[2527]倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論 その2 玉姫=玉依姫=甕依姫

下條竜夫 投稿日:2020/04/17 16:45

前回に続いて、「倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論」を書いておきます。

下↓にふたつ、牧野さんと新谷さんの新しい投稿があるので、それもぜひ見てください。

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タイトルにある玉依姫(たまよりひめ)というのは、日本書紀、古事記にでてくる人物である。初代の天皇、神武天皇の母にあたる。ということは、天皇家の万世一系が本当なら、現在の皇族の始祖にあたる人ということになる。どうやら実在した人物らしく、日南市の宮浦神社というところにお墓(御陵)があるそうだ。

また甕依姫(みかよりひめ)という人は、筑後国風土記逸文という文にでてくる巫女(みこ)である。 九州王朝説(倭国は関西ではなく、ずっと九州にあったという説)で有名な古田武彦という歴史学者が、この甕依姫(みかよりひめ)こそが卑弥呼だとしている。ウイキペディアに、筑後国風土記逸文の訳文があるので載せておく。

<引用開始>
昔、こ(筑前・筑後)の国境に荒ぶる神がいて通行人の半分は生き半分は死んでいた。その数は極めて多かった。そこで「人の命尽の神」と言った。筑紫君、肥君らの占いによって、筑紫君等の先祖である甕依姫(みかよりひめ)を祭司としてまつらせたところ、これより以降は通行人に神の被害がなくなったという。これを持って「筑紫の神」と言う。
<引用終了>

「玉姫」と「玉依」と「甕依」。三人の姫がでてきた。

この三人の共通点は名前の発音がそっくりだということだ。玉姫は現代中国語で発音すると「ゆうじい」となる。玉依は「ゆうい」。また、甕依は音読みで、「ようい」だ。完全に同じとは言えないが、発音がよく似ているのがわかる。特に姫と依は、音読みが「き」と「い」でよく似ている。

ここから、私はこの三人は同一人物だろうと判断する。

そうすると、卑弥呼は古事記・日本書記では神武天皇の母ということになる。これは、非常に重要なことだ。なぜなら、多くの歴史学者が卑弥呼が古事記日本書記のどの人物に相当するかを徹底的に調べたが(神功皇后がそうだとも言われている)、結局よくわからなかった。初代天皇の母という一番ありそうで、誰でも思いつきそうな人物が卑弥呼だったというのは、ちょっとした盲点なのである。

副島隆彦説では邪馬台国は福岡にあったということになっている。

この福岡の大宰府の裏に竈門(かまど)神社と呼ばれる神社がある。この神社の主祭神が玉依姫(たまよりひめ)だ。「鬼滅の刃」という漫画が大ヒットしていて、その主人公が竈門屋という苗字なのでファンがたくさん、ここを訪れているらしい。

もし本当に卑弥呼が福岡にいたとしたら、ここ竈門神社あたりに住んでいたと思う。それはこの裏が山(宝満山(ほうまんざん))になっており、暦を決める天体観測に最適だからだ。暦を決めるためには、太陽の後ろの星を決定しなくてはならず、それには東と西が地平線近くまで見通せなくてはならない。暦の決定こそが当時の最先端科学のひとつであり、ここはそれに最適だ。

さらに、「かまど」と「やまと」という2つのことばはそっくりである。「山門」が「竈門」になったのか、元から「かまどこく」だったのかはわからないが、もし、福岡に邪馬台国があったとしたら、この大宰府の裏、竈門が邪馬台国で間違いないだろう。

魏志倭人伝の指摘どおりに道を辿っていくと、 伊都国(糸島)->奴国(博多)->不彌国(福岡市宇美町)ー>投馬国(大野城)->邪馬台国(竈門)と方角だけは正確だ。

この玉依姫(たまよりひめ)は、日南市にお墓(御陵)がある。ということは、どこかの時点で福岡を追放され、失意のもと宮崎の先まで逃げて亡くなったということになる。大宰府が菅原道真が亡くなってタタリ神になったところだから、なにかしら因縁めいている。

下條竜夫拝