[2515]コロナ・ショック後の世界(1)

片岡裕晴 投稿日:2020/04/04 11:40

  【コロナ・ショックで街の風景が変わりつつある】

何日か前のことですが、行き付けの耳鼻科クリニックに行ってビックリしてしまった。

自動ドアを開けて中に入ると、そこはかなり広い待合室になっていて、いつもは先客が15人前後いる。しかも小さな子供を連れた若いお母さんたちが5~6人は必ずいて、診察室からは診察中の子供の泣き叫ぶ声が聞こえるようなクリニックである。

ところがこの日は広い待合室に、先客がたったの一人、普段は診察までに一時間以上待たされるのに、すぐに診てもらうことが出来た。(待合室での感染を恐れてクリニックに行くのを控えているのだろうか?)

2月の初めごろにはドラッグストアーの店頭からマスクが姿を消し始め、マスク売り場の棚の前に「マスクは売り切れました」「本日の入荷はありません」などの張り紙が貼られ、マスクを買いに来た客が張り紙を見て呆然と立ち尽くす姿を何度も見た。

3月に入ってからは、マスクが無いことは当たり前になり、みんなマスクの棚は横目でにらんで通り過ぎるだけである。

食料品も2月の中頃からスーパーマーケットの米穀売り場、インスタントラーメン、パスタ類の棚から品物が少なくなるのが目立ち始め、やがて一時的に全く空っぽになったこともあったが、しばらくしてほぼ元に戻った。

同様なことはトイレットペーパーや、ティッシュペーパー、キッチンペーパー、ウエットティッシュなどでも売り場が空になることが何日か続き、しばらくすると供給が追い付くといった感じである。

しかし、マスクと消毒用アルコールは開店の二時間位前から並ばなければ、普通に買い物をしていては決して手に入らない。

テレビで政府や行政からの『自粛要請』や『ロックダウン』などの報道が流れるたびに、自衛を考える人々が巣ごもりの必需品を買いだめするという現象が起こっている。

  【PCR検査数が少ないのは何故なのか?】

テレビのワイドショーやツイッターのTLに流れるツイートを見ていると、日本ではPCR検査が各国に比べると異常に少ないことが度々指摘されている。

発熱や咳込みが激しくクリニックを訪れた患者が、インフルエンザ検査では陰性となり、担当医がコロナ感染を疑いPCR検査をしたいと、保健所に連絡しても、行政上の手続きが余りにも複雑過ぎて、結局は検査を受けられず、困惑し苦しんでいるという報告例が山ほどある。

1月の終わり頃からそのような話が出ていたがそれは4月に入った現在もあまり変わっていない。

様々な状況を考えてみると、日本では行政上の手続きをわざと複雑にして、PCR検査を受けずらくする仕組みを作り、感染者数を意図的に少なく見せているのではないかとの疑いが出てくる。

その狙いは、最初はオリンピックを予定通り開催するために、日本がコロナウイルスを水際で抑え込み、国内は汚染されていないということを内外に示すことが目的だったように見えた。

その証拠に3月24日にオリンピックの延期が決定すると翌日から感染者数が一気に増えたことからも裏付けられる。

しかし、どうもそれだけでは無く武漢でコロナウイルスの感染が始まり春節で大量の中国人旅行者が日本に来る前から、政権の中枢で「集団免疫」政策が決定されており、国民の6割~8割がコロナウイルスの保菌者になることによって、流行を(収束ではなく)終息に導こうとする強い意志があったことを感じてしまう。

そう考えると、諸外国のようにPCR検査を熱心にしない理由が理解できるのだが、この政策が感染症対策として正しい事かどうか私には判断できない。(せっかく出来た「集団免疫」もウイルスが突然変異することで、免疫の意味が無くなってしまうことは無いのだろうか?)

それでも、このような政策が、国民の正しいリーダーによって、注意深く行われるのならば一つの対応策であると考えることが出来る。

だが、邪悪な権力者ならばコロナウイルスによる死亡率が高齢者において特に高いということを利用して、社会的財政的に負担の高い(お荷物になっている)高齢者や経済的弱者をこの際切り捨てようと考えるだろう。

流行が終息するまでの数か月~数十か月の間に数十万人~数百万人の死者が出ようとも構わないという棄民政策が行われているのかも知れない。

感染者の数が(検査数を意図的に少なくすることによって)少なくカウントされている可能性がある一方、コロナ感染による死者の数も実際の数よりも少なく公表されている可能性が疑われる。

人間は原因が何であれいつか必ず死ぬ、その死がコロナウイルスによる死であるのかどうかは、PCR検査によって生前にコロナウイルスの感染が確認された場合に限る。

検査がされないまま亡くなった患者の死は本当はコロナ感染が原因であったにも拘らず、インフルエンザに依る肺炎とか多臓器不全とか心筋梗塞で亡くなったとカウントされ、コロナによる死亡とは統計数字にカウントされない。

これは、医療機関での手続き上、不作為にそうなってしまう場合もあれば、意図的にコロナによる死を隠そうとする場合もありうる。

自殺者数について考えてみよう、ここ何年かは二万人強の年間自殺者数が記録されている。

例えば数年前のことだが、私の知人のご家族が縊死(首つり自殺)した時、知人は世間体を慮(おもんばか)り、親しい医者をすぐに呼んで、公文書である「死亡診断書」を書いてもらった。その死は自殺ではなく「心筋梗塞」ということで統計上は処理されている。

不審死というものが年間何万人もある。警察は遺書が発見されない場合は自殺としてカウントしない。

一家四人が無理心中をした場合、自殺した人は一人で残り三人は他殺とカウントされる。本当は社会学的には四人の自殺と考えた方が正しいと思う。

このように統計の数字は意図的に間違って発表されている。

現政権が数々の不祥事(森友事件や桜を見る会事件などなど)で、公文書を改竄(かいざん)し、捏造(ねつぞう)し、隠ぺいし、そして破棄して乗り切ってきた事を考えると、このコロナ騒動にも数々の不正が行われていないと考える方が無理がある。

  【昨日は4月2日 近くのスーパーマーケットに買い物に出かけた】

スーパーの入り口横の陽だまりに中年の女性が床に座っているのが見えた。

彼女は黒のオーバーコートを着て、タイル張りの床の上に直に足を投げ出して、疲れた様子で座っている。

その横には異常にたくさんの鞄や袋などの荷物が置いてある。明らかに買い物客ではない。

私は直視できずに横を通り過ぎながら、すぐに悟った。

恐らく、彼女は家賃が払えなくなりホームレスになった人であり、荷物の異常な多さからみて、そうなったのはほんの昨日か今日のことだと思った。貯蓄の無い人が職を失い、収入が無くなれば部屋代が払えずにホームレスにならざるを得ない。コロナ・ショックは経済的弱者を直撃している。

リーマンショックの時には見なかった、東京近郊のベットタウンであるこの街でホームレスを見たことにショックを受け、胸が痛んだ。

  【コロナ・ショック後の世界】

このコロナ・ショックが過ぎ去った後、どのような世界になるだろうか?非常に興味深い考察です。

間違いなく言えることは、昨日までの世界に戻ることは絶対にないと思います。

(つづく)

2020年4月4日投稿