[2215]無題

片岡 裕晴 投稿日:2017/11/06 21:39

先日、美容院に行き髪の毛をカットしてもらった。カットしてくれたのは20代後半の優しい女性の美容師さんで、感じがとてもいい。

どんな話題を振っても、うまく相槌を打ってくれて、自分の意見もちゃんと主張する賢い人である。優秀な美容師かどうかは、ヘアーメークのセンスは勿論のことであるが、話題が豊富で客の話に上手に付き合ってくれる器量の持ち主かどうかだと思う。

私が理容院よりも美容院を好む理由は洗髪の時、理容院(散髪屋さん)では前屈の姿勢で髪を洗ってくれるが、美容院(昔風にパーマネント屋さん)では仰向きの姿勢で椅子の上で寝た状態で髪を洗ってくれることにある。

リクライニングした椅子の上に寝た状態で頭髪を温かいお湯で、優しい女性の手でマッサージしてもらいながら、洗ってもらううち、つい気持ちよくなってウトウト眠りかけてしまうことさえある。

ついでに優しい女性の手で髭も剃ってもらいたいと思うのだが、美容院ではこれができないのだ。

「だって! 法律で! 美容師には髭(ひげ)を剃る国家資格がないんだもん!」だって。これって、なんか日産自動車やSUBARUの無資格の人が検査をして、車を出荷していました。しかも、三十年も四十年も前からって話と似てませんか?

いっその事、全日本美容師組合で談合して、「来年から美容院でも髭を剃りま~す!」って宣言を出したらどうだろうか。ひょっとして、共謀罪で逮捕されるかも。厚生労働省が頭に来て、全国の美容院を営業停止処分にするって命令出したらもっと面白いだろうな。日本中の女性から非難轟轟、ただでは収まりませんぞ。

この同じ女性の美容師さんが客ではなく、自宅で自分の恋人や、夫や父親の髭を剃ってあげても、厚労省は文句を言わないだろう。

これも、自由恋愛で男女がセックスしたり、夫婦がセックスするのは構わないけど、お金を取って同じことをしてはいけませんという売春防止法にそっくりですね。

日産自動車やSUBARUの資格のない人が検査して、資格者のハンコを借りて押していた問題は、建築業界における一級建築士の名義貸し問題と全く同じである。

私も昔、建築関連の業界で仕事をしていたが、私が関連したごく狭い範囲での経験から言えることは、名義貸しに類したことはごく普通に行われていた。つまり、建築基準法に定める国家資格を持たない設計者(建築士とは違う)が、ごく普通に設計図を引き、建築を行っている。

恐らくその組織の中に一級建築士が在籍し、全ての設計図書に目を通しているという苦しい言い訳は成り立つのだろう。(しかし、全ての図面に目を通すことなど時間的に出来はしない)

勿論、最終図面には一級建築士のハンコが押されるのだが、本人(一級建築士)以外が押すことの方が多いのではないだろうか。

名義貸しは良いことか、悪いことか?「悪イコトデスゥ。。。」とみんなが言う。しかし、建築業界で日産自動車やSUBARUのの様に厳格に資格者以外は設計したり建築監理をしてはいけないと言ったら、一体どうなるか考えてみればいい。工事は停滞し、建築業界は大混乱間違いないだろう。

1990年頃サラリーマンだった私は、ある資格が必要になり、その資格を取るために開催された専門学校主催の講習会に参加した。その講習会は3週間の期間であったが、ある科目の三回目の講義が始まったところ、担当の講師が勘違いをして前回と同じ講義を始めた。

その講師は同じ科目を何クラスも持っていて、別のクラスと間違えたのだろう。
私を含めてほとんどの受講生が講師の間違いに気付いたと思うが、誰も間違いを指摘せず、数分経った頃、受講生の一人が席を立ち後ろのドアから出ていった。

そして二三分後、その受講生が何と事務局員を連れて戻ってきた。そして、その事務員の口から間違いを指摘させたのである。(ここで副島先生の文体をお借りして表現すると)私は唖然としてしまったのです。

つまり、その人は、受講生は講義を聴く役割、講師はテキストを講義する役割、事務局員は講習会の運営管理を行う役割と線引きした上で、間違いを指摘するのは事務局員の仕事だと考えたのだと私は理解した。本当は「先生、間違ってますよ」と一言いえば済んだことなのに。。。そして、誰も傷つかず、恥をかくことも無かったのに。。。

今年の七月のことである。 何年か使ったiPhone5をAUのショップでiPhone7に機種変更して、使ってみたところ設定がうまくいかなかったのか、OCNのメールアドレスで送信はできるのだが、受信が出来ないという問題と、新幹線の車内でWiFiにつながらなかったので、購入したAUショップに行き、相談をしたのだが、対応した男性スタッフはそれはOCNとJR東海に聞いて下さいというのみで、結局その場では何の解決にもならなかったという経験をした。

その男性スタッフはAUの仕事、OCNの仕事、JRの仕事と守備範囲を線引きし、自分の領域以外のことで下手に関わって問題でも起きたら大変だとでも考えたのだろう。

マンションでは居住者間で問題が起きた時、(生活音やタバコの煙が隣家から流れてくる等)当事者同士は決して話し合わず、管理組合に訴えるという解決方法が取られるのが通例である。

このように当事者が話し合えば簡単に問題が解決できることも、公的な管理者に解決をゆだねる傾向が徐々に進行している。

ちょっとした親切心と自分の持っている知識を活用すれば、問題がすぐに解決するような場合も、自分の守備範囲を超えると、相手の縄張りを犯してしまうと考えるのか、自分の領域にはっきりと線引きをしてしまい、決してそれを一歩も越えてはいけないという風潮が広がりつつある。

私が幼児だった頃から高校生までの記憶を呼び戻し、今現在を比べてみると、人と人との関係はこんなにも変わってしまったのかと驚いてしまう。

1950年、私は4歳であり、兵庫県伊丹市に住んでいた。土曜日、早めに帰宅した父親と(当時は土曜は午前中のみの半日勤務だった)夕方、散歩に出かけた時、道ですれ違った全然見知らぬオッチャンが「すんません、火かしてんか」と言いながら近寄ってくる。

歩きタバコをしていた父は手の指に挟んでいた火のついたタバコを口に咥えてオッチャンに向ける。オッチャンはまだ火のついていないタバコを口に咥えて、父の顔に近づき、父のタバコの火に合わせると、二人同時にほっぺたが引っ込むくらい息を吸う。父のタバコの火がオッチャンのタバコに分け与えられ、オッチャンは礼を言ってすれ違って行く。

あるいは、駅の待合室でタバコを吸っている父の隣に私が座っている時、見知らぬ大人が近寄ってきて、火を貸してくれと言う。

父はこの時は背広のポケットからライターを取り出し、その人のタバコに火を付けてあげた。

ライターの揮発油の匂いが辺りに漂い、(初対面の)二人の大人は二言三言、言葉を交わす。
母に連れられて、大阪の百貨店に買い物に行くような時、伊丹駅から阪急電車に乗り、発車を待っているうち段々乗客が混んできて、母と私が座っている前にも人が立つほど混雑してくると、母はごく自然に前に立っている人の手荷物を持ちましょうと言う。

言われた相手もお礼を言って母に荷物を預け、母はそれを膝の上に抱える。

逆に私たちが立っている時は、前に座っている人が母の荷物を膝の上に持ってくれることが普通にあった。(今ではこんなことは無い。もし荷物を持ちましょうかと言ったら、恐らく不信の目を向けられるだろう)

このような当時の大人たちの風習は火を借りたり、荷物を持ってもらうという実利もあっただろうが、見知らぬ人同士が一時(ひととき)ではあるが狭い空間を共有する気まずさを和らげるための、一種の挨拶であり、儀礼的な意味も含まれていたのだろう。

このころ、伊丹の街には「キーちゃん」と呼ばれて親しまれていた名物男がいた。
この人が街を歩いているのを小さな子供たちが見つけると、「ワー、キーちゃんや!」と叫びながら集まってきて、からかったり、からかわれたりしていた。

この人は坊主刈りで無精ひげを生やした三十歳くらいの知恵遅れの人だったと思う。(キーちゃんのキは気違いのキだったのかと後々、成長してから気が付いた)

私がこの話をよく覚えているのは、戦後、大連から引き揚げてきた父が母の生家の世話になり、祖父母や母の姉一家と同じ一つの屋根の下で13人の大家族が住んでいて、六人の子供たちの世話をしながら、祖母や母や伯母や叔母たちがよくキーちゃんの話をしていたからだ。

母たちの話によると、キーちゃんには阪急電車の伊丹線に無料(ただ)で乗れる特権があったらしい。
街の人気者のキーちゃんは改札口で切符切りをしている駅員とも顔見知りで、子供と同じであるキーちゃんはただで乗せてあげたのだろう。

管理職である駅長もこのことは知っていただろうが、見て見ぬ振りをしていたと思う。今ではこの様なことはあり得ない。

自動改札機の普及がそれを物理的に妨(さまた)げていることも然り(さり)乍ら(ながら)、このような感覚を駅員が持ち合わせていない。

それは今を生きる私たちがいつの間にかこのような、曖昧さ、寛容さ、いい加減さ、だらしなさを許すセンスを失ってしまったからだろう。