[2534]倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論 その3

下條竜夫 投稿日:2020/04/24 18:47

前回、前々回に続いて、「倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論」を書いておきます。

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最後として、なぜ倭の女王卑弥呼が張玉蘭と比定できるのかを、ここにまとめて書いておこう。読めば、私が当てずっぽで書いているのではないことがわかる。これはある種の科学的推論(scientific reasoning)であり、かつ、いろんな要素を加味して限界ぎりぎりまで考える批判的思考法(critical thinking)である。

まず、よく知られたように卑弥呼は、「鬼道(きどう)」と呼ばれる怪しげな呪術(じゅじゅつ)を使いながら、倭国の女王として、祀(まつ)りあげられた。この卑弥呼が使っていた呪術の「鬼道(きどう)」とは、初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神のことだ。歴史学者の岡田英弘東京大学名誉教授が『日本史の誕生』の中で、はっきりと述べた。

これは『三国志』を編集した、西晋の歴史家の陳寿(ちんじゅ)が、『三国志』の中で倭人伝以外でも「鬼道」という言葉を使っており、それがまさに五斗米道を意味しているためだ。

以下の二つだ。

魯遂據漢中、以鬼道教民、自號「師君」。
張魯母始以鬼道。

この鬼道(きどう)が五斗米道、または五斗米道の神であるという事実はあまり知られていない。それは鬼道は、日本古来の巫術呪術だと思われているからだろう。

しかし、卑弥呼が用いた鬼道が五斗米道であることはほぼ間違いない。他にも証拠がある。それが、卑弥呼が女王に祭り上げられた理由に関係している。ブリタニカ百科事典の「道教」の五斗米道の部分から引用する。

〈引用開始〉
Only when a responsible ruler was lacking were the celestial masters to take over the temporal guidance of the people and hold the supreme power in trust for a new incumbent.
王(a responsible ruler、責任のある支配者)がいないときに限って祭主(the celestial masters)が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる(in trust)。
(ブリタニカ百科事典、Daoismより)
〈引用終了〉

「王がいないときに限って祭主が人々を導き、新しい王の最高権力を一時的に預かる」とはっきりと書いてある。つまり、倭国大乱(わこくたいらん)と呼ばれる動乱が2世紀後半に日本内に起こった。その争乱が長引いて新しい倭王が決まらなかった。そこで、五斗米道の「慣例に従って」祭主の卑弥呼を王にして国が治まったということになる。

つまり、卑弥呼という女性祭主が、倭王の決まらないときに倭の女王に選ばれたという歴史的事実は鬼道が五斗米道であることの間接的な証明になっているわけである。

さて、もうひとつあまり指摘されない面白い事実がある。卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人、班布二匹二丈を送った。実はたったのこれだけの貢ぎ物だった。107年に倭国王帥升は百六十人の生口を送っているからレベルが違う。

それなのに、皇帝はその返礼ととして絳地交龍(こうじこうりょう)の錦5匹、毛織物10張、センコウ50匹、紺青50匹、紺地句文の錦3匹、細班華5張、白絹50匹・金8両・五尺の刀を2つ・銅鏡100枚(これが卑弥呼の鏡で三角縁神獣鏡がこれでないかとよく話題になる)、真珠、鉛丹を各50斤、という莫大な土産物を送っている。さらに、これに親魏倭王の金印まである。どう考えても、好待遇しすぎなのである。

当然、魏と倭になんらかの関係があると推測できる。これは五斗米道の第三代張魯の娘は魏の曹操の息子曹宇(後に皇帝元帝の父となる、張魯の娘はこの皇帝の実母かもしれない)に嫁いでいるという事実から考えることができる。つまり、卑弥呼が張魯の親戚とすれば、卑弥呼自身が皇帝の外戚になる。当然、破格の待遇を受けられるというわけだ。これは、1)上に書いた鬼道が五斗米道である、2)曹操墓出土の鏡と大分で出土した鏡が似ている、という2つの事実と完全に整合(consistentであるという)する。

最後は張一族の中からそれらしい人物を探してみればいい。それが「張玉蘭」である。曹宇に嫁いだ娘とは、姪と叔母という関係になる。

この話は、史実として認められなくても、ぜひドラマにしてほしい。ロマンチックな壮大な歴史物語なのだ。

絶世の美女である張玉蘭(母が美人で有名、姪も大将軍に嫁いでいるから美人だったのだろう)が、化外(けがい、実は日本は東夷のさらに向こうである)の地、倭に行って、聖母マリアのごとく現地民に慕われて毎日を過ごしている(副島隆彦理論では五斗米道は東に流れたキリスト教である)。そして、姪が皇帝一族に嫁いだというので、皇帝に貢物を送ったら、びっくりするほどの多量の返礼品と王の金印を送ってきた。

そういう韓国ドラマも真っ青なストーリーなのである。私はこれが歴史の真実だろうとまじめに信じている。

下條竜夫拝