[2267]会員からの 感想メールを転載します。

副島隆彦 投稿日:2018/01/27 06:03

副島隆彦です。

学問道場の会員で、私に個人的なメールで、読後の感想を送ってくるひとたちがいます。あまり遠慮しないで、出来るだけ、この 掲示板に載せてください。

自分一個の、個人的な問題では無い 課題にであれば、会員は、この重たい掲示板に書いて下さい。 以下のメールは、「載せ方がよく分からない」とのことでありましたので、私が、転載、貼り付けします。 副島隆彦記

(転載貼り付け始め)

From 堤達(№1295)

10人程度のメンバーに出している私的mailですが、西部萬 について書きました。

 貴兄に比べるとセンチメンタルで甘いですが、ひと言私からも申し上げようと思いました。

西部邁へのセンチメンタルな感想
 本日(2018/01/22)の朝刊で西部邁の死が報じられた。入水自殺のようである。 西部の本を熱心に読んだのは、80年代半ばであったと思う。多分、現在までに10冊以上は読んでいると思う。

 20年以上前だろうか。「朝まで生テレビ」もしばしば電波観戦したように思うが、やがて彼の物言いが下品になる頃、番組それ自体への興味も同時に失せた。

 中沢新一を東大に迎えるかどうかで揉めて、西部や舛添要一が同大の教員を辞めるという事態が生じた頃、職場の同僚が「東大の先生なんてあんなものかよ」と呟いた言葉に対し、柄にもなく本気で「俺は西部の本を6冊以上読んでいるけど、あいつは立派なヤツだ」と反発したこともあったのだ。

 彼の本を読まなくなったのは、ある時点からである。題名は失念したが、回想記風の文章の中で、"侠客"となった幼なじみが当時西部の住んでいた団地に訪れて、自分と妻も 一緒に3人で覚醒剤を注射した体験を読んでからだ。侠客が「東大の先生に覚醒剤を薦めるなんて」と呟くシーンであった。

 覚醒剤を注射したことや、それを正直に告白したことが問題ではなかった。文脈から「ああ、彼はもう何をいわれてもどうでも良くなったのだな」とガッカリしたのである。少なくとも評論家として禄を食む以上「何を言われてもどうでも……」というのは致命的である。

繰り返し彼が引用したチェスタトンの箴言 は記憶に焼き付いている。
「狂人とは理性を失った人ではない。理性以外の全てを失った人なのだ」

 西部が感じた幼少時のエピソードに、戦後、小学校で集団で戦争記録ものの映画を観に行ったときのものがある。子どもたちがアメリカ軍に拍手したのであった。「子どもたちでさえそうだ」というこのどうしようもない違和感が西部の原点であったように思う。

手元にある印象的な対談から引用する。

(引用開始)

吉本……  僕は西部さんの、『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』というご本を大変面白く読みました。とくに唐牛健太郎(全学連元委員長)に対する理解の深さ、一種の情緒的な好意・シンパシィといいますか、それらを含めて、おれは唐牛健太郎に対する正当な評価と.正当なイメージをはじめて見たよと思いました。

 だけどたった一つ「おやっ」と思ったことがあるんです。西部さんの本の中には一箇所も「大衆」というのが出てこない。この人たちは自分たち全学連と大衆の運命とを共感せしめることがどこかになかったのかなという疑問ですね。

西部  たしかに僕の書きっぶりの中に、大衆――僕の言葉でいえば庶民――の具体的な問題が出ていなかったといわれればそうかもしれません。しかし僕のいう庶民は、実は東大教授であり、道化であり、記者であり、清掃業者であり……そうしたいっさいの可能性をすべて持っていて、かろうじてバランスを保ちつつ生きている人たちのことなんです。ですから、おれはほんまは庶民なんだ、少くとも庶民になりつつあるんだ、と僕は思っているんです。

 吉本さんは、三島由紀夫について「資質の宿命」といわれましたが、福田恆存氏はあるエッセーで「気質」という言葉をつかっています。気質というのは英語で「ヒューモア」なんですね。もともとは人間の体の中に流れている体液をヒューモア=気質という。気質が何ゆえに「ユーモア」になったのか。僕はこう考えるんです。ホルモンの流れ、血液の流れ、そういった体液の動きによって人間は支配されているにすぎない。

 なんだ、そうなのか、おれってそれだけなのかという、やっかいとも滑稽ともいえる自覚。こうした気質の宿命を知らざるを得ない人間から、ユーモアが生じるだろうと思うんですよ。

 おのれが持って生まれた気質に支配されていることを知った上で、それをユーモアにまで高めてしまうという、本当にすごい才能をもった人びとを僕は「庶民」と名づけたいんです。ついでにいえば、そういう庶民が、戦後、日本ではどんどん消え去るばかりであることに三島由紀夫的にアタマにきているところがあります。

吉本  実感としてはよくわかります。僕が大衆という言葉を使っていて、いまその言葉に該当する存在をどこに求めていくかとなると、どこにもないじゃないかということになります。ですから僕の場合もイメージとしての大衆です。……

(引用終了)

対談 吉本隆明VS.西部邁「自決から20年 三島由紀夫の思想と行動 いま知行合一は可能か?」『文藝春秋 90年12月号』

どこかでまた、触れてみたい話題である。

西部邁、嫌われた人でもあった。それは認める。ご冥福を祈る。

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以上です。三橋貴明についても興味深く読ませていただきました。ご自愛のほどお祈り申し上げます。

From堤達
 メールをありがとうございます。載せていただければ幸いです。

 やり方が良く分からないということがあります。慌て者なのでメルアドが載ってしまいそうで遠慮していました。最早、年金生活者なので、名前も載せてもらっても構いません。

( 返信のついでに少しまた思い出しましたので…… )

 今、その名が思い出せそうでもうちょっとというところですが、わたしと同じくらいの年齢の某氏が西部を「孤独な説法師」と著書で書いていました。全くそのとおりでした。私も説法されるのが好きだったのでしょう。

 妹の事故に責任を感じて吃音者となり、それがアジ演説の際、治っていることに気付いたいうことなど、どちらかと言えば、彼の負の体験みたいなものに惹かれていたのかも知れません。

 鷲田小弥太( わしだこやた 札幌大名誉教授・1942- )という人が、同じ村落に住んでいて、若かりし頃の西部の姿を活写していましたが、「やや傍若無人風だが憎めない」ような描き方だったように記憶しています。

 貧しき時代に開催された集落単位の夜間映画会に窓から堂々と無賃侵入してきたというような話だったと記憶しています。鷲田自身ははっきりとは言っていませんが、自分は東京には行きたくはなかったので、大阪大学に入学した、と書いています、やはり?  周囲を「敬して遠ざける趣」が西部にはあったのではないかと、邪推しています。

呆れてしまった事件を思い出しました。

 「朝生」で有田芳生に対して「あんな女のハダカが載っているダブロイドに書いていて恥ずかしくないのか」と吹っかけたのでした。とにかく、しつこかった。

 このときばかりは有田に同情しました。有田も「あなたの『発言者』は立派だろうけど…… 」みたいな反論をしていましたが、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったようでした。

『発言者』最初の4年間くらい購読しておりました。

 最初、季刊と勘違いしていて、振り込んだ購読料が違っているとの指摘の電話が自宅にありました。多分、あれは奥様だったのでしょう。「もうちょっと話しておけば良かったな」とは後の祭りでした。

 なぜか、勘違いしたのでした。多分、毎月読むのはツライと思っていたのでしょう。でもまあ、あそこに寄稿した人々の考え方は分かったような気になりました。

長くなりますので、この辺で失礼します。わたしも昨年12月で67歳になりました。有名無名を問わず、70歳前後でお亡くなりになる方も少なくありません。副島さん、学問道場の方々、くれぐれも健康にはご留意下さるようお願いします。

(転載 貼り付け 終わり)

副島隆彦 記