[2182]『俗ニーチエについて』おまけ

8067浅川京華 投稿日:2017/08/25 07:55

適菜収氏の『新編はじめてのニーチエ(平成24年講談社プラスα新書刊)』を、先日読んだ(私は小女時代から、キリストの誕生を起点にした西洋の暦である西暦が嫌いで、なるべく元号を使うようにしてきた)。子供の頃から、欧米のものに対して「ああそうか、向こうは、キリスト教抜きには考えられない世界なんだな」と違和感を感じていたので、副島先生の『隠されたヨ―ロツパの血の歴史』の「ロ―マ教会が諸悪の根源」「カトリツクがこの地上で最悪の集団だったのだ」との指摘に、やっぱりそうか、と思いつつ、根本で、日本人で、キリスト教信者でもない私に、キリスト教など関係ないと嘲笑っていた。が、そういう私も、キリスト教に(かなり)支配されていた一人だった、と気付いて衝撃を受けた。適菜氏によると『ニーチエの最大の敵はキリスト教と、キリスト教的な考え方の全て』『日本人も含めて殆どの人がキリスト教の世界に住んでいる』『私たちは無意識のうちに、キリスト教的な考え方、行動パタ―ンに巻き込まれている』、民主主義、社会主義、平等主義等も、キリスト教が生み出したイデオロギー、と。そして、ニーチエが「この2千年もの間、私たちがキリスト教徒であった事に対して、つぐないをしなければならない時代がやって来るはずだ(『権力への意志』)」と書いていたと知り、驚愕した。正に今日の、狂気のイスラム教主義者のテロに脅える欧米の事じゃないか、と。

適菜氏の「ニーチエは、『神は死んだ』と言いました。気の早い人はそれをもって『ニーチエは無神論者だ』などと言いますが、違いますよ。いないものは死にませんから」には大笑いした。適菜氏は「結局ニーチエは、楽しい世の中にしたかったのではないか?という事です」と書いている。にもかかわらず、どんなに頭が良くても、あまり楽しくなれなかったから、ニーチエは悲劇的な最後を遂げたのかな、などと思った。