[29]和気(わき)から正気(せいき)へ、正気から空気へと変わっていった日本の思想

ジョー(下條) 投稿日:2010/07/05 18:07

副島先生が、ちょうど2年前に出版した本に『時代を見通す力』という本があります。

この本の中で、いちばん初めに取り上げられているのが、文天祥(ぶんてんしょう)が作った「正気(せいき)の歌」です。そして、副島先生は、この「正気(せいき)」こそが、江戸幕末の尊王攘夷(そんのうじょうい)の思想であり、2・26事件の思想背景、そして太平洋戦争の特攻隊の思想にまでつながっているのだと論述しました。

この正気(せいき)は、戦後、アメリカによって徹底的に消され、今はその残りカスだけが残っています。つまり正気の思想がなくなった後は、「正」が無くなり、ぼんやりとした「空気」のみがのこりました。この空気を「ニューマ」といいます。小室直樹・山本七平という言論人が日本の思想をあらわすのに使ったことばです。日本の言論には絶対的な規範がなく、個々の状況でその場の雰囲気に左右される、それを「空気」として表現したのです。

KY(空気が読めない)とはよくいったものです。最近、はやった流行語ですが、現代の気の思想を見事に表現しています。

つまり、江戸時代から昭和初期までは「正気」、その後は「空気」の気の思想があったといっていいでしょう。

さて、では、この文天祥(ぶんてんしょう)の正気の思想が入る前の日本の本当の気の思想とは何だったのか?

それは、実は「和気(わき、わけ)」だというのを、ここに書いておきたいと思います。人々が和(なご)やかに楽しんでいる風景を描写した「和気藹々(わきあいあい)」の和気です。

以前、この掲示板で、あの邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)が仕えた鬼道(きどう)とは、本当は五斗米道(ごとべいどう)のことであり、この五斗米道の思想が我々日本人の現在の「道(天道)」や「気」の思想につながっているのだということを書きました。

この五斗米道もたらした気には「陰気」と「陽気」の2つがあります。現在の中国、韓国でも、この2つの気によって世の中が成り立っていると考えているようです。よく陰と陽が半円になって混ぜっている図がありますが、これは韓国の国旗の絵柄にもなっています。「陰気」と「陽気」のふたつは、東アジア全体の大切な思想のひとつです。

実は、陰気と陽気の2つにあわせて、もうひとつ別の気(qi)が五斗米道と同時に日本に入ってきています。英語でmixed qi とかblended qi といいます。日本語にそのまま訳すと、「混合気」となって、なんのことかだか分かりません。

どうやらこれは「和気(わき、わけ、he qi)」のことらしいです。この和気は、もともとは、体内の気の流れを説明することばですが、どうやら思想をも表現することばになったようです。

五斗米道が用いたと言われる老子の解釈テキスト「老子想爾注(ろうしそうじちゅう)、あなたを想ってつくった老子の注釈」には、「道貴中和」、すなわち「道は「中和」または「中庸と和」をもっとも高く評価する」ということばがあります。このテキストでは道と気が、ほとんど同じことばとして扱われているので、ここから和気を重要視していることが分かります。

ちなみに、聖徳太子の十七条の憲法の冒頭部分「和をもって貴(とおと)しとなす。」は、孔子からきているとされていますが、こちらの老子想爾注からきているとする方が私にはしっくりきます。

この「道貴中和」(仏教でも道教でもキリスト教でも混ぜてしまうことがいちばんいいという考え)こそが、日本宗教の最大の秘密のように、私には思えます。ちなみに、一向宗の使っていた『仏説無量寿経』は、この老子想爾注と共通性があるそうです(福永光司による)。『老子想爾注』こそが、日本の聖典(カノン)ではないでしょうか?

では、この和気の思想とはなんでしょうか?それは、俗っぽいことばですが、やはり「和気藹々(わきあいあい)」だと思います。互いに争うことなく穏やかな話し合いによってものごとを解決する、あるいは、和(なご)やかにみんなといっしょになって楽しむ、これらが最上の善であり幸福であるとする考え方(アリストテレスの定義による)です。

副島先生も、以前、男はふんどし、女は長襦袢(ながじゅばん)とうちかけを着て、車座になって話し合うようになれば日本はいい国になると言っていました。これこそが、まさに和気の思想だと思います。

さて、正気(せいき)がなくなったあと、現代になって、再びこの和気(わき)の思想が一部、復活しました。その成果が、日本が世界に誇る発明「カラオケ」であり、外国人に人気のある「温泉」であり、日本の大切な年中行事となった「お花見」です。

また、日本のテレビドラマやマンガの特徴ですが、必ず、ラストシーンに登場人物が一同に打ち解けて話し込む場面があります。まさに和気藹々(わきあいあい)です。日本のテレビ番組の典型は「サザエさん」だと思っていますが、日本の庶民の思想は、本当に和気藹々(わきあいあい)です。

さて、重要なのは中国思想との関係です。中国では桃園(とうえん)の誓いを源にした「義」の思想が支配する国です。

劉備、張飛、関羽の三人が義兄弟の誓いをしたのが、この桃園(とうえん)の誓いです。ここから、義の思想のはじまったとされており、場所は河北省です。そして、そのすぐ近くの陝西省四川省あたりで、五斗米道の運動が同時期にありました。ここが事実上、「和気」の思想が生まれたところでしょう。

つまり日本の思想と中国の思想は出自の場所と時代をほぼ同じにしながら、二千年の時を経る間に、それぞれ独自の思想に変遷してきたとも言えます。ここに歴史の妙というか、不思議な歴史の仇(あだ)が見え隠れしています。

プラトンのイデアの思想がバチカンを中心とするヨーロッパの思想の土台であり、そのプラトンの弟子のアリストテレスの思想が、アメリカの土着の思想、つまりリバータリアンの思想となって対立しているようなものです。

いつか、この「和気」の思想を中国人に紹介して、どんな感想をもつのか見てみたいと思っています。

ジョー(下條)拝