[2340]『昼も夜も彷徨え』アイモニデス物語、を読んで

守谷健二 投稿日:2018/09/05 12:53

『昼も夜も彷徨え』アイモニデス物語は、今年の1月、中公文庫から出版された小説です。著者は中村小夜。無名の作者です。作品はこの一作だけだと思います。

小生、読んで非常に感心し、また感動しました。12世紀の地中海世界(イスラム社会、ユダヤ人社会)が実に生き生きと描写されており、盲を開かれる思いがしました。
 大哲学者・アイモニデスの生涯を、血沸き肉躍る冒険活劇に仕立て上げ、四百八十ページに及ぶ大作を一気呵成に読了させてくれました。

 この本の手引きとして、あとがきを引用します。

 異国を長い間旅していると、日本語の活字に飢えてくる。特にイスラーム圏にいると、日本の本が手に入る可能性はまずない。
 私がエジプトとシリアに住み、レバノンとえおる檀を旅し、その後シリアから陸路で国境を越えてトルコからギリシャ、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルまで地中海世界を放浪したのは世紀の変わり目で、スマホもまだなく、ようやく町のインターネット・カフェで日本とメールのやり取りができるようになった頃だった。
 そんな環境だから、住んでいる者や、すれ違う旅人どうしで手持ちの本を交換し合うのは宝の交換のような喜びだった。そうして出会った一冊の本の中に、「昼も夜も彷徨え」というアイモニデスの言葉がのっていた。その言葉は、故郷から遠く離れ、異邦人として、旅人として生きていた私の心に、静かに寄り添うように響いた。

 当時の私は、サラディンと十字軍の歴史を追っていたので、アイモニデスがユダヤ教徒で、アイユーブ朝の宮廷侍医の一人だと云うことだけは知っていたが、それ以上のことは何も知らなかった。いったいどんな人物か、どんな生涯を送り、どんな状況でこの言葉を発したのだろう?

 歴史を追っていたと云っても、学生でも研究者でもなく、会社を辞めて身一つでエジプトに渡った風来坊だった。夜明けの静かなアザーンの朗誦と共に目覚め、アラビア語を学び、スークで地元の人たちと語り、時にはモスクに行ってコーランの朗誦を聞き、時にはヒッチハイクで砂漠に残る十字軍の遺跡を訪ね、また夜のアザーンを聞いて眠る、夢のような日々だった。
 旅をして旅を住処とする暮しは、どこにも居場所がない孤独と背中合わせだ。でもその生活は苦ではなく、日本でなんとなく感じる閉塞感から解き放たれたような自由を感じていた。多分あの言葉を発したアイモニデスも、その自由と孤独をわが身で体験した人物だったのではないだろうか?

 帰国してからアイモニデスについて調べてみたが、これはとんでもないものに心惹かれてしまったな、と思った。宮廷侍医だけでなく、中世最大のユダヤ教の思想家であり、哲学者であり、一流のタルムード学者、とても門外漢の私などに手に負える相手ではない。
 一方で私は、アイモニデスが生きたイスラーム世界の空気を肌で感じていた。彼が渡り歩いた土地の多くを、私もまた旅していた。
 コルドバの路地裏で石畳の音を聞いた。地中海を渡る船でザコ寝して夜明けを迎えた。沙漠に寝っ転がって、満天の星空の下で眠った(本当に、まぶしくって、眠れやしない!)。
 砂と人いきれでごった返すカイロは、旧市街に行くと、十二世紀の地図を頭に入れても動ける当時の面影を残していた。
 もし土地に記憶と言うものがあるならば、その記憶をたどって一つの世界が描けるかもしれない・・・。いつしか私の中で、物語が勝手に言葉を紡ぎ始めた。
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 是非一読をお勧めします。
       平成三十年九月五日、守谷健二拝