[2499]倭の女王、卑弥呼の本名は「張玉蘭」であり、倭では「玉姫」と呼ばれただろう論

下條竜夫 投稿日:2020/03/17 18:18

世間はコロナウイルスで忙しい。こんな時にこそ、ビタミンでも取りながら、この学問道場で学問をするべきだと本当に思う。

そこで数回にわたって、以前出版した『物理学者が解き明かす思考の整理法』からいくつかを取り上げてみたい。

この『物理学者が解き明かす思考の整理法』という本の中で、倭の女王である卑弥呼の正体は、初期の道教である五斗米道の祭主である、と私は書いたことがある。以下、そこから引用する。

<引用開始>
日本の歴史で最大の謎は、邪馬台国(やまたいこく)と卑弥呼(ひみこ)だ。この卑弥呼は、「鬼道(きどう)」と呼ばれる怪しげな呪術(じゅじゅつ)を行いながら、倭国の女王として、祀(まつ)りあげられた。邪馬台国の位置はわかっていない。

この卑弥呼が使っていた呪術の「鬼道(きどう)」とは、実は前述した初期道教である五斗米道(ごとべいどう)の神のことだ。さきほどの歴史学者の岡田英弘東京大学名誉教授が『日本史の誕生』(弓立社)の中で、はっきりと述べた。魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、『魏志(中国の歴史書の『三国志』のうち、魏の国に関する史実を記した部分)』にある東夷(とうい)伝の倭人(わじん)(昔、中国人などが日本人を呼んだ称)に関する記事の通称だ。『三国志』を編集した、西晋の歴史家の陳寿(ちんじゅ)は、『魏志』の中で東夷伝以外でも「鬼道」という言葉を使っており、それがまさに五斗米道を意味している。

<中略>

さて、それでは、この卑弥呼とは誰なのか?

彼女は、五斗米道の祭主である。そこから考えると、五斗米道創始者の張陵(ちょうりょう)から三代後の張魯(ちょうろ)の姉か妹なのではないかというのが私の推測だ。卑弥呼の時代がちょうど、この三代目張魯の時代になるからだ。

この張魯は三国志演義でもでてくる。曹操の配下になる前、張魯は母や弟が劉璋という武将に殺されている。だから、張魯は一族をどこかに避難させたかった、それが倭であり、逃げてきた張魯の家族のひとりが卑弥呼だったのではないかとというのが私の考えだ。

「『物理学者が解き明かす思考の整理法』 歴史の謎を天文学から明らかにする  から引用
<引用終了>

あまり、自信はなかったのだが、この事実の証拠がでてきた。以下の引用文で、「金錯や銀錯が施される鏡は「王宮関係」に限られる」というところに注目してほしい。卑弥呼が、魏の皇帝の親戚であったひとつの証拠である。

1)卑弥呼は五斗米道の祭主である
2)卑弥呼は中国五斗米道の始祖、張陵の孫である
3)そのため、卑弥呼は魏の皇帝と縁戚関係にある

とすると、すべてがうまくつながるのがわかります。

<引用開始>佐賀新聞 2020年1月3日

卑弥呼の鏡「可能性高い」 大分・日田で出土の鉄鏡「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」 中国・曹操陵の発掘責任者が見解

 「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の墓「曹操高陵」を発掘した中国・河南省文物考古研究院の潘偉斌(ハン・イヒン)氏が、大分県日田市のダンワラ古墳出土と伝わる国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」を、邪馬台国の女王・卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」の一枚である可能性が高いとする見解を明らかにした。佐賀新聞社の取材に応じた。

 卑弥呼がもらった鏡は、邪馬台国の謎を解明する重要な鍵とされており、今回の指摘は邪馬台国論争に一石を投じそうだ。

 ダンワラ古墳の鉄鏡は直径21・1センチ。鉄の鏡体の背面に金や銀を埋め込む象眼「金銀錯」が施され、朱色のうるしで彩色した珠がはめ込まれている。手足の長い龍のような怪獣が多数描かれ、銘文は「長冝■孫」(欠落部分の■は「子」と推測される)の四文字が刻んである。九州国立博物館が管理している。

 潘氏は、九州国立博物館でダンワラ古墳出土鉄鏡を確認した上で「金錯や銀錯が施される鏡は王宮関係に限られる。この鏡は国宝級の貴重なものであり、公式なルートで日本に伝わったと考えられる」と述べた。

 「魏志倭人伝」は、景初3(239)年に卑弥呼の使いが魏の皇帝から「銅鏡百枚」を下賜されたと記している。ダンワラ古墳の鏡は鉄製だが、潘氏は「倭人伝が『銅鏡』と表現したのは、鏡の総称として用いたのだろう。そこに鉄鏡が含まれても不自然ではない」と解説した。「魏の側からすれば、最高の品質の鉄鏡を贈ることで、倭に工業技術の高さを示そうとしたのだろう」と推測する。

 潘氏は、九州国立博物館で開催中の特別展「三国志」のために来日し、九州大学、東京国立博物館、九州国立博物館の研究者らとともに、ダンワラ古墳出土鉄鏡と、曹操墓出土鉄鏡の共通点などを議論した。

 二つの鉄鏡も直径が21センチと同一で、曹操墓の鉄鏡もX線調査の結果、金錯が確認できた。研究者らは「いずれも2~3世紀の中国において『御物』など最高級に位置付けられる貴重な鏡である」という見方で一致した。

<引用終了>

「金錯や銀錯が施される鏡は王宮関係に限られる」と書いてある。外交関係に限られるとは書いていない。卑弥呼が魏の皇帝と縁戚関係にあるひとつの傍証である。

張魯(ちょうろ)の姉妹、つまり張衡の娘に「張玉蘭」という実在の人物がいる。この張玉蘭は伝承では、不義の子を身ごもって、自殺したとされている。私は、この張玉蘭が倭(日本)に来て、女王卑弥呼として祭り上げられたと考える。

張玉蘭の母は、卑弥呼の使った「鬼道」を始めたと三国志には書いてある。(張魯母始以鬼道) すると、張玉蘭が卑弥呼だとすると、親子二代で「鬼道使い」だったことになる。

さて、この張玉蘭の字(あざな)、すなわち呼び名は玉姫(たまひめ)だったと私は考えている。なぜなら、張家では字(あざな)に「姫」の字を入れるからだ。例えば、五斗米道の指導者である張魯のふたりの叔母は、字(あざな)が「文姫」と「賢姫」である。ここから考えると、張玉蘭も字(あざな)は「玉姫」だっただろう。ちなみに、ここから「姫」という漢字が、日本語では皇女を表すようになっていくようだ(中国語では公主)。

女王の名は卑弥呼(ひみこ)だと魏志倭人伝には書いてある。これで誰だったかわからなくなった。

私は、中国側で、「玉姫(たまひめ)」を「王(おう)である姫」と誤読したのだと思う。「玉」の右下の点を見落としたということだ。はっきり書くと、「玉姫という巫女(みこ)が国を治める」だったのを、「王である姫巫女(ひみこ)が国を治める」と間違った。前者は「王が不在の時は、祭主が国を治める」というブリタニカの五斗米道に関する説明と一致する。

もし、張玉蘭(=卑弥呼)が無事に身ごもった子供を産んでいたとしたら、その子の名前は「豊姫(とよひめ)」だったのではないか。魏志倭人伝に「台与(とよ)」という名が残っている。「玉のように」可愛い女の子だったろうと想像する。豊姫と玉姫、ふたり合わせると、「豊玉姫」で日本の伝承とうまくつながる。浦島太郎の乙姫様のことである。

私は天皇の三種の神器になぜ「玉」が含まれているのかが、ずっと疑問だった。他の2つ、つまり、剣と鏡は実は道教の魔除けである。玉はこの2つとうまく合わない。異種なのだ。

卑弥呼の名が「玉」であり、これを三種の神器に入れたのではないか? そう考えれば、ぴったしとすべてがつながっていく。台与(豊)あたりが、母の名前の入った品をそっと神器として加えたのではないだろうか。

さて、これで千八百年前の日本の歴史の謎が解けたと思うのですが、皆さん、いかがでしょうか?

下條竜夫拝