[2654]日本統一王朝の初代天皇(その二)

守谷健二 投稿日:2020/11/02 07:36

〔2651〕の続きです

日本国の初代天皇は天智天皇です。
天智天皇は斉明天皇の死後七年間即位せずに政治を執ってきました。天智天皇の称制と言われる期間です。
天智七年(667)正月の即位記事は、日本統一国家の天皇に即位したことを意味します。

倭国(筑紫王朝)は朝鮮半島出兵の敗北で王朝を維持することが困難になっていた。
二年に亘る三万もの海外派兵でした。それが惨敗で終わったのです。親子兄弟を失った国民の恨み怒りが王朝に向かわなかったはずがない。

倭国の王族どもは筑紫を捨てざるを得なかった。石を以て追い出されたのであった。
彼らは大和王朝の中大兄皇子(天智天皇)を頼り、身を寄せたのである。昨日まで大和王朝を見下していたくせに。朝鮮派兵に異を唱える斉明天皇に毒を盛ったくせに。
倭国の王族たちは、天智天皇の臣になる事で命乞いをしたのである。
命乞いをした証拠は、倭国の大皇弟・大海人皇子(天武天皇)の妃であった額田王(ぬかたのおほきみ)が天智天皇の後宮に入っていたことである。大海人皇子が臣になる証として、以後決して背かぬ証として自ら献上したのだ。
この時、鏡王女も献上している。

   天皇、鏡王女に賜う御歌一首(万葉集巻二)
 妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを

(訳)あなたの家をいつも見ることが出来たらなあ。大和の大島の嶺に家があったらなあ。

   鏡王女、応え奉る歌一首(万葉・巻二)
 秋山の 樹の下隠り 逝く水の 吾こそ益さめ 御思よりは

(訳)秋の山の木の下を隠れて流れて行く水の水かさが増すように、あなた様が思い下さるよりは、私の方こそ一層多く思い致しておりましょうに。

   額田王、天智天皇を思(しの)ひて作る歌一首(万葉・巻四)
 君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く

(訳)わが君をお待ちして恋しく思っていると、私の家のすだれを動かして秋の風が吹いてくる。

   鏡王女の作る歌一首(万葉・巻四)
 風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ

(訳)風だけでも恋しく思っているのは羨ましい、せめて風だけでも来るだろうと待っておられるなら、何の歎くことがありましょう。(私には風さえも訪ねてこないのですから)

天智天皇は、額田王は自らの後宮に入れたが、鏡王女は入れなかった。天智と鏡王女との贈答歌から、お互いに敬意を払っていたことがうかがえる。
自分の妃を献上することは、屈辱に違いないのだ。しかし過去の経緯から(斉明天皇を毒殺したことなど)屈辱をしのんで命乞いをしてでも天智天皇の軍門に降るしかなかったのである。