[2449]フェレイラ(沢野忠庵)はユダヤ教改宗者であったのだろうか

六城雅敦 投稿日:2019/09/20 14:59

田中さん、書評ありがとうございます。

フェレイラはなぜ棄教したのか?という疑問に対して、大研究者の鈴木武雄氏から論文集を頂いております。

初期の書物「割算書」(京都の毛利重能著 1622頃)は聖書のアダムとイヴの話から始まっているということは知られています。なので初期の和算はキリスト教宣教師により伝わったとされています。ただ、どうもそれほど単純な背景ではない。田中進次郎さんの指摘通りユダヤ教徒の改宗者も渡来した宣教師にも多く混ざっていたということです。

鈴木武雄先生の論文
数学教育研究第43号(2014別冊) 大阪教育大学数学教室刊
によると

(p136より引用)

『割算書』の序文の知識を毛利重能に与えた者は、「壽天屋邊連(注:ユダ族の地、ダビデ王の生誕地)」を最初に書かせるなどユダヤ教からの改宗したキリスト教徒コンベルソであった可能性があります。
~中略~

旧約聖書の文言が読者を惹きつけたのでしょうか。むしろ元和8年(1622年9月10日)元和の大殉教(カルロ・スピノラを含む55人が殉教)が行われた同年初春に旧約聖書の序文を引用した『割算書』を刊行するという行為は、あまりにも危険です。
~中略~

当時日本へ渡来した宣教師達はユダヤ人改宗者達も含まれていたことが非常に重要です。たとえばルイス・デ・アルメイダ(1525年頃-1583年)はキリスト教に改宗したユダヤ人の家系(コンベルソ)でした。彼は西洋医術を日本に伝え病院を作った人です。現在でも大分市立医師会立アルメイダ病院があるほど有名です。キリスト教徒といっても一括りできない深い歴史的な背景がありました。
(引用終り)

(つづいてp137より引用)
何故『割算書』では新約聖書の一部ではなく、旧約聖書の一部が引用されたのでしょうか。そこに当時日本へ渡来した複雑な状況がありました。日本へ渡来した宣教師たちには、もともとユダヤ教徒であった人もいました。ユダヤ教徒であったがキリスト教徒へと強制的に改宗された人達も少なくなかったのです。彼らは新キリスト教徒、あるいはコンベルソ(改宗者)あるいはマラーノ(豚)と蔑称されていました。彼らは差別されていたのです。イベリア半島がイスラム教徒に支配されていたとき、その政治行政経済や知識を支えているのはユダヤ教徒でした。レコンキスタ(国土回復運動)は1492年にグラナダが陥落することによって達成されました。ユダヤ教への迫害が行われ、スペインで1492年、ポルトガルで1497年にイベリア半島からユダヤ教徒の追放が行われました。この時以降公式的にはイベリア半島にはユダヤ教徒はいなかったのですが、キリスト教へ改宗させられたユダヤ人達は隠れユダヤ教徒であったのです。転び伴天連として有名なクリストヴァン・フェレイラは改宗者ではないかと云われています。
フェレイラが転び伴天連となり得たのか信仰心から見ると難しいことでした。フェレイラがもともとユダヤ教徒であって強制的にキリスト教へ改宗された者かその子孫であったなばら、反キリスト教徒になっても不思議ではありません。
新キリスト教徒が海外布教に出たのは、イベリア半島での差別にあったとも云われています。これも納得できることです。そうしますと日本へ渡来した宣教師の中にはフェレイラ以外にも隠れユダヤ教徒がいたとしてもふしぎではありません。
旧約聖書はもともとユダヤ教徒の聖典です。ユダヤ教徒は旧約聖書などと云いません。キリスト教徒が聖書として使うのは主として新約聖書の方です。新約聖書はイエス・キリストの言行録ですから当然なことです。隠れユダヤ教徒が新約聖書ではなく旧約聖書を引用するのは当然のことです。
(*『16-17世紀ヨーロッパ像 -日本というプリズムを通してみる』(ジャック・ブルースト/山本淳一訳岩波書店1999)『スペインのユダヤ人』(関哲行、山川出版社2002)『マラーノの系譜』(小岸昭みすず書房1994)『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』(小岸昭人文書院2002)『十字架とダビデの星-隠れユダヤ教徒の500年』(小岸昭、NHKブックス1999)
(引用終り)

このように、江戸初期ではキリスト教徒というよりも隠れユダヤ教徒により海外知識がもたらされたという現実もあるということです。

フェレイラが澤野忠庵という目明かしとして日本で生涯を閉じた訳は、コンベルソ、マラーノといった蔑称で迫害されてきた現実を身に沁みていたからだということ。キリスト教布教の歴史の闇の部分ですね。

ユダヤ教徒への迫害への恐怖はいまでも根深い。
喩えるなら韓国人の歴史観のようです。

イスラム教のコーランとおなじくタルムードの絶対視は、日本人には理解できない。

若い世代は柔軟ですが、その親の世代は頑なです。

世界史から一層深くみる必要性も痛感します。