[2189]日本語とタミル語の関係

守谷健二 投稿日:2017/09/22 14:36

  日本語(大和言葉)は、タミル語のクレオール語として成立した。

 国語学者・大野晋先生が1980年に最初に発表し、お亡くなりになる2008年まで研究を続けられた学説を紹介したいと思います。大野先生は高名な学者ですからご承知の方も多いと思いますがお付き合い願えれば幸せです。

 まず言葉の説明をします。
 『タミル語』
 インド大陸の東南部を中心にスリランカの北部・マレーシアの一部・マダガスカルの一部で七千万人以上の人々に話されている大言語のひとつです。
 インドで一番使われている言語は、サンスクリット語に起源をもつヒンズー語です。サンスクリット語は、インド・ヨーロッパ語族の一つです。英語やラテン語の仲間です。

 一方タミル語は、ドラビダ語族の一つです。ドラビダ語はインド・ヨーロッパ語とは異なり、日本語などアルタイ語と呼ばれているのと同じ文法構造を持ちます。膠着語と呼ばれる接続辞(助詞)で後ろへ後ろへ継ぎ足し最後に判断を下す構造を持ちます。

 インド大陸にサンスクリット語を話すアーリア人の侵入が始まったのは紀元前1300年頃だと言われています。それ以前はドラビダ語を話す人々が広く住んでいたようです。古代インダス文明を担ったのもドラビダ語族の人たちでした。
 紀元前1000年頃に成立したヒンズー教の最古の経典『リグ・ベーダ』に書かれる天使と悪魔の戦いは、アーリア人とドラビダ語族の人たちとの戦いを投影していると言われています。
 結局アーリア系の人たちがインドの支配者になり、サンスクリット語の流れを継ぐヒンズー語がインドの支配言語になりますが、現在でもインドの総人口の二割はドラビダ語を話しています。

  クレオール語に付いて
 相異なる二つの言語を持つ集団が衝突した時、文化の優勢な方の品々が言葉と共にが劣勢な集団の中に浸透する。徐々に文化の優勢な方の単語が大幅に取り入れられる。物の名称に始まり基本的な動作にも及び、しまいには文の構造に及ぶ。この文の構造が変わってしまった語をクレオール語という。
 ただし、発音は変わる以前の特徴を継ぐ。例えば、日本人が英語などの複雑な子音の発音が出来ないように。

 1980年に、大野先生は「タミル語と日本語は同系語である」と発表しました。これは世間に大きな衝撃を与えたのです。何故ならその時点で大野晋先生の名声は確立していたからです。それまでの業績から近々の文化勲章の受勲は確実視されていたほどの学者です。その学者の発表ですから、世間が注目しないはずがありません。

 大野晋先生の業績の一部を紹介します。
 『広辞苑』(岩波書店)の基礎語の解説を担当。それまでの日本語の辞典は、”もの”とか”ある”行く”おきる”などの最も多く使われる単語は、わかり切ったものとしてきちんとした解説を付けてこなかった。しかし、最も多く使われる単語は、日本語を支える土台である。『広辞苑』は、この土台にきちんとした解説を付けた最初の日本語辞典である。

  日本古典文学大系『万葉集』(岩波)の校注
  日本古典文学大系『日本書紀』の本文の選定・訓読・歌謡の解説。
  本居宣長全集(筑摩書房)の編集・解説
  岩波古語辞典の編纂

 大野先生は「上代特殊仮名遣い」(七世紀、八世紀の日本語には八個の母音があった)を発見して体系づけられた橋本進吉博士のお弟子で、古代日本語の発音の研究から学問に入られた学者です。日本語の発音の変遷を古代から現代までたどることのできる稀な学者です。

 その学者の発表ですから大きな衝撃を与えたのは当然でした。
 しかし現在の日本語学会は「大野の学説」を無視しています。その理由は、週刊文春にありました。
 1981年十二月、週刊文春は大野説に対する反論を載せました。その時の文春の見出しを載せます。

 「もてもて国語学者に集中砲火 大野晋『日本語=タミル語起源説』は“学問の公害”のたれ流しか。」

 「大野説は誇大広告で売る新薬」か

 「大胆不敵」の古語辞典の冒険

 話題沸騰!「週刊朝日」の大野晋論文は落第点だ はたして彼は本当に国画学者なのか?

 大野晋教授に告ぐ なぜまともに議論しないのか

 大野教授はハダカの王様だ

 日本語起源説論争を裁定する「大野君も往生際が悪いね」亀井孝一(一橋大学名誉教授)

 週刊文春は八回にわたり大野説に攻撃を加えた。文春にしてみれば誌上での華々しい論争を期待したのだろう。しかし大野は一度も反論しなかった。
 実はこの時日本を不在にしていたのです。文春が攻撃開始する前の月、古代タミル語教わるため南インドのマドラス大学に留学していた。
 還暦を過ぎた高名な学者が単身で南インドに留学していたなどと、週刊文春は夢にも考えなかったのでしょう。あてが外れた腹いせとしか思われない攻撃をこれでもかこれでもかと繰り返しました。
 その結果、世間には大野の説はインチキでないか、との空気が生まれてしまった。山本七平の仰るように、日本は空気が支配する国です。日本の学者たちは大野説を無視することに決め込みました。

 しかし、六十二歳で単身教えを乞うためにマドラス大留学するように、最初からタミル人学者の協力を仰いでいました。常にタミル人の学者が寄り添って研究を進めてきました。そのため、世界のタミル学会、インドのタミル学会には確かな地保を築き、大野の学説は世界で認められつつあります。