[2300]高畑勲(たかはたいさお)が肺がんで死んだ。
相田英男です。
アニメ作家の高畑勲(たかはたいさお)が亡くなった。しばらくの間、昔のアニメについて、ネットなどで色々と語られるだろう。
自分の場合は、一番記憶にあるのが「じゃりんこチエ」だ。家出していたチエちゃんのお母さんが、帰ってきてチエちゃんと一緒に暮らし始めた時は、嬉しかった。お父さんが半グレで、舎弟のカルメラ屋とつるんだりする設定は、コンプライアンスにあまりに厳しくなった今のアニメだと、放送禁止になるかもしれない。「じごく組」とかも出てくるし。
さて、アニメについては実はどうでも良い。高畑の死因は肺がんだったという。ヘビースモーカーだったのだろう。高畑は、宮崎駿とコンビで、共産党の支持者だったのも名高い。しかし、原発の放射線が危ないと主張しつつも、タバコはバンバン吸っても平気だというのは、一体どういう心境なのか?タバコを吸わない私には、理解に苦しむ。
私は見ていないが、「風立ちぬ」というアニメ映画の中でも、主人公の飛行機の設計家がタバコを吸う場面が、頻繁に登場するらしい。評論家の池田信夫が、「低線量放射線の危険を訴える宮崎駿が、自分の作品の登場人物にタバコを吸わせるのは、おかしいだろう?」と、ブログに書いていた。池田信夫の方も色々と言われているが、池田のこのコメントには、私も強く同意する。
以前に、左翼系の論者として名高い(らしいが、よくは私は知らない)、市田良彦、王寺賢太、小泉義之、絓秀実、長原豊の5人(面倒なのでルビはふらない)が討論した、「脱原発異論」(作品社、2011年)という本を、買って読んだことがある。討論の内容は、はっきり言って私にはどうでもよかった。4人がそれぞれの、薀蓄(うんちく)を垂れ流すだけの、私には「ああそうね、良かったね」というだけだった。しかし、面白かったのは対談ではなくて、討論者5人の写真の方だった。4人全員がタバコを加えながら、対談に臨んでいた。丸二日を費やしたらしいから、各人4箱以上は、対談中に吸ってるのではないか?
別にどれだけタバコを吸っても、本人の自由だから良いだろうとは思う。しかしながら「福島事故でまき散らされたセシウムから出る、年間100ミリシーベルト以下の低線量放射線を浴びることが、命にかかわるほど危険だ」という前提で、お互いが対談しながらも、自分の肺の中に、明らかに発ガン性があると証明されている煙を、ひたすら流し込むという行為は、如何なものなのだろうか?こんなことにケチをつける、私のセコさが問題なのだろうか?
「無理にタバコを止めるとストレスがかかるので、精神的にリラックス出来る方が、かえって体には良い。だから、少しぐらいタバコを吸っても許されるだろう」とか、あいつ等は、言い訳するだろうか?それならば、福島事故の直後に現地入りした、医師である山下俊一(やましたしゅんいち)氏が、「ニコニコ笑っている人には、放射線が寄り付かずに、ガンになりません」と、被災者達にリラックスを勧める発言をした。その山下氏を「犯罪者だ、殺人者だ」と罵倒して、裁判にまで訴えた、広瀬隆等のスタンドプレーを、あいつ等は一体どう考えているのか?
納得できないと怒る私の、了見が単に狭いだけなのか?
左翼の論者達が、大変な勉強家で、頭が良いことは私も認める。作っているアニメ作品にも、素晴らしい物が多い。しかし知識人ならば、言行不一致というか、物の理り(もののことわり)という事についても、少しは考えてみたらどうなのか?
私は最近、だんだんわかってきた。原発反対を訴える殆どの論者は、原発の危険性や、福島県の被災者達の苦労など、全く心配などしていない、心にも留めてなどいない、という事実を。菅直人も、枝野幸男も、小泉純一郎も、米山隆一も、河野太郎も、小林よしのりも、「阿蘇山噴火の際に、火砕流が押し寄せて原発が壊れるから止めろ」と訴えた広島の住人も、その訴えを認めた裁判官も、原研労組の連中も、熊取六人組も、広瀬隆も、渋谷陽一も、井野博満も、吉岡斉(この間死んだ)も、坂本龍一も、V6の井ノ原快彦も、名前が思い出せないが、その他大勢の連中の全てが、心配などは、全くしていない。
要は、原発をネタにして、自分達が目立ちたいだけだ。自分が目立つためだけに、福島原発事故を利用しているのだ。結局は、物の理屈に沿って、論理的に考え続けることなど、どうでもいいのよ。だって、よくよく考えていけば、逆に、自分の方にも問題がある事を、認めざるを得なくなるだろうが。
単なる思い込みが全てだ。思い込みが彼らの結論なのだ、ということが、ようやく実感出来てきた。理屈で彼らを説得できると思って来た私が、あまりにも浅はかだったのだ。
高畑の話から飛躍し過ぎたが、お許し頂きたい。
相田英男 拝