[2465]藤森かよこ女史の「馬鹿ブス貧乏のために」本の出版、おめでとうございます。

副島隆彦 投稿日:2019/12/06 14:18

副島隆彦です。 今日は、2019年12月6日(金)です。

私たちの仲間の、藤森かよこさん(最近まで、大学教授をしていました)が、書いた
 「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたへ 愛を込めて書いたので読んでください。」(KKベストセラーズ刊、この11月末 発売)が、大変、売れています。アマゾンのフェミニズムで、1位です。きっとこの先もずっと1位を続けるでしょう。もっともっと売れるでしょう。

 この本は、多くの人の共感を得て、賛同を得ています。私たちの学問道場でも、全力で応援しています。

 もう、20年近くなります。私たちの学問道場が立ち上がって、すぐに、藤森さんから、連絡があって、シカゴ大学に、研究留学(大学用語で、sabbatical leave サバティカル・リーヴと言う)でしたか、NYの大学でしたか、メールが来ました。私は、返事を差し上げて、「本物のフェミニズムのために、闘い抜いてください」と書いた。

 当時、何を書いて返事したか。うろ覚えを、思い出しながら書く。女たちは、被差別民(ひさべつみん)だ。男中心の、長い人類史の中で、ずっと、虐げられてきた。 ヴォーボアール女史( ジャン・ポール・サルトルの長年の連れ合い、同志)が、「第2の性」( 女は、男のあとに続く、第2番目の性(セックス、ジェンダー)だ)と書いてから、すでに70年が経つ。

 女たちは、ずっと虐(しいた)げられてきた。それに対して、女たちの闘いが、始まった。それは、イギリスやフランス、アメリカで、  suffragette サフラジェット と呼ばれた女たちで、1870年代から始まり1914年(第1次大戦勃発)までだ。女の女権拡張論者で、婦人の参政権、選挙権( suffrage サフリッジ )を要求する激しい闘いだった。中産階級の上層の女たちが、主力だった。

 このサフラジェットの中の戦闘的な活動家は、イギリスのロンドンの郊外の エプソム競馬場(ダービー・レイス)で、イギリスの貴族と大金持ちたち(支配者、権力者)たちが、一同に集まって観ている、試合の最中(さなか)に、レース場に走り込んで、馬に蹴り殺された者もいる。蹴られて瀕死で、横たわっていた。それらは当時の新聞記事の写真で今も残っている。 サフラジェットの英雄として、ロンドン中で悔やまれて大きな葬儀になった。エミリー・ディヴィソンという女性だ(1913年6月4日、決行。4日後に死)。

 ディズニーの50年前の大ヒット映画「メ(ア)リー・ポピンズ」の中に出てくる、家庭教師(チューター)として雇われる、貧しい階級から這い上がって、教師階級になった主人公を、雇った、バンクス家のバンクス人が、「お母さんは、これからサフラジェットの会合に出てきます。いい子たちにしていなさい」という場面や、バンクスフィ人が、サフラジェットの歌を、歌うシーンが出てくる。私は、これに、何かピンと来て、感動して、これは一体何なのだろうと、強く、惹き付けられた。その時が、私と差サフラジェットの出会いだ。

 このサフラジェットたち Suffragettes のように、激しく闘え、と、私は、藤森さんを励ました。サフラジェットの闘いは、日本にも伝播(でんぱ)して、平塚雷鳥(ひらつからいてふ)の青鞜(せいとう、ブルー・ストッキング派)となり、与謝野晶子(よさのあきこ。日本浪曼派)、伊藤野枝(いとうのえ。大杉栄と共に、甘粕(あまかす)憲兵大尉に殺された。幸徳秋水=こうとくしゅうすい=の同志 )、市川房枝(いちかわふさえ)たちもいた。

 藤森さんは、私と交信したときは、まだ仮名だった。この話は、あとで本にした『副島隆彦の人生道場』(成甲書房、2008年刊)に、収録されている。馬鹿ブス貧乏の女たち こそは、フェミニズム運動の中心勢力だ。だが、大方(おおかた)の女たち自身が、この運動を嫌った。敬遠して近寄らなかった。

 フェミニズムを大学で教えた女教授たちは人気がなかった。私は、日本の1990年代のフェミニズムの女性研究者(彼女らは、学問分類上は、社会学=ソシオロジー=にはいる)を個人的に知っている。 難しいことばっかり書いて、そして、孤立して、やがて相手にされなくなった。 男の左翼や、急進リベラル派とも話が合わない。女たちには女たちの世界がある。

 藤森さんが、こうして、希有な思想家であり、男の思想家たちよりも優れている、アイン・ランド女史の、日本における、研究者の代表だ。「日本アイン・ランド研究会」も主宰している。 女の思想家で、もうひとり、凄いのは、ハンナ・アーレントだ。この女性は、ドイツ人で、大思想家のマルティン・ハイデガーの教え子で、密かに愛人だった人だ。アメリカに渡って、のちにネオコン派になる主要人物たちを励まして成長させた、女性思想家だ。 今のイスラエル国を建国をした、ベングリオンが率いた戦闘的なイルグーン団にも参加していた。それぐらい過激な、根源的な女思想家だ。

 私は、藤森さんが、こうして、「馬鹿ブス貧乏な女たちへ」本を書いて、これから、本格的に日本の女性運動を、再興していただきたい。もう今は、すべてが、焼け野が原のようで、何もなくなった。日本には、まともな社会運動も、激しい根源的な政治運動も、なーんにもない。

 なーんにもないところから、花が咲く。自然災害を含めた、人間たちの過去の営為の果(は)ての、焼け跡の廃墟の瓦礫(がれき)の下から、次の花が咲く。それが、私たちだ。私たちの学問道場は、日本の 焼け野が原の、瓦礫の下から咲く次の花だ。

 それが、生命の連続だ。ニーチェが言った、永遠に回帰する( ewige Wiederkunft エーヴィゲ・ヴィーダークンフト 永劫回帰、英語なら return to forever リターン・トゥ・フォーエヴァー )とは、新しい生命が、毎年、次々と生まれて続いてゆくということだ。花が咲き、実が成り、作物が出来る。ギリシアの思想だ。

 ニーチェが、アメリカの思想家のエマーソンと深い付き合いがあった、と 下 ↓ で、田中進二郎くんが書いている。エマーソンも、ニーチェも、家系からユニテリアン派のキリスト教に所属していた。ユニテリアン=フリーメイソン(その後、悪の支配者たちに、乗っ取られる、その前の)が、どれぐらい激しい、真実追究派の人々であったことか。ミケランジェロも、初期のそれだった。

 日本では、慶応義塾の創設者の福澤諭吉がそうだ。 同志社大学の創設者の新島襄(にいじまじょう)もそうだ。新島は、カルヴァン派なのではない。 同志社大学は、自分たちの本当の正体を隠して、今は、カルヴァン派だということにしている。

 慶応義塾大学は、福澤の死(1901年)後、福澤の一族を、上手に追い出した、福澤の下男、鞄持ちから這い上がった、小泉信吉、信三(こいずみしんきち、しんぞう)親子が、乗っ取った。この時から、慶應大学(卒業生は、これに義塾を付ける)は、内務官僚(特高警察)と裏で繋がる、悪い大学に転落した。以後、ろくな人材が出て来なくなった。

 ユニテリアンは、イエスを、ひとりの人間の男である、とする。神 God であり、天 ( Heaven ヘヴン、天帝ゼウスのこと)の子だとはする。だが、ユニテリアンは、三位一体(さんみいったい、トリニティ)を 嫌うので、エイスを 神格だとはしない。イエスという優れた人間の生き方から学ぶ、という宗教だ。自分とイエスの交信だけを信じる。そして、イエスという人物の伝記である聖書、を読むことだけをする。ユニテリアンは、最低限度の教会組織なのだが、指導者や、長老、世話役がいない。

 カルヴァン派=プレズビタリアン= には、まだ、プレズビターという長老(司教 の格)がいる。だから、組織として、大きく生き残った。キリスト教の儀式(リチュアル)には、必ず、司教(しきょう、ビショップ)がいないといけない。ただのセレモニーとは違う。

 ユニテリアン Uniterian は、昔から、コングリゲイショナリスト Congregationalist と名乗って、会衆(かいしゅう)派 あるいは、組合教会(くみあいきょうかい)と自称した。長老を持たないで、組織がしっかりしないので、ほとんど小さな宗派となった。ここから、社会改良の社会主義者になって行った者も多い。

 ヨーロッパの他の近代思想家たちの、ほとんども、ニュートンから、パスカル、デカルト、ガリレオ、ホッブズ、ライプニッツ、みーんな、みーんな、隠れてユニテリアン(Deism デイズム、理神論、りしんろん ) だった。トルストイも、ギリシア正教に破門されて、ずっとそのまま、だったということは、ユニテリアンだ。 理神論は、エイシイズム( atheism 無神論 むしんろん、神の存在の否定 )の、一歩手前だ。ユニテリアンを、さらに急進的にしたのが、カール・マルクスの社会主義思想 だ。

 エマーソンのセルフ・ヘルプ(自分を自分で助けよ の思想。self reliance 自己への信頼 ) の、自己啓発の思想も、ユニテリアンから始まったのだと、大きく分かって、私たちは本当に嬉しい。
 エマーソンたち、アメリカのユニテリアンの自由思想家(アメリカの自然の中で生きた、ヘンリー・デイヴィッド・ソローや、ウォルト・ホイットマンたちもこの系譜 )たちが唱えた、自己啓発の思想が大事だ。「自分だけを信じなさい。今の自分の生き方でいいんだ、これでいいんだ、と強く、自分に言い聞かせること」だ。 

 新島襄がお金を出して、ペンシルバニアに送った内村鑑三(うちむらかんぞう。無教会派)こそは、エマーソン思想の、日本への継受者だった。内村鑑三は、基督者(きりすとしゃ、クリスチャン)だと、名乗って、日本の当時のアメリカ思想への傾倒の波に乗って、日本で大きなキリスト教の運動を牽いた。 その分、ずっと、中国に拝跪して拝んだ漢籍と東洋思想は棄てられた。日本(人)は、ハイカラさんが多くて、常に、その時々の、世界のより大きな勢力に付く、性質をしている。 内村鑑三は、アメリカのプロテスタント系のキリスト教徒として、深く、日本独自のキリスト教を研究した。だが、同時に、内村鑑三は、ユニテリアン思想に対しても、恐るべき高度な理解を示した。

 お釈迦さま(ゴータマ・シッダルダー)が、80歳で、クーシナガール(最後は、自分の故郷で死のうと戻ろうとしして、下痢をして死んだ、途中の村 )で死んだときの、最期のコトバもそうだった。「私の教えなどよりも、自分を信じなさい。自分だけを信じて、強く生きなさい」だった。

 こうして、藤森かよこが、馬鹿ブス貧乏が、生き延びる道を必死で説くことから、新しい時代の新しい運動、闘いが、日本でもこれから始まる。藤森本は、その嚆矢(こうし)となった。

藤森かよこ さん。おめでとう。 よくやりました。   副島隆彦 拝