[2236]この若いライターは、すばらしい。真実を書く人だ。私は彼を応援する。

副島隆彦 投稿日:2017/12/12 04:46

副島隆彦です。今日は、2017年12月12日(火)です。

私は、ネット上のニューズ記事の中に見つけた 一本の優れたコラムに注目した。

その前に、今日のぼやき を読みに行ってください。 私たちの学問道場の会員定例会(自力の講演会)の DVDが完成して販売が始まりました。

下に載せるのは、「 日本が中国に完敗した今、26歳の私 が全てのオッサンに言いたいこと  藤田 祥平 」という文です。

 この現地ルポのコラム を書いたのは、藤田祥平(ふじたしょうへい)という、まだ26歳の若い
ライターだ。 彼は、真実を書く人だ。私は、こういう 全く新しい、本当のことを書く若い人たちが現れるのを、ずっと待っていた。 以下の文を、コラムの文を 読んで、私、副島隆彦と一緒に 感動してください。

ここには、本当の最新の中国のことが、現地ルポルタージュとして鮮やかに書かれている。これが、本当の今の中国だ。日本は、中国の巨大な発展と成長の前に 完全に負けてしまった。

 私、副島隆彦は、今から20年前の1998年の8月に、上海と北京に行って、「これは凄(すご)いことになっている。中国は、日本を追い抜くどころか、世界覇権国(せかいはけんこく)になる」と、分かった。

 そして、それから10年後の 2007年、アメリカのサブプライム・ローン崩れ、翌年の リーマン・ショックの巨大な金融崩壊( ゴールドマンサックス 以外のすべてのニューヨークの大銀行、証券、保険会社が破綻した。それを20兆ドル=2000兆円の 国家資金を投入して、アメリカ政府が違法に救済した。これでアメリカ政府に毒が回った )が、もうすぐ起きるだろうことを、私、副島隆彦は、予言の金融本を、たて続けて4冊書いて、連続的に当てた。 

「ドル覇権の崩壊」(徳間書店、2007年3月)、「恐慌前夜」(祥伝社、2008年9月)などだ。あのとき、アメリカ帝国は歴史的に致命的な大打撃を受けた。それを、その後 糊塗(こと)、隠蔽(いんぺい)して、2010、11年に、表面上は国家危機(世界金融危機)を乗り切った。そして、今のアメリカの表面上だけ強そうな現状がある。

 あの激動の最中(さなか)に、私は、自分の初めての中国本である、「中国 赤い資本主義 は平和な帝国 を目指(めざ)す」(ビジネス社刊、2007年)を書いた。 それ以来、毎年、一冊ずつ、しぶとく自分の中国現地調査を行って中国研究の本を書き続けた。合計10冊になる。 「それでも中国は巨大な成長を続ける」、「中国バブル経済は、アメリカに勝つ」、「あと5年で、中国が世界を支配する」などだ。 

 これらの本に対して、反中国の右翼たちから、随分と悪口を書かれ続けた。が、一体、どっちが正しかったのだ。

 その他に、あの石平(せきへい、シーピン)氏と、3冊の対談本を出した。
石平氏は、北京大学出の秀才で、中国共産党による日本言論界への二重スパイで(国家情報部員)であって、日本の間抜けで、知能の低い反共右翼たちの中に潜(もぐ)り込んだ。

それに比べて、日本は、1992年のバブル崩壊(狂乱地価、住宅高騰=こうとう=でもあった)のあと、もう25年間もずっと、デフレ不況が続き、「マイナス成長」(笑い。そんな成長があるのか)を20年間も続けている。まともに就職できない、コネもない、若者たちが、本当に可哀想だ。

 そして、この10年、「中国崩壊論(ちゅうごくほうかいろん)」すなわち、「中国は経済政策、政治弾圧に失敗して、各地で暴動が生きて、崩壊する 」を書き続けた、今や赤っ恥の言論人どもが、今、退場し消えつつある。 中国は崩壊する、どころか、ますます繁栄して大成長しているではないか。日本全土に押し寄せている、中国人の旅行者たちの姿を、私たちは、毎日、見ている。

 この 反中国右翼で、反韓国、北朝鮮(チャンコロ、チョウセンジン、チョンコー、ロスケ=ロシア人への蔑称 などを使う人たち)への、差別と憎悪の言論を振りまく者たちが、自滅、崩壊しつつある。中国崩壊ではなくて、自分たちが崩壊しつつある。

 新聞、雑誌記者たちを含めて、この Moonie、ムーニー=統一教会、日本会議系の国会議員、幸福実現党 などの 反共右翼たち の 言論崩壊を、私、副島隆彦が、このまま見過ごすはずがないではないか。次々に、名指しで撃滅してやる。今こそ、私たちは、「アジア人どうし 戦わず」の大きな旗を掲げて、日本人は、アジアの一国として、平和を守って生きてゆく。

 私たち日本人は、今の自民党の政治を終わらせて、世界で通用する、強力な優れた指導者の出現を待って、官僚どもを叩きのめして、彼らから政治の実権を、改革勢力が、奪い取らなければいけない。

 以下の文を書いた 藤田祥平(ふじたしょうへい)君は、ライター(職業としての文章書き)の才能のある、かつ、優れた感覚をした若者である。私、副島隆彦の眼鏡にかなったので、以後、彼の文を読むときに、注目し続ける。皆さんも、そうしてください。

(転載貼り付け始め)
 
「 日本が中国に完敗した今、26歳の私 が全てのオッサンに言いたいこと  藤田 祥平 」

2017年12/2(土)  現代ビジネス(講談社、週刊現代 のウエブ版)

  藤田 祥平 筆

深センで常識をブチ壊された

  私はバブル崩壊の暗雲立ちこめる1991年に生まれた、失われた世代の寵児である。年齢は26歳。両親は大阪府のベッドタウンでそれなりに大きな中古車販売店を営んでいて、子供のころは金持ちだったが、いまは零落した。

 東日本大震災の年に母が急逝したのだが、そのころから父は折りに触れて金がないとこぼすようになった。家業を継ぐほうがいいのかと相談すると、「この仕事にはもう未来がないからやめておけ」と父は言った。

 それで文章の道に進んだ。こちらもそんなに豊かな未来があるわけではないが、どうせなら好きなことをやるほうがいい。そうして1年ほどウェブ媒体で記事を書き続けた。専攻はビデオゲームと小説だが、注文があればなんでも受ける。

 その甲斐あってか、とあるメディアから声がかかり、先月中国へ取材旅行を敢行した。取材の目的は、中国のヴァーチャル・リアリティ市場を調査することだった。その内容は、「電ファミニコゲーマー」たる雑誌にて掲載予定である。

 この取材の最中、私は、自分の常識を根底から揺るがされた。

 超巨大IT企業、テンセントのお膝元である深セン市――日本でいえばトヨタのお膝元としての愛知県のようなイメージだろう――に香港から入ったとき、もちろん想像していたような共産主義的な雰囲気もあったのだが、中心部に近づくにつれて、その印象はどんどん薄れていった。

 負けたのだ、日本が。少なくとも経済的には。


 ココナッツの自動販売機

これが「高度経済成長」なのか… 

 天を突くような高層ビルがあちこちに建ち並び、そのうちのいくつもが建設中である。
華強北(ファーチャンペイ)という名の中心地は電気街だが、ヨドバシカメラ15棟分くらいの広さがあり、メーカー直営店や個人経営の問屋が延々と続く。
街中のあちこちに放置されている同型の自転車は、スマホのQRコードで決済し、どこでも乗ってどこでも乗り捨てられる「mobike」という世界最大のシェアサイクルサーヴィスだ。

 ショッピングモールにはココナッツの実が大量に詰められた自動販売機があって、メッセンジャーアプリ「微信(WeChat)」で電子マネー決済を済ませると、機械のなかでココナッツに穴を空け、ストローを挿した状態でココナッツが出てくる。

 この「微信」はほぼすべてのサーヴィスや商店に浸透していて、時の流れに忘れ去られたような小汚い個人商店でさえ、オーナーのおじさんとスマホを重ねあわせて決済できる。

 肌で感じた。中国の経済成長はいわば身体的なものであって、のびのびと身体を動かせばそれだけで充分な対価が返ってくる性質のものなのだ。そしてこの国は、身体を動かせる若い労働力にあふれている。

 つまり、老齢をむかえて思うように身体が動かなくなった日本がいまの中国から新しく学べることは、おそらく何もない。この圧倒的な深センの街のなかで、「私たちはもう、これを高度成長期に体験済みなのだ」と私は思った。

 道行く人々がとにかく何かを喋りまくっている。5人に1人は、機嫌良く鼻歌なんか歌っている。 魚群のような自動車の群れはえんえんとクラクションを鳴らし続けていて、マナーなどという窮屈な枷は存在しておらず、ただ人々の心のこもった会話と仕草だけがある。

 繰りかえすが、私はバブル崩壊の暗雲のなか生まれた。そうして26年が経ったが、はっきり言おう、人間がここまで希望を持って生きていいものだとは、想像だにしなかった。

 ヴァーチャル・リアリティのコンテンツに力を入れている種々の企業に取材を行うとき、この感覚はますます強められた。彼らの決断はおそろしく早い。ちょっと首を傾げるような詰めの甘い企画のプロダクトが、すでに市場に溢れている。

 私がサラリーマンをやっていたころに書いたさまざまな企画書は、日本では直ぐに却下された。しかしこの国であれば、なんの問題もなく通っていただろう。そうして私の考えや行動が現実に影響し、それによって仕事をしている実感を得られただろう。

 正直に告白すれば、彼らが羨(うらや)ましくて仕方なく、私は街中にばらまかれた大量のLEDの光のもとで、何度か泣いてしまった。この国でなら、文章でも食えるだろうと希望を抱けたはずなのだ。


 取材で入ったスラム街

人材も輸出するしかない

 しかし、愚痴ばかり言っていても仕方がない。いまの中国に対して、日本が行えることは何か、考えてみよう。

 私なりの答えは、文化の斡旋だ。深セン市で体験したほとんどすべてのコンテンツのクオリティは、目を覆いたくなるほど低かった。目を覆いたくなるというのは比喩ではない、VRをいくつもやったからだ。いずれもひどく酔っぱらって、大変だった。

 このクオリティの低さに理由を求めるならば、文化大革命や共産党によるビデオゲーム規制など、なぜか文化を破壊したり抑圧したりする、独特のお国柄にあるのだろう。ことコンテンツ創造にかんする、文化的蓄積がないのだ。だからこそこの国に、娯楽として洗練された日本のコンテンツをうまく輸出するべきだ。比喩的にいえば、悟空やマリオやピカチュウが向こうで泣き寝入りしないような形で、輸出するのだ。

 ここまでは、他の誰かがすでに言っていることの焼き増しである。ここに付け加えるとすれば――日本の優れた人材さえをも、うまく輸出することだ。なぜか? すでに状況は、日本人そのものを残すには手遅れで、せめて日本の文化的・経済的遺伝子を残さねばならないところまで、進んでしまったからだ。

 私はすべての20代を代表して、人生の先輩方であるあなたに言わせてもらいたい。先兵のひとりとして、管理職を務めるあなたに、経営者のあなたに、意思決定権をもつあなたに言わせてもらいたい。私たちはこの戦況を作り出したあなたに、文句を言いたいのではない。

 そうではなくて、能力のある若者に適切な権限を与え、いい加減に労働時間をまともなものに変更し、女性の給料を男性とおなじにし、すでに未来のない国内戦から撤退して、戦場を中国に移せ、と言いたいのだ。

 もっと具体的に言おう。中国の物量をいいかげんに認識して、彼らに魚の味ではなく、釣り方を教える戦略に切り替えろ。私たちは国際社会に協調することにかけては一流なのだから、米(アメリカ)や旧EU圏 とのパイプを維持しつつ、中国とも独自の協調路線を取れ。

 読み終わった英語の教本を売り、中国語の教本を買え。いわば、これは他国の特需に介入するようなものだが、地球上にはいまのところ国境があるのだから、仕方なかろうが! 

 (日本の)出生率のデータを見ろ、大卒初任給平均のデータを見ろ、平均労働時間のデータを見ろ! 

 おれたち(日本の)若者は疲れ果て、飢えている。もしもいまのような見当違いの戦略で、いつまでもおれたちを戦わせ続けるつもりなら、おれたちはこんな国から出ていくぞ。

 誰でもいい、あなたの会社の有望な若者をまずはひとりつまみ上げて、中国に送れ。通訳をつければ、そいつはなんだってやる。

 たとえば私は、三和地区という深センのスラム街に分け入った。ネットカフェで3日間ゲームをやり、1日だけ肉体労働をして暮らす「廃人」たちに、取材をするためだ。

 その地区に降り立ったとき、「人力資源市場」という看板が掲げられた、薄汚い建物の前に労働者たちがたむろしており、陽によく焼けた肌を晒した筋骨隆々の男たちが、私にあきらかな敵意の視線を向けていた。

 そして、私は彼らに声をかけ、カメラを向けた。驚くべきことに、取材はうまくいった。それどころか、おもに農村出身の彼らが国の将来に希望を抱いていること、まじめに働けばひとかどの生活ができるようになると考えていること、ゲームやアニメといった日本の文化的コンテンツに尊敬の念を抱いていることが知れた。

 ただ、そもそもこんな突撃取材ができるのは、私が20代で、失うものが少ないからだ。もしも私に子供がいれば、あんな街に入る仕事など断っていた。
だからこれは私の手柄というよりも、私くらいの年齢の者を思い切って現地に飛ばした、雑誌編集部の手柄なのだ。

 だから、私はあなたに言いたい。頼むから、私たち若者をあなたの愚痴に付き合わせる案山子としてではなく、経済的な鉄砲玉として使ってくれ。
あなたは若いころ、米に対してそうしてきたではないか。

 あなたが生き延びて帰り、この社会をここまで豊かにしたのは、上官の命令を忠実に守ったからではなく、自分の頭で考え、行動したからではないか。だからあなたは、私たちを、これほどまでに優れた次の世代を、育て上げることができたのではないか。私たちにも、おなじようにやらせてくれ。

 そして私たち(副島隆彦加筆。日本の若者)に子供を作らせてくれ。20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。

 ――その流れがすでに起こっていることを、知らないわけがなかろうが! 
中国のタクシーの覇気を見よ
 ……という話を60代の父にしたところ、彼は私に聞いた。「向こうでは、車はどんなものが走っている? 
私は見かけたロゴの社名をいくつか挙げた。 「運転の感じはどうだった? 

 「イタリアと同程度だ」と私は答えた。「だけど、もっと荒い。何度かタクシーに乗ったが、飛ばしまくる。混んでいるところではクラクションを連打しながら、割り込みまくって進む。そのくせ危なくはない。すばらしい運転技術だよ。40分かかるとナビに出ているところを35分で着く」

 「その5分は大きいぜ」と父は言った。「その5分でどれだけのことができる。商談の準備を確かめられる。仕事のイメージを描ける。煙草を一本つけて、気持ちを作れる」

「タクシーの助手席に乗っていたんだが、あの運転、なんだか親父の若いころを思い出したよ」 「その感覚は正しい」と彼は答えた。「おれも若いころは、飛ばしまくりの割り込みまくりだった。いま思えば、そうやって経済が発展していたんだろうな。勤めていたころ、5時に帰社しなければならないときは、3時までに仕事を終えて、2時間ほど酒屋で角打ちしたもんさ。それでよかったし、酒屋にも金が落ちた」

 私は深く頷いた。ところで、最愛の妻を7年前に失った彼はいま、あたらしいフィリピーナの恋人をフーガの助手席に乗せて、何度目かの青春を楽しんでいる。まるで彼とともに、日本の物語が美しく終わるかのようだ。しかし、勝手に終わられてはたまらない。私たちはまだ、あと50年は生きねばならないのだから。

 そして深センの夜の街を歩いているとき、私の傍らにいた私と同年代のガイドは、つたない日本語で私に聞いた。「どうすればもっと日本語がうまくなるだろうか? 」 彼は私とともにスラム街に分け入り、勇敢な心でもって、貴重な証言を人々から聞き出してくれた男だった。

 私は答えた。「日本を、日本語をもっと好きになることだ。書店にある、中国語に翻訳された日本人作家の小説を読んで、お気に入りを見つけるんだ。それから、その小説の日本語版を買って、2冊を突き合わせて読む。そこで用いられている言葉は、言葉のプロによるものだ。だから、間違いない」

 彼は深く頷いて言った。「それはとてもいいアイデアです。ありがとう。やってみます」

藤田 祥平

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は本当にこの、藤田祥平の文章のうまさ、頭の良さに感服した。以後、彼を物書き、言論業界で、応援する。彼のような、本当の新しいことを書く、若い人間を、どんどん表明に出さなければいけないのだ。

 「90歳、何がめでたい」(佐藤愛子著、今年のベストセラー1位)の、こんな、ばばあ、老人本 なんか吹き飛ばしてしまえ。 老人はどんどん死んでゆけば、それでいいのだ。いちいち、あちこちに、くだらない遠慮や、配慮なんか、している暇なんかあるかよ。

副島隆彦拝