[2165]今こそ姥捨山の復活を

8067浅川京華 投稿日:2017/07/26 16:19

このタイトルの由来は、今回は言わない。私の職業、介護の本質を言う。それは「医療の尻拭い」「医療の奴隷」だ。去年の障害者施設の大量殺人やら、ボケ老人施設の虐待事件の類は、今後も続くだろうが、その根底にあるのは、介護という過酷な仕事ゆえのストレス、なんてものだけでなく(介護とは、土方仕事だ。これが介護業の、もうひとつの本質だ)、医療従事者側の、自分達が到底出来ない無茶な汚れ仕事を介護業に押し付けて知らん顔をしている、この事を、よく覚えておいて頂きたい。

私の荒い小文『2161俗ニーチエについて』を、忙しい中、加筆修整して下さり、副島先生、ありがとうございます。ただ、最後の方の『ニーチエが狂った理由を云々』以降は、副島先生の考えですね。私はこういう書き方はしていません。これは副島先生の「ニーチエが狂ったのは、他人は自分の思い通りにはならない、という、カンタンな真実を受け入れられなかったからだ、などと不遜な事を、お前ごときが言うな。他人を説得しようと本気で思う事は、お前のような凡人の女には到底太刀打ち出来ないことなのだ、それを認めろ」というお叱りだと思う。なので、これに答える(尚、私はニーチエの著作は読んでおらず、ニーチエの思想について云々する能力は無い、語学力もゼロだ。なので以下は、飽くまでも『俗ニーチエについて 付記』である)。

私は市川崑の映画が大好きで、一番好きなのが『破戒(島崎藤村の原作は、あまり良くないと思う)』である。この中で、部落出身で、その解放運動家の猪子連太郎(三国連太郎)が暗殺された後、主人公の部落出の瀬川丑松(市川雷蔵)に猪子の妻(岸田今日子)が「夫は恨みを忘れられない可哀想な人だった」「世の中は差別を言い立てるのでなく、もっと自然に変わって行くべき」という意味の事を言う。これに丑松は「私に先生の後を継ぐなと言うのですね」と言う。猪子の妻は、「はい」と答える。しかしラストで、出自を告白して村を出る丑松が「私はやはり、先生の後を継ぎたいと思います」「先生のお後を追って生きたいという気持ちを、抑える事が出来ません」と言う。これに猪子の妻は、こう答える「私には、あの人の勝ち誇った顔が見えるような気がします」「男の心意気を見たか、女などには分かるまいと」多分副島先生は、或いは三島由紀夫も、日本人でないから分からないが、或いはニーチエも、女から、このように肯定される事を、根底で望んでいるのではないか、と思う(ちなみに市川崑映画の多くは、妻の和田夏十が脚本を書いていおり、『破戒』もそうだ)。 私のパソコンは、長時間メ―ルを打っていると、しばしば画面が止まってしまうので、勝手ながら、今回はここまでとする。