唯物論者である、と誤解していました。また、ついでの話で、この本を読むまでは、諸悪の根源は、ダビデ・ロークフェラーと、宰相キシンジャーであると考えていた私には、バチカン批判が唐突に感じられ「なぜ急に?しかし先生の言うことだ。馴染まないけど頭の片隅においておこう」と考えて、年を経るごとに、狂信的な右翼と左翼、その親元のディープステイトの深刻さが実感できるようになりました。

話を戻して、私自身が、あらゆる他人を救ってやる、救わねばならない、という普遍的な巨大な偽善を、無自覚に信じ込まされていて、それらは全てことごとく嘘であると、実感したときに、精神的に大きく傷つき、絶望し、みっともなくも、勝手に息をして、ドクンと勝手に血が流れており、誰にも感謝せず、誰にも後ろめたい気持ちを持たずに、勝手に生きている、と自覚するまで、大きくうなだれていました。私個人にとっては大変な精神の葛藤でしたが、「私が救われたい」というわがままさが、偽善の入り込む余地であったことが、今でははっきり分かります。

ですので、私は徹底的に、精神的な世界を否定し、唯物的に物事を考えてみると、驚くほど、よく世の中の物事が見えてきたのです。ですが、客観的には世の中にとって、ハッキリ無意味であるものの、主観的には、最重要である「私」が何なのか、分からないままでした。本当に唯物主義なら、悩む必要などないはず、なのにです。まさに「私の」思考とは何なのか、幻想なのか、それこそ霊魂と呼ばれるものはあるのか。

デカルトの「我、思う故に、我あり」が、唯物的な事ではなく「思考と物質」二つが存在して「私」である、ということについて、実は精神的な世界も存在するのではではないか、と疑い続け、答えを待ち望んでいたくせに、今の私は態度を決めあぐねています。しかし答えを頂いたので、私が、あせらずに、じっくりと、わからないなら無理せずそのままにして、受けとめていきたいと、考えています。