[2235]「イチキレ、ニコウ、サンスマホ」?
二年前の正月明け1月10日頃、京都の白川通りを車で北上していた。白川通りは東山連峰に沿って、南禅寺山門付近から北上し宝ヶ池通りに至る京都市を南北に貫く主要な道路である。市営動物園、大文字山を過ぎ、銀閣寺を右手に見ながら、丸太町の交差点を過ぎると、片側二車線となり、両側には洒落たレストランや喫茶店、芸術系大学、ブティックなどが並びに、北山通りと共に人気のある通りである。
丸太町の交差点を過ぎて、私は左側の車線を走行していたのだが、三十メートル先にハザードランプを点滅させて停車している車が見えたので、右側の車線に移ろうとウインカーを出し、三回点滅したころ車線変更をした。日曜日のせいもあり普段よりも道路は混んでいたので、右車線を走っている車と車の間に割り込むような形になってしまったが、決して無理な車線変更だとは思わなかった。ところが、後ろを走っていた車のドライバーはそうは思わなかったらしい。いきなりクラクションを鳴らした上に、左車線に移り、私の車を追い越すと、更に私の車の前に割り込んできた。そして嫌がらせに急ブレーキをかけたので、危うく追突しかけた。その後も不規則な動きをするので、私は細い通りを左折して、その車から離れた。
私は、9年前に東京近郊から滋賀県にに転居したのだが、こちらに来てまず驚いたのは、関西のドライバーの交通マナーの悪さであった。信号の無い脇道から渋滞でのろのろ運転中の主道路に出るような場合、関東でなら普通に譲って前に入れてくれるような場合でも、なかなか入れてくれない。こちらが譲ってあげた場合も、「どうもありがとう」のサインであるハザードランプの点滅をするドライバーが関東に比べて極端に少なかった。(9年後の今はハザードランプを付ける関西のドライバーも少しは増えたと思う)
車社会のマナーの点では、関東の大半のドライバーは関西のドライバーよりもはるかに良質であると思う。
さらに驚いたのは、ウインカーを出さずに曲がる車が二割ぐらいいることだ。曲がる直前にやっと出す車も入れると半分は落第である。そして、これがイオンモールのような大駐車場に入ると不思議なことに半分の車がウインカーを出さなくなる。まるでウインカーを出すと損をする様な感じなのだ。ウインカーを出さないのは高齢のドライバーが増えていることと関係があるかもしれない。
私の観察によると、京都ナンバーの車はせこいドライバーが多い。自分の車の前には絶対に他車を割り込ませまいという固い信念を持っているみたいなドライバーが実に多い。私は大津市に住んでいるので滋賀ナンバーである。京都ナンバーは滋賀ナンバーを「稲妻ナンバー」と呼んで小馬鹿にしているらしい。「滋」の漢字のイメージが雷様の稲妻の形に似ているからだ。東京で品川ナンバーが埼玉ナンバーをダサイタマとか言って小馬鹿にしているのと同じなのだ。
昭和38年(1963)名神高速道路の開通が話題となり、マイカーブームの到来があった。高速道路が出来始めたとはいえ、一般道路の状況はまだまだ悪く、舗装されていない砂利道も多かった。私の小中学校時代の思い出は、雨の日の登校時、未舗装の道路のそこら中に雨水の溜まり穴が出来、そこをスピードを落とさない車が、泥水を跳ね上げて走っていく光景、跳ね上げる泥水の量はダンプカーが圧倒していた。通学中の子供たちの列は、傘を一斉に横に向けてその泥水を傘で防ぎながら登校していた。よけ損(そこ)ねて泥水をかぶったこともあったが、それは社会の活力をどこかしら感じる結構楽しい思い出として残っている。
マイカーブームは女性ドライバーの登場でもあった。そして夜は仕事帰りに同僚と飲酒して車で帰宅するドライバーが大問題となった。
交通事故がどんどん増え、危ないドライバーの代表として、「一姫、二虎、三ダンプ」という言葉が生まれた。
「姫」とは女性ドライバのことである。このころはオートマチック車はまだ開発されてなく、全てマニュアル車であった。つまり足で操作するペダルが三つもありその一つが、今はもうないクラッチペダルなのだが、免許取りたてのドライバーにとって、女性にも男性にもなかなか厄介な存在で、特に急な登り坂で停車して発進する場合、左手でサイドブレーキを緩めながら、左足のクラッチペダルを徐々に上げて、右足のアクセルペダルを少しずつ踏み込むという操作が必要で、なれないドライバーにとっては、今のノンクラッチ車(オートマ車)の様な気軽なものではなかった。
だから、そこいら中でエンスト(エンジンストップ)を起こす車がいて、交差点でエンジンを始動させる車を見るとたいてい女性ドライバーだった。
「虎」とは飲酒運転をする酔っ払いドライバーのことである。会社帰りに上司や同僚と酒席を共にし、上司や同僚を送っていく途中によく事故が起こった。
「ダンプ」とはダンプトラック、ダンプカーのことで、当時は本当は最も危ないドライバーだった。高度経済成長の最前線で危険で汚い仕事をさせられた男たち。このころのダンプは、荷台に山盛り一杯土砂を積んでいた。でこぼこの砂利道を砂埃を上げて、車体が揺れるたびに積み荷の土砂が道路にまき散らされ、砂利道の穴ぼこが埋められてしまうので、ちょうどいいのかなーと思ったりした。
ダンプの運ちゃんが酒を飲みダンプカーを運転したら最悪であった。当時はまだ「姫」がダンプを運転する時代ではなかった。
これが、高度経済成長期の危ないドライバー、ワーストスリーであった。
そして、平成が終わろうとしている現在、危(あぶ)ないドライバー、ワーストスリーを私自身の経験から、「一切れ、二高、三スマホ」とした。
「切れ」とは切れたドライバーのことで、冒頭紹介した事例や二三か月前に話題になっていた、高速道路のしかも追い越し車線に車を停車させ因縁をつけるという信じがたい事件が起こっていた。このようなドライバーは車を運転しないときも問題を起こすような低質な人間だと思うが、車を運転している時の自分の領域(すなわち相手の領域でもある)ということを考えておくことが重要である。
運転中のスピードによりこの領域は変化するが、一般道を4~50キロで走っている場合、前方4車長分、後方2車長分、左右は走行車線の白線から白線までを私は自分の領域と感じている。この領域内に他車やオートバイ、自転車、人が入ってくると、自分の領域を犯されたと感じる。だから、当然周りのドライバーも同じことを感じながら運転していると思わないといけない。
「高」とは高齢者ドライバーのことである。高齢者ドライバーのアクセルとブレーキの踏み間違いによる事故の報道が沢山ある。確かにショッピングセンターの駐車場で苦労しながら車庫入れをしている車を見ると高齢者が多いし、車から杖を突きながら高齢のドライバーが降りてくることもある。そして、助手席からは腰の曲がったお婆さんが降りてくると、大変だなーと同情してしまい、こういう人たちと一緒に車社会が動いているのだと改めて思う。
しかしながら、私は高齢者ドライバーの事故報道は少し割り引いて理解しなければならないと思う。「また、高齢者が事故!」というように大きく報道される傾向があるし、高齢者ドライバーの絶対数が大きくなっているのだから高齢者の起こす事故件数が増えるのは当然である。
「スマホ」とは携帯電話、スマートホンを見ながら運転しているドライバーのことである。赤信号で停まった時、ルームミラー越しに後ろのドライバーを観察すると、下を向いているドライバーが多い。ほとんどはスマートホンを見ているのだろう。そして、なぜだか軽自動車で黒のワンボックスカーに乗った若い女性ドライバーが多い。しかも、この手の女性ドライバーは余り車間距離を取らず後ろにくっついてくる感じで運転する人が多い。(あくまでも私の経験した事実を言っています)だから、軽自動車で黒のワンボックス、女性ドライバー、スマホと三つの条件が重なると、車線を変更して先に行ってもらう。以前、追突されそうになった経験からだ。
ナンバープレートに関する私の偏見をもう一つ言うと、大阪の「なにわ」ナンバーにものすごく悪い印象を持っている。特に大型の黒のワンボックスカーの「なにわ」ナンバー車が側(そば)にいると、できる限り避けようとする。思い出せないが過去に嫌な経験があったのだろうか。
こうしてドライバーたちはお互いに小馬鹿にしあいながら、今日も走る。明日もあさっても、その次の日も次の日も、毎日毎日、車社会は動いていく。 素晴らしいな、人生は。 人生万歳。
クソ横綱白鳳の真似をして、万歳三唱してやるぞ。 万歳!万歳!八百長バンザイ!