[2528]私は、新しい本を急いで書き上げた。そしてコロナ・バカ騒ぎ。いい加減にしろ。これは、翼賛(よくさん)体制への道だ。

副島隆彦 投稿日:2020/04/18 05:20

副島隆彦です。今日は、2020年4月18日(土)です。

 私は、この2週間は、自分の最新刊の、金融本を書き上げるために、出版社ではなくて、印刷屋、の一歩手前の 組版屋(くみはんや。英語では type setter タイプ・セッターだ)に、3泊4日を、2回やって、それで、書き上げた。

編集者や、校正者(こうせいしゃ。プルーフリーダー)用の部屋の椅子を並べて寝ながら、起きたら原稿を書く、ということをして書き上げた。まだ、こんなことが出来る、自分に、自信を持った。 
 
 今度の本の名前は、『もうすぐ 世界恐慌(ワールド・デプレッション)― そしてハイパー(超)インフレが襲い来る 』(徳間書店、5月1日刊)だ。この本の帯に、「金(きん)が買えなくなる。急いで金(きん)を買いなさい」 と打ち込んだ。この本の宣伝は、来週、今日のぼやきで、弟子たちがやります。

 もう、金(きん)が、どんどん買えなくなっている。買ったことのない人で、自分のわずかばかりの、例えば、親から貰(もら)った資金とかある人は、今からでも買いにゆきなさい。もう、金100グラムで、65万円ぐらいになってしまった。おそらく、実質で、今の 6倍になるでしょう。世界経済は、そのような方向に、向かっている。

 私は、世界的な、新型コロナウイルス騒ぎのことを、横目(よこめ)で睨(にら)みながら(各国のことを伝える、記事をネットで追いかけることだけはする)、「嫌(いや)だなあ」と思いながら、生きている。都会は、インフラ(交通機関と物流とコンビニ、スーパー)はしっかり動いている。ガラーンとして、人はパラパラしか居ない。零細な飲食業のお店は、どんどん休業、廃業している。この人たちへの打撃が、一番、大きい。日銭(ひぜに)の収入を失ったら、生きて行けない人たちが、生きづらくなっている。 

 新型コロナウイルスのパンデミック騒ぎについての私の考えは、この本の 第5章にたくさん書いた。 これは、形を変えた戦争なのだ。
 私は、この本で、「世界の今の事態は、私の勝利だ」と考えている。3月20日(金)に、株式の世界的な暴落が、まだ収まらない(血便が出続けているような状態)の時に、ひとりで勝利宣言をした。誰も理解してくれない。 そして翌週、3月24日(火)に、世界中の権力者、支配者たちが、血相を変えて、結束して「エーイ、ヤー」で、「政策総動員(せいさくそうどういん)」(笑い)で、カネを掻き集めて(国家と中央銀行が、ニセ金=カウンターフット・ビル= 作りをして)、株価を世界中で、一斉に、買い支えて、買い上げた。

この日、NYの平均株価は、2,118ドル 上げた。その前週の3月16日に、3,000ドルの大暴落をして、さらに、2400ドル、そして1000ドル下げていた(23日)。それを、24日に、権力者相場(けんりょくしゃそうば)で、人工的に持ち上げて、これで、世界資本主義同盟(ワールド・キャピタリスト・リーグ)は、一旦は、「資本主義の全般的危機」から脱出した。やれやれ、だ。この状態が、暫(しばら)くは続くだろう。そして次の危機が、来年来るだろう。

日本人の96%は、株なんか関係がなく、関心がないから、4月に入って、いよいよ、新型コロナウイルス騒ぎの方に、のめり込んだ。NYと、イタリアとスペインがヒドい、と、ガンガン、ニューズが来る。 日本の、往年のお笑い芸能人、志村けんが、コロナウイスルで死んだ(3月29日)ことで、日本国民は、相当のショックを受けたようだ。全国の街がガラーンとなった、のは、緊急事態宣言が東京都と7都府県対象が4月7日に出て、その次の日からだ。
 しかし高齢者の原宿と呼ばれる、巣鴨のとげ抜き地蔵(施設になんか入らないで、ぴんぴんコロリを祈願する聖地)の商店街は賑わっていて、千葉の海には潮干狩りにたくさんの人が出ていた。

 私は、これまでずっと書いて来たとおり、これは世界権力者、支配者たちが、実行している「大惨事(だいさんじ)便乗型(びんじょうがた)資本主義」 disaster capitalism 「ディザスター・キャピタリスム」である。あるいは、 Shock Doctrine 「ショック・ドクトリン」 ( Naomi Cline ナオミ・クライン 著)すなわち、「国民、民衆を、恐怖に陥れ、支配する」という統治戦略だと分かっているから一切、騒ぐ気が無い。別名は、shock politics 「ショック・ポリティックス」「恐怖で人民を支配せよ政治」である。


『日本に恐ろしい大きな戦争が迫り来る』から

ナオミ・クライン

 私は、家に帰って来て、何をしていたかというと、ずっと、ネットの Youtube ユーチューブ(グーグルGoogle が親会社)で、日本の演歌を、見て聴いていた。私は、ユーチューブが、ここまで、便利なものだと、これまで分からなかった。演歌を、ずっと、カラオケ代わりに聞いて、使えるのだ。「そうか、今の日本人が(も)、ユーチューブばっかり、スマホで見ている、というのは、こういうことか」と、分かった。

ああ、これじゃ、テレビと、それからカラオケ屋 が、滅んだはずだ。昔のラジオの流し聞き、が出来てしまう。PCの性能も上がったので、スピーカーも、かなり性能が、この数年でよくなった。音量も、特製スピーカーを付けなくても、まあまあだ。

 私は、少年時代から、ずっと(新)左翼の「岩波・朝日文化」で育った知識人志願者だから、演歌や、映画や、野球、スポーツ、芸能界、には、何の興味も無かった。ずっと本を読んでいた。それでも、どこかから、ラジオやテレビの音が聞こえてきて、それで、自分と同時代の、ポップスや演歌や、ロックンロール(よりも後の世代、ロックいや、日本では、演歌の後の時代は、グループサウンズと言った)の曲を、知っている。

 大ヒットした曲、歌の芸能人の演奏会(厚生年金会館ホールとか武道館)なんか行ったこともない。お金も時間も無かった。10代、20代は、自分が生きることで精一杯だ。

 それでも、私は、演歌の名曲(ヒット曲)を知っている。それを、ユーチューブが、これでもか、これでもか、と ただで、見せてくれるので、ビックリしている。 これだと、もう、文科(もんか)省と 文化庁の 天下り官僚たちが、支配している、何百人も天下っている、愚劣極まりない、JASRAC(ジャスラック)という、楽曲(がくきょく。と言う )からの、著作権の保護 を口実にした、カネ毟(むし)り取り団体は、無力だ。 アマゾンと、グーグルと、ウイキぺディアが、日本も支配している。 

 立派な人格者だった作曲家の小林亜星(こばやしあせい)たちが、ジャスラックの官僚支配と、ピン撥(は)ねに抗議して、1990年代に、激しく闘っていた。 ユーチューブ(グーグル) が、外国から、とか、自分の息の掛かった「個人のフリ」の音楽業者たちを使って、こんなに、古い時代の名曲を、大量に、次々とアップロードしているから、もうJASRACの、愚劣な支配は終わりだ。

 今の、まだ「生きている」出来たての曲は、芸能事務所が、違法アップロードを、ユーチューブに抗議して、ガンガン消しているようだ。芸能人の飯の食い上げになるから。

 私は、日本演歌論(にっぽんえんかろん)も、すでに、これまでに、10本ぐらい書いている。「美空ひばりと 山口組3代目・田岡一雄」や、「郷ひろみと 山口百恵」、・・・などである。そのうち、纏(まと)めて本にしたい。私のことだから、かなり裏側の真実を暴き立てている。まだまだ、書くことがある。

 今度、私が、コロナウイスル騒ぎの最中(さなか)で、ずっと、聞いていたのは、結局は、藤圭子(ふじけいこ)と、 青江三奈(あおえみな)であった。 このふたりは、私と同時代(数歳上ぐらい)で、戦後の日本で、高度成長経済の真ん中で、日本国民のサラリーマン層を中心に、大変な人気があったふたりだ。 他の演歌歌手についても、追い追い言及する。 

 国民歌謡(こくみんかよう)を私は、バカにしない。だた、それらを、自分は時間をかけて聴いたことが無かった。西洋の最新の音楽や芸術の知識も、知ったかぶりで吸収しなければならなかったし。だけど、きっと、この二人が、日本の エディット・ピアフであり、マリア・カラスなのだ。他の、それぞれの国の国民的大(だい)歌手でもいい。

 私は、以下に、ユーチューブの、この2人の URLを載せる。 皆さんも、聴いてみてください。横に、ネイル nail 爪(つめ)が、並んでいるから、そこから、どんどん、入っていって下さい。そういう受け入れ準備と、時間がある人だけだろうけど。自分は、演歌は聴かない、という人は、拒絶して下さい。

藤圭子 (1951-2013)
https://www.youtube.com/watch?v=uraQJ–t6UI&list=RDuraQJ–t6UI&start_radio=1&t=17

青江三奈(1941-2000)
  https://www.youtube.com/watch?v=s-dLf7e3cH4

 私は、白状すると、一番好きな演歌の曲は、青江三奈の「池袋の夜」と、伊沢八郎の「ああ上野駅」と、それから、どう考えても、広域暴力団の山口組の歌だろうと、思っている「昔の名前で出ています」と、「婦系図(おんなけいず)」と、・・・あ書きだしたら止まらねえ。やめよう。
私にとっての コロナウイルスのバカ騒ぎ は、「柳ヶ瀬ブルース」を聴くことだ。

今日は、副島隆彦の 藤圭子論 と 青江三奈論は、書かない。そのうち書いて発表する。

それと、私が、鋭く気づいたことは、何と、

港町ブルース (森進一、 1969=昭和44=年)
https://www.youtube.com/watch?v=d0Zdar4SPhA

は、視聴回数 ビューアー数)が、2千181万回 と出ている。
凄い。5人の女のトップ演歌歌手が、和服で、並んで、堂々と歌っている。美しい。
2,181万回数 というのは、さっきの藤圭子、青江三奈が、多くて、70万回数なのであるのに対して、圧倒的である。これは、中国人が見に来ているからだ。日本人だけだったら、400万人ぐらいで限度だ。
 あとは、中国人だ。ビューアーが、たくさん中国語で書いている。私は、このことが嬉しい。 日本人と中国人は、こうやって、分かり合えるのだ。中国人は、日本人を尊敬している。日本の繊細(せんさい)な文化、への憧れと深い理解がある。明治時代からこっちは、ずっと、日本人が、没落した大帝国である中国人に、たくさんのことを教えてきた(岡田英弘=おかだひでひろ=先生の学説)。

 もうすぐ、西洋白人の、丁度500年間(西暦1500年頃から)の 近代文明(モダーン・シビライゼイション)が終わってゆく。これからは、中国が世界を引っ張ってゆく。アジアが中心の世界になって行く(すでに世界GDPの6割はアジアが作っている)。その時に、中国人は、日本の国民歌謡である演歌からも、たくさんのことを学んで、それを世界化するだろう。

 まず、テレサ・テン( 鄧麗君=とうれいくん=) がいる。「愛人」と「償(つぐな)い」と「時の流れに身を任せ」だっけ。彼女は、中国語(プートンホア)と日本語の両方で歌って、中国人に日本の演歌の凄さ、素晴らしさ、を伝えた。

 その前には、1980年に、山口百恵と石田あゆみと、「一休さん」(ニン、ニン、ニン)が、圧倒的に、中国人の日本への深い尊敬を生んだ。この時の中国は、文化大革命の動乱から立ち直って、まだボロボロの服に、生きるのがやっの貧困状態だった。オンボロ・テレビのまわりにみんなで集まって、日本から貰(もら)ってきた、テレビ番組を見て、「自分たちも、豊かになりたい。もうこんな貧乏はイヤだ」と、死ぬほど思った。優れた指導者の 鄧小平(とうしょうへい)の元に、中国人は団結した。気づいたら、自分たちのすぐ隣りに、同じアジア人の日本が築いた先進資本主義の 憧(あこが)れの目標があった。

 ・・・私は、知識人だから、演歌なんかに熱中したことはない(キリッ)。それでも、3月24日の、「副島隆彦の勝利のお祝い」(ささやかに数人で、小さなフランス料理屋でやった)で、ワインを2本、空けた。私は、普通はお湯割りの焼酎を2杯しか飲めないのに、飲んで酔った。「ざまあ、見ろ、世界権力者ども」と。そして、スマホで演歌を歌った。他に客がいなかったから。ワインはその夜に上手に全部吐いたから大丈夫。

 私は、知識人だから知っている。それは、あの戦争に、静かにひとりで反対し続けたのは、日本人では、清沢洌(きよさわきよし)だけだった、と。 彼は、「暗黒日記(あんこくにっき)」という本を書いただけだ。戦争中は、何もしないで、ずっと日記を書き続けただけだ。それが、敗戦後に本になって評価された。清沢は、1930年のロンドン軍縮会議に、記者として行って、代表団と話し込んでいるようなインテリだった。

 日本人で、他に、戦争に反対したのは、詩人の金子光晴(かねこみつはる)と、アナキスト詩人の秋山清(あきやまきよし)だけだ。だけど、このふたりは、「嫌(いや)だなあ」と、詩で抵抗しただけだ。 私の先生の、吉本隆明(よしもとりゅうめい)が、「転向(てんこう)論」の中で、書いている。今は、あの時と似ている。日本全国で、なし崩しの、扇動された民衆、国民の動きと、自分の恐怖心に駆られての、大政翼賛(たいせいよくさん)への動きが、今、見られる。

 他の、日本知識人は、岩波書店の社主で、左翼リベラル勢力の代表のようだった、岩波茂雄(いわなみ・しげお)でも、真珠湾攻撃(1941.12.8未明)があって、シンガポール攻略が、ドカーンと有った、時に、みんな、ドッと吹っ切れたように、それまでの、反戦思想 を棄てた。不景気で圧殺されていた感情が、国民の間から、どっと溢(あふ)れ出た。鬼畜米英(きちくべいえい)、「日本民族の、撃ちてし止(や)まん、一億火の玉だ」というコトバが、急に出てきた。これに、一斉に、国民は、皆で同調して、翼賛政治体制(よくさん・せいじたいせい)に流れ込んだ。
網走(あばしり)の刑務所に捕まっていた、日本共産党の最高幹部たちも、同じようだったろう。

 当時の代表的な日本の知識人たち(例えば、斎藤茂吉、島崎藤村、高村光太郎、徳富蘇峰、長谷川如是閑、尾崎行雄ら )も、一も二もなく、開戦に舞い上がった。民衆の上層は、皇居の周囲を「天皇陛下、万歳」を唱えながら、ぞろぞろと提灯行列(ちょうちん・ぎょうれつ)をした。

 日本史学者たちが、書かないが、真珠湾攻撃が起きた、その日まで、日本国民は、アメリカと開戦する、などと、思ってもいなかった。政府の要人たちと、軍のトップたち以外は、アメリカ合衆国との開戦
知らなかった。 1041年(昭和16年)の 3月から、「日米交渉」は、始まっていた。

アメリカ政府はコーデル・ハル国務長官が、「日本は、中国から手を引け。居留民も、日本国内に引き上げさせよ」と、始めから、要求していた。交渉官(全権公使)の、野村吉三郎(のむらきちざぶろう)は、海軍中将であって、外交官ではない。 助っ人で送られた、外交官の来栖三郎(くるすさぶろう)は、日独伊の軍事同盟を推進した男だ。 この2人は、 アメリカ側と、厳しい交渉などしていない。ヘラヘラしていただけだ。 

 アメリカとイギリスは、日本を、中国との泥沼の戦争に引き釣り込んでおいて、そのあと、日米開戦なるものを、仕組んだ。 日本国民は、アメリカと開戦する、など、知りもしなかった。 御前会議(ごぜんかいき)が、数回、開かれ、開戦を準備する動きは、着々と、進んでいた。樺太のヒトカップ湾には、すでに連合艦隊が、出撃態勢に入っていた。 すべては、米英に、そのように仕組まれていた。日本は、昭和天皇以下、ずべての指導者が、騙(だま)され、嵌(は)められていたのだ。 この世界史の大きな、真実を、日本の知識人たちは、歴史学者を含めて、今でも、あまり自覚がない。

私、副島隆彦は、「副島隆彦の 歴史再(さい)発掘」(2019年1月刊、ビジネス社)で、この、驚くべき真実を、ずっと書いた。人間は、集団として、こんなにも愚かに、容易に騙され、扇動されるのだ。私は、深い慨嘆(がいたん)と共に、80年前の当時と、2020年の今、とを、大きな類似 として、見ている。今の動きも、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)への道だ。
 
 坂本竜一や糸井重里、・・・のような、左翼リベラル系の知識人たちまでが、コロナ騒ぎの翼賛体制に、絡(から)め取られるような、発言をしている。歴史は繰り返すのだ。

 当時の日本を代表する知識人たちは、その後の、3年半の戦争に、うんざりしてきて、「日本は負けるようだ。早く、戦争が、終わらないものか」と、言い出した。彼らは、上層国民だから、上手に、軽井沢、熱海、日光に疎開して、そこから、遠くの赤い夜の空の、東京大空襲の火を見ていた。 

 どんな国の、どんな戦争も、3年半ぐらいで、国民も、始めの熱狂がすっかり醒めて、たくさんの死人(兵士としての死)が出て、国民も「はやく、終わらないかなあ」となる。

 太宰治(だざいおさむ、38歳で、戦後に死)は、戦争に反対しなかったが、それでも、戦争中は、 「富士には月見草がよく似合う」と、甲府の峠の茶店(ちゃみせ)の宿にいて、「富岳百景(ふがくひゃっけい)」や「右大臣(うだいじん)実朝(さねとも)」を書いて「 明るさは、滅びの姿であろうか。暗いうちは、家も人も、滅びはせぬ」と、書いた。このまま、こんな愚かなことをしていると、日本は、滅ぶ、と書いたのだ。

 私は、日本知識人の系譜を、次の世代に繋(つな)いでいく人間として、自覚的に今の時代を生きている。 

 75歳以上の、後期高齢者(こうきこうれいしゃ)で、介護施設(人間が高齢で死ぬために有る施設)にいて、今度の新型コロナウイスルでの、死者数と、割合を、正確に公表せよ。例年(シーズナル)のインフルエンザでの死者の数と、その、何分の一なのか、を、各国政府は明らかにせよ。
日本は、年間、100万人が死ぬ(新生児が70万人生まれる)。そのほとんどは、超(ちょう)高齢者だ。肺炎での死が、20万人ぐらいいるだろう。コロナウイスルでの死者、170人とか言うのは、悪い冗談を通り越す、民衆を扇動して怯(おび)えさせるための、作為だ。

 アメリカは、人口3億人で、年間6万人が、通常型のインフルエンザで死んでいる。このうち、今度の、新型インフルエンザで死んだ、2万人のうちの、超高齢者と、介護施設(elderly home)での死者数は、どれぐらいなのか。他の感染者は、どうなったのか。下らない配慮などは要らないから、公表せよ。 こら、ジョンズ・ホプキンズ大学! お前たち自身が、このウイルスを製造した、元凶のひとつのハズなのだ。

 さて、最後に。
 私は、このように、家にいるときは、ユーチューブで、いくらでも見せてくれる、日本演歌に嵌(はま)まっていた。フト、そこから流れて、同じユーチューブで 見た。2年前の、紅白歌合戦に、チラと出てきて、「あ、これは、ちょっとイカン」と、すぐに、画面から消えた、あの、大柄な少女たち の集団ダンスだ。郷ひろみのバックで踊っていた。私は、目を疑った。その集団舞踏のあまりもの迫力に。それは、プロのダンサーたちの集団舞踏のレベルを超えていた。

 大阪府立(堺市)登美丘(とみおか)高校 ダンス部の「バブリーダンス」 (荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」の歌で踊る )だ。ごく普通の女子高生が、厚化粧して、大きく変身している。 
https://www.youtube.com/watch?v=Lxr9tvYUHcg

 これを、私は、ずっと共感して、厭(あ)かず3時間ぐらい、あれこれ見ていた。 2017年のヒットだから、もう3年遅れで、私は、日本の女子高校生たちの、恐るべき自発性の発揮の、集団身体舞踏 を、見ていた(ひとつで158万回 のビューアー数)。これは体制派にとっては、危険で、秩序破壊的だ。

 吉永小百合(よしながさゆり)が、映画「キューポラのある町」(◯年作)で、きっと埼玉県の浦和女子高だろうが、あの女子高校生たちの、ブルマー姿の「健全な」体操の姿との違い。だが、それでも、この登美丘(とみおか)高校の、バブリーダンスに存在する、同じ国民としての文化の連続性に、私は、ひとりで感動していた。「オッたまげー」だ。 日本国民の、自主的な集団行動による、創意工夫は、偉い ! 政府、役人、官僚ども、が邪魔をしなければ、国民文化は、いくらでも伸びる。 
(終わり) 副島隆彦拝