[256]地獄のふたが開く前は静かです
埼玉県の佐藤です。今日は2011年3月16日です。まだ生きている。
255の磐梯さま。名古屋の公務員、ぐらいの書き方したできないあなたが、他人を批判などしてはならない。懇願するならわかる。40なら、分別が必要です。それより、あなたが大嫌いな大村秀晃知事と河村たかし市長に、誠心誠意で尽くしたらどうです。県職員と政令市職員は違うとか、自分は国家公務員だとかくだらないことはどうでもよい。ことによると、愛知・名古屋がこの先、日本人の希望になる。
きょうは風が強い。表面上はのどかな日常で、日本がすでに地獄であることが感じられなくなる。
現実はこの世の終わりだ。
上杉隆氏や雅則村氏が引用しているURLを貼り付けます。
http://www.spiegel.de/images/image-191816-galleryV9-nhjp.gif
これを見れば、甘い考えは吹き飛ぶ。私は恐怖と悔恨で震えた。
すでに福島から北関東、東京を越えて静岡まで、日本列島は汚染されたのです。
これがいまも続いている。
テレビに出てくる専門家や解説者の顔つきが、今日の朝は変わった。
とにかく冷やすしかない、という声と表情が引きつっている。
2号機が密閉を失って放射線物質を撒き散らし、4号機の燃料プール内廃燃料が暴走していることは、これらの御用学者にとっても、もう言いつくろえない恐怖ということだ。
解説などしないで逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
本当の専門家なら、12日の時点で逃げ出すか、真実を国民になんとか広げようとしただろうに。
自分の頭で考えることを放棄すると、地獄に導かれる。3月15日、さいたま市で1.222マイクロシーベルトの放射線が観測された。知事は、大丈夫だと言い切ったのだが、これは毎時1.222マイクロシーベルトだから、年間に換算するには24×365で8760倍すればいい。
1.222×8760すれば10,704マイクロシーベルト/年、すなわち10ミリシーベルト/年だ。
やむを得ない理由による年間許容量が1ミリシーベルト/年だ。年間で100ミリシーベルトを浴びると身体に以上が生じてくる。しかも被爆量は累積だ。
だから「正門前で10ミリシーベルト」ならば、同様に87シーベルト/年となる。このくらいの計算はできないと自力では生きられない。
身近にも、地震や津波や原発がどうした、言い訳するな、仕事をしろと言っている人が、あなたの身近にもいるだろう。
わたしは、このような人たちが脂ぎった現実派で、管理職・支配人になっていくことは、やはり当然なのだろう、彼らはなにしろ現実派だから競争に強いのだ、と思って40年以上生きてきた。
だが、ここまでの地獄の局面になると、どうやら私のほうが現実派だった。彼らには、この現実が見えない。日本の部族社会で、さらに下部組織の会社内に特殊適応した個体たちだった。
そういえば、福島原発のニューズをお祈りしながら見てみたり、悪いニューズは聞きたくないとくだらないラジオにわざと切り替える私の妻は、間違いなく極東の土人だ。それをはっきりわかるところまで私の脳は発達した。
しかし結局はこうして家族と死んでいくことになる。
後世、日本人というきわめて特殊な民族がいたことが歴史に残るだろうか。
いま、計画停電の最中で情報入手が困難だ。この後、ついに地獄の最後のふたが開くのかもしれない。私もやっぱり両手を合わせて、神に祈りたくなる。日本人だ。