[2646]『秀吉本』のブックレヴューと、誤記・誤植の訂正一覧

田中進二郎 投稿日:2020/10/11 12:30

拙著『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』は大型書店の日本史コーナーで、平積みか面陳(めんちん 表紙を見せて立てて販売)してあります。

『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛を込めて書いたので読んでください』
の著者の藤森かよこ先生にも、次のような書評を頂きました。またその下のおふたりのブックレヴューのように、高い評価を頂いております。
また、お読みになられた方はアマゾン・ブックレヴューに投稿して頂けると幸いです。
続編もできるだけ早く出そうと思います。

(以下、アマゾンの拙著のブックレヴューより一部を引用)

●日本アイン・ランド研究会(_藤森かよこ先生)
5つ星のうち5.0 「キリシタン研究を通して浮かび上がる世界の中の戦国時代末期と江戸時代初期の日本!続編大期待!!」
学問的な労作である。説得力あります。非常に勉強になった。同時に面白く読み進めることができる歴史ミステリーの趣もあった。日本史への見方を衝撃的に変えます。

なによりも、キリスト教に感化されなかった信長と秀吉と家康の偉大さ、ニーチェに匹敵する「自分の外部に依拠するものを持たない」精神の無頼さとファンタジーに逃げないリアリズムが、為政者の資質であるという著者の示唆に感銘を受けた。

(以下は長文のため中略。)

私(藤森かよこさん)の感慨。

(1) それほどにも日本で広まったキリスト教のいったい何が日本人の心に響いたのか?仏教も神道も与えることできなかった救済とユートピアへの希望か?弱者のルサンチマンの吸収装置であるキリスト教は、形を変えて人類史に生き続けている。社会主義や共産主義として。キリスト教の魅力って何?やっぱ救済とユートピアの甘美さ?

(2)明治まではキリシタンの歴史は隠されなければならなかったにせよ、明治以降もキリシタンの日本史における影響の大きさが日本史研究において正当に認識されていないのは、なぜか?
(藤森かよこ先生の書評ここまで 全文は↓のほうの記事にある拙著のアマゾン紹介で読めます。)

●星のうち5.0 「日本史におけるキリスト教影響の甚大さを痛感させられる「問題作」か」
(2020年10月8日)

「織豊・徳川政権」「キリスト教」「茶の湯」「安土桃山文化」が全て必然的につながっていたことを大きく提示している。キリスト教が台子(デウス)茶、天守(天主)閣、九谷焼、狩野派絵画など、今日「日本らしい文化」とされているものを数多くもたらし、それらが単なる文化の話でなく政治抗争の流れから明快に説明されていることに意義があるだろう。

また「キリシタン」一般でなく、「キリシタン大名」という存在にスポットを当て、「転向」という日本の現代政治思想にもつながるテーマから、戦国大名の行動原理に切り込んでいく視座も特異である。「転向」は覇権国の周辺国につきまとう宿命なのかと考えさせられる。「転向」(キリスト教の棄教)をうまく利用し、関ケ原を制した家康の戦略に対する考察も興味深い。
終章の「忠直卿行状記」の真相も衝撃的だった。

タイトル「毒殺」がどぎついのでそこに目が行ってしまいがちだが、世界覇権国の支配戦略から「日本文化」まで解き明かそうとする意欲的な著作といえる。

●「5つ星のうち5.0 日本人が知らない真実の日本(近世)史」
2020年10月9日
田中進二郎氏、初の単著である、この本は、監修の副島氏2018年の『日本人が知らない 真実の世界史』の日本近世史版だ。
この2冊の本の構造は同じである。
それは、副島氏の独自の自説である、「帝国―属国理論」、「政治と経済は貸借を取り合ってバランスする」という理論に、副島史観ともいうべき、人間が持つ「食べさせてくれ理論」、遊牧民の「ドドド史観」、最後は人類の脳が取りつかれる「熱狂史観」の3つを加えたものだ。
田中氏の本書も相似形だ。

もう少し言えば、日本が西洋世界に発見された1543年の種子島への鉄砲伝来によって、それまで東アジア中心の日本国の歴史が、西洋世界ともつながったことによる余波である。その余波は巨大なもので、権力者たちばかりでなく庶民たちの生活や信条まで及んだ。その結実が、天才、信長なのである。

しかし、その余波が余りに巨大なものだから“日本史(=国史)”の学者たちは、正面から対峙することが出来ない。何でもかんでも、日本国内だけで物事が完結したように“ゴニョニョ”と訳も分からない事を言うだけだ。

本能寺の変(1582年)の22年後の1605年にイエズス会は英国で同じ事をしようとして未遂に終わった。これは火薬陰謀事件(Gunpowder Plot)としてウィキペディアにも載っている。もはや時代は、文献(それも日本の)だけを奉る歴史学者たちより、市井の人間たちの方が深い理解に達している。それは、田中氏も本書の中で言及しているが、NHKスペシャル『戦国~激動の世界と日本~』などにも現れている。

世の中、「教科書に書いてある日本の歴史ってなんか変だ」という空気(ニューマ)、精神が誕生しつつあるように思う。それは、近代500年が大きな転換にあるからだ。近世は現代へと一直線に続いている。

●以下は、『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』の誤記、誤植の訂正一覧です。
本をお持ちの方は、直しておいてください。

副島先生の推薦文より
P4 9行目  清正は生涯、秀吉にX臣臣して、→〇 秀吉に臣従して

主な登場人物の生没年のページより
高山右近の生年 X 1555年→ 「〇1552年から1553年にかけて」

p19 最後の行 Xイギリス国教会は今でも長老派教会(カルヴァン派・プレズビテリアン)
として続いている。→長老派教会(ハイチャーチ・プレズビテリアン)として続いている。

(カルヴァン派はローチャーチで、国教会から弾圧されていた。副島先生から間違いだと指摘ありました。)

p21  3行目 羽仁五郎著X『ミケランジェロ』(1968年刊)→『ミケランヂェロ』(1939年刊)

p21  6行目 ロレンツォ豪華王は、それよりもX30年前にローマ教会によって暗殺された。

→「40年前に」に訂正 (1492年 メディチ家のロレンツォ豪華王はコロンブスの新大陸発見の年に死んでいます。ボッティチェッリはその後、怒りのあまり、発狂していく。)

p37 11行目(ザビエルと会ったのは)千利休(田中与四郎)はX27歳→〇29歳

p39   後ろから三行目  明から程大位著『算法統宗』(さんぽうとうそう)という算術書が伝わる。→(ソロバンの)算術書が伝わる。
日本では、京都の僧侶たちが、いち早くソロバンに熟達した。

p44  5行目 X「つまり 鉄砲の国産品の鉄砲は」→「つまり国産品の鉄砲は」

p59 5行目 X近江の三方ヶ原の戦い→〇遠江国(とおとうみ  静岡県)の三方ヶ原

(近江は京都から近い湖=琵琶湖、遠江は浜名湖をさしている)

P61 最後から2行目  『武士の日本史』( 岩波新書刊)→「高橋昌明著」を入れる。

p83 6行目 日本の天皇は中国の北極星を意味する→「天皇星」からとってきた称号だ。
→北極星を意味する〇「天皇大帝(てんこうたいてい)」からとってきた称号だ。

( 参考: 副島隆彦・斎川眞著『天皇とは北極星のことである』PHP刊 p36より)

(つまり「天皇」という称号は中国古代王朝からのパクリだった、ということ。 )

p130 ・p133・p134に引用したルイス・フロイス『信長の死について』の訳全文は、
浅見雅一著『キリシタン教会と本能寺の変』(角川新書 2020年刊)の史料編に、掲載されている。

p162  1行目 (高山右近はバテレン追放令ののち、)X内藤ジョアン(如安)とともに、領国の明石を去って、小豆島にしばらく潜んだ。

→内藤ジョアンはこの頃、小西行長の家臣だった。高山右近が小豆島に潜んだときに、ジョアンが行動を共にしていた。なお小西行長が関ヶ原で敗死したあとの1602年に、ジョアンは金沢へ落ち延びている。

p162  6行目 X「加賀の七尾」y→?〇「能登国の七尾」
(七尾市は能登半島にある)

p163  7行目 「日蓮宗・本行寺というのは、X江戸の浅草、下関、高槻にも点在している。」
「江戸の浅草」を消してください。浅草の本行寺は、浄土真宗の何の変哲もない寺らしい。

p166  2行目 「九谷焼のルーツの古九谷(こくたに)は、もともと加賀藩三代目藩主の前田利常が、洗礼盤としても使えるように、絵付けさせ焼いたのが始まり、と孫崎紀子(まごさき・のりこ)氏は証明している。」

金沢から南に離れた、蓮代寺(れんだいじ)という寺で密かに、1637年に作らせている。
蓮台寺の窯は洗礼盤を焼かせた後、前田藩が徹底的に破壊して、幕府の公儀隠密に疑われないようにした。藩主の利常がこれだけ警戒した理由は、二代藩主・前田利長が、幕府の忍者に殺されたためではないか?高山右近がマニラに追放された1614年に、利長は急死した。

同じページの次の段落で「大聖寺」で九谷焼を作らせたのは、その二十年あとの1655年のこと。これが一般に「古九谷」と呼ばれている。大聖寺藩という前田の支藩が、加賀の小松の南に置かれていた。その大聖寺をずっと山奥に入ると九谷村がある。

(古九谷は最初は蓮代寺で、のちに大聖寺藩の九谷村で密かに焼かれた、ということ。)

p171  3行目  誤植 「として破壊を進めた」を消す。

p180 3行目  X「宗教革命」→〇「宗教改革」

p183 10行目  「本当は小西軍が漢城(ソウル)にX入場した時、」→〇「
入城した時」

p192   8行目 「生まれたばかりの秀頼(お拾)が、成人まで育つというX確証はない。」
→「保証はない。」

P200  「スペイン宮廷ウォルシンガム」→「ウォルシンガム」を消す。

P205 最後の行「1906年」は「1609年」の間違い。

P213 1行目 「片桐且元はXどっちつかずで、最後までふらふらした。」
→片桐且元は家康側について、大坂城の内偵をした高等スパイである。

P219 最後の行 X「毛利輝元」→「毛利秀元」(ひでもと)

P224 「当時の南蛮人バテレンというのは、ロザリオをつけたX東大教授のようなものである」(六城雅敦著『隠された十字架ー江戸の数学者たち』)
→〇「ロザリオをつけたMIT(マサチューセッツ工科大学)教授のようなものである」
(六城雅敦氏の「隠れた十字架」p57)

P227 後ろから4行目
「(宇喜多秀家)の正室・豪姫は実家の加賀の前田家に戻って、」

 補足: 1602年から1608年まで、豪姫は京都で秀吉の正室・北の政所に面倒を見られた。
その後、金沢へ行った。母である、利家の正室・まつが豪姫の面倒を見た。

P227 後ろから2行目 「関東平野の利根川の湿地に、キリシタンは多く隠れ住むことになった。」
補足:「戦国時代に採掘が始まっていた足尾銅山(栃木県)にも、キリシタンが隠れていた。」

p232 6行目 「1619年(板倉)重昌は彼らを牢につないだが、」
→「重昌は京都の耶蘇教の信者を牢につないだが、生かしたままにしていた。」

P234 2行目「領国で乱行な振る舞いが続いたため、」→「領国で乱行が続いたため、」

P234 4行目 「菊池寛の短編小説『忠直卿行状記』」
補足:(1918年発表)

p237 最後の行 忠直配流のf3年前→「f」を消す。

田中進二郎拝 2020年10月11日