[2156]私は病気で伏せっていましたが、何とか回復しました。

副島隆彦 投稿日:2017/07/07 11:53

副島隆彦です。今日は、2017年7月7日(金)です。

 私は、この10日間ずっと具合が悪かった。寝たり起きたりしていた。ようやく元気が出てきました。

 病み上がりで、「ボブという名の猫」“ A Street Cat Named Bob “ ストリート・キャット・ネイムド・ボブ という新作映画を見た。ボブという茶トラの野良猫(昔から日本にいる猫だ。まさしく日本猫だ)を、路上生活者=浮浪者=ホームレス=ジャンキー (麻薬中毒患者)をやっている若者が拾って飼った映画だ。

この猫と一緒に暮らしながら、ストリート・ミュージシャンで、猫をそばに置いて歌っていたら、「かわいい(キュート)!」ということでじわじわと幸運がやって来て、それで、麻薬(ヘロイン)も止めることが出来た男の実話だ。

 そのボブという猫(今、11歳ぐらいだそうだ)が自分で出演して、この男の肩に乗って、ロンドンのあちこちで歌を歌ってお恵みカネ(投げ銭)を貰う、映画だ。去年2016年作のイギリス映画で、日本ではこの8月に公開される。私は、プレビューの試聴版が送られて来たので観た。

この猫は、今も映画の役者ではない、本物の方と暮らしていて、きっとふたりは本当に相性(あいしょう)がいいのだ。本物が、最後にチラとカメオ出演で出てきた。役者とほとんど変らない。今は、自分と同じ麻薬中毒で苦しんで浮浪者をやっている人たちを助ける運動をしているそうだ。

 ウエブ(ネット)のツウイターやインスタグラムで、ロンドンで、この猫連れのストリート・ミュージシャンが話題になって騒がれて、小説に書いてそれがヒットして、去年、この映画になった。

 私、副島隆彦は、今は、4代目ぐらいで、白のほうが、きっと血を吐いて死んだので、今は、黒(クロ)しか、飼っていない。外飼いで餌を与えるだけだ。なでさせてもくれない。人間に飼われて、安心して生きてきたことがない猫たちだ。半分、野生だから、強い。人間に這いつくばらない。その分、荒い精神をしている。 半分、野良猫だ。だから、寿命は、飼い猫の半分(5年ぐらいだろう)だ。 20年も生きる、ブタのように太って、のんびり生きている猫もいる。何が仕合わせか、分からない。 もう死にたいよー、という感じの老猫、老人たちが日本には、たくさんいる。さっさと 死なせるべきだ。

 帝国本国の人間たちほど、歴史的に、麻薬に狂うものらしい。今もアメリカ人の指導者たちでさえ、若い頃の麻薬の後遺症で苦しむらしい(ブッシュもビル・クリントンもオバマでさえ)。トランプは、自分の兄が麻薬で早世したから絶対に麻薬をやらなかった。

 人口6300万人のイギリス(フランスも同じ人口。イタリアもほぼ同じ)が、大英帝国の面影のまま、どんどん落ちぶれている様子が映っている。日本も同じだ。先週の、ロンドンの低所得者向けの高層アパート(20階建てぐらい)の火災で、アラブ諸国からの移民のような人たちが多く死んだ。

 いくらテクノロジーと先端産業が発達しても、ほとんどの人間は、世界中で貧乏くさいまま、生きている。移民をたくさん入れるから、彼らを食べさせるのが大変だ、と、正直にBBCのニューズに向かって、言う者は、イギリスにはいない。BBCのレポーターたちの顔も歪(ゆが)んでいる。

 移民たちに、自分の国に帰ってくれ、と言っても、帰る国はない人たちだ。ヨーロッパ白人文明の綺麗事(きれいごと)が、現実の事件で、露出する。 人間は、今、口に出すコトバを失いながら生きている。言ってもどうにもならないことだらけになった。だが、誰かが、絞り出すように、本当のことを言わなければいけない。

 今日、明日(7月7,8日)のドイツのハンブルグでのG20 (ジートゥエンティ)首脳会議で、トランプが、プーチン、そして習近平と、個別に会談して、次々と、次の世界政治の日程を決めてゆく。今朝のニューズは、まだそれぞれの到着での、受け入れ係のメルケル首相との挨拶だけだ。

 この3人組のことを、どんなに、毛嫌いする人々がたくさんいても(日本にもたくさんいる)、今の、世界はこの3人の指導者による、“米、ロ、中の3帝会談” (第2次ヤルタ会談体制、 New Yalta 2.0 )に向かって進んでゆく。
ドイツ第4帝国のヨーロッパ女帝になりつつあるメルケルまで入れると4帝会談だ。これになりつつある 私は、こっちの方向への、人類の行方を支持している。 

 私、副島隆彦のこの書き方を、どんなにいやがっても、今では、この副島隆彦の言論と理論の組み立てと、それから「これからこうなる」の予言までが、今の日本人の 中心言論だ。 私、副島隆彦がこの国の中心だ。どんなに、無視されているように見えても、私、副島隆彦の言論を中心において、日本の政治評論は、動いている。

 防衛省や外務省の世界分析の専門官たちも、私、副島隆彦の子分ような者たちだ。 政治言論をやっている者たちの、多くも、私の、真似と追っかけだ。 私は、こういうことは、腹の底からよく分かっている。

こら、まだ、会員にならないで、盗み読みだけ来ている者たちへ。一度、一年でいいから 学問道場の会員になりなさい。そうしたら、周囲あるいは、組織・団体の上司に、私は、学問道場の会員になりました、と威張ってよろしい。私が、こうやって許可を出します。

 私たちの 日本なんか、みっともないぐらいの低知能(ていちのう)の指導者しかいなくて、何の見識もないチビコロ国家で、世界から相手にされていない。「あーあ、こんな国に生まれてしまったよ」(副島隆彦の墓碑銘=エピタフ=の碑文の予定の言葉)だ。

 北朝鮮のICBM大陸間弾道ミサイルの発射実験(7月4日、「火星14号」 )のことは、後(あと)の方に書く。

 私は、自分の持病の 気管支炎(ブロンカイティス)がひどくなって、それで10日間ぐらいずっと具合が悪くて伏せっていた。 
 気管支炎からさらに肺全体に炎症(フィーリア。ただれ )が広がる肺炎(ニューモニア)のようになって、これが数日して退いてゆく(収まってゆく)まで10日ぐらい掛かる。私は、ぜんぞく(アズマ)はない。 今年は、この疲れが、夏前に出た。いつもは夏の終わり頃なのに。私にとっては、自分の体の体調の自然調節のために、どうしても起きる持病だ。 これで私は自分の体の調節をしている。物書き、言論人という仕事もきつい。

 私は、薬(抗生物質を含む)に頼らないで、なんとか自分の体力、自力快復力だけで治すことに決めている。ゲホゲホ咳をしながら、肺の全体の存在を感じなら(痛みで分かる)今、病み上がりの養生(ようじょう)をしている。これに、眼精疲労(がんせいひろう)と肩と首(頸椎=けいつい=の痛み)も連動している。

 他の人たちよりは、詰めて本を読んで文を書くので、その疲れが出る。私の今度の「ニーチェ本」を3ヶ月かけて、書き上げてその疲れが出たのだ。この本は、自分で繰り返し言うのも何だが、ものすごい中身の本である。買って読んでくれる人だけが、分かる。他の連中は、もう、どうでもいいいから、あっちに行け。顔も見たくない。それぞれの人生を生きて死んでゆけばいい。

 この私のニーチェ本を読んで、私に感想を書いてきてくれる人だけが、私の同志だ。あとは、どうでもいいようなギャラリーだ。

 私は、ベッドに伏せったまま、長年、気になっていた一冊の本を、ようやくネットの中古市場で手に入れて、読んだ。 レニ・リーフェンシュタールの “ NUBA “「ヌバ族(アフリカのスーダンの南の一帯の原始部族 ) 」という写真中心の大きな本だ。 私は、38年前に、これを目にして気になったまま読みたかった本だ。


レニ・リーフェンシュタール


NUBA

 あの38年前に、私は、たまたま友人の車で立ち寄った、八王子の大学セミナーハウスからの帰り(野猿=やえん=街道を通った)だったのだろう、そこで暮らしていた、今は、何と岩波書店の社長(2015年から)になっている****氏 (早稲田大学で、一緒に反(はん)革マル派の運動で、走り回っていたというか、逃げ回っていた頃、彼は文学部で、私より2年上だったかな? この人の家で、この本を見た。それ以来、ずっと気になっていた。 

 レニ・リーフェンシュタイン Leni Riefenstahl (1902-2003) は、ナチスドイツのニュールンベルグ大会を記録した「意志の勝利」や、1934年の “ Triumph des Willens “ と。

 それから、1936年のベルリン・オリンピック(その4年後の、東京オリンピックは中止 )の公式記録映画である「オリンピア」( “ Olympia “ 「民族の祭典」)を撮影して完成させた女流監督だ。あの映画の素晴らしさが、今も、人類のスポーツ記録映画の、人間の肉体描写における最高峰だ。 ナチスの戦争犯罪での裁判を無罪で勝ち抜きながら、苦労して生きた、気高い孤高の女だ(101歳まで生きた)。


オリンピア

 それから、私は、ジョン・ダン著 “ John Locke “「ジョン・ロック」を 読んだ。
私の友人の愛知大学教授の****氏の 先生である 加藤節 (かとうたかし。成蹊大学の学長をした? 丸山真男=まるやままさお=門下)教授の親友で、ケンブリッジ大学教授で今も、ジョン・ロック研究の権威だ。

 私は、急いで、講談社から、『新家父長制論(しんかふちょうせいろん)』という本を出版しなければいけないのだ。そのために、ジョン・ロックの「市民政府二論(トゥー・トリーティズ・オン・ガヴァバメント、統治についての二つの論文ともいう)」を、岩波文庫で、ようやくのことで、50年掛けて加藤節訳の翻訳 が出た、を読まなければいけない。

 すでに他に学者たちの訳もあったようだが。 家父長(パトリアーカー Patriarchy Patriarca )というコトバが、なぜ、今、重要であるかは、今日はあまり説明したくない。

 政治家の三代目の馬鹿のボンボン( 安倍晋三ような悪ガキで、知恵遅れ。偏差値43 )を国家指導者にするな。 かつ、官僚あがりたちを政治指導者にするな。官僚どもには、企業経営(利益を出して従業員を食わせること)は出来ない。その能力が無い。無いものはない。勉強秀才というのは、本当に、融通の利かないトッチャンボウヤたちだ。見ているだけで不愉快だ。それが、今は、大量に、気色の悪い宗教団体に感染している。

 あの小池百合子という女は、カイロ大学卒業、というおかしな経歴だ。どうして、あの時代に、カイロ大学なんかに、アラビア語も出来ないのに、行って卒業できるのだ。カイロ大学のすぐ隣に、アメリカ合衆国(つまりCIA)を作った、アメリカン・ユニヴァーシティというのがあるから、きっとそっちに計画的に送り組まれた、最初から、おかしな育てられ方をした、この女も、あの宗教団体の、くノ一忍者なのだ。

 こういう長期計画の 恐ろしい謀略で、ずっと人間は計画的に育てられる。小池の徒党の、都議選での勝利、というのは、大きくは、仕組まれている。きっとムサシの不正選挙マシーンが動いただろう。こいつらは何でもやる。

 私は、不愉快極まりない。はっと、気づいたら、私のすぐそばまで、魔の手が伸びていた。人の良さそうな顔をして、近寄って来る者は、すべて、彼ら悪魔集団の手先だ。

一国の政治指導者になるべき者は、厳しい苦しい企業経営の経歴を積んだ、風雪に耐えた、才能のある経営者あがりの人物であるべきだ。こういう人を、国家指導者にするべきだ。前の富士急電鉄の経営者あがりの堀内光雄のような政治家がいい。

 まさしく、ドぎたないに決まっている、経営(金儲け、利益を出し、従業員を食わせる)の果てしない苦難を味わって、それを厭(いと)うことなく、すいすいと引き受けて、天性の明るさと、前向きな生き方が、出来て、従業員たちをいじめることなく、「なんとか、オレが食わせてやる」と言って、とても普通の人間には耐えられない、企業経営の苦しみに耐えてきた、まさしく ドナルド・トランプのような、ずば抜けた能力、体力、予知能力まで、ある人間を、日本も指導者にしなければいけない。

経営者以外でも、大企業のサラリーマンの中にも、ああ、この人は、経営者並の 能力を持っていて、家父長になる才能を持っている人だ、という人物にときどき出会う。 サラリーマンでも、理科系の技術者でも、ワンマン経営者並のスゴい能力のある人たちがいる。 中小企業でも、経営者の、番頭(ばんとう)、家来をやらせておくのが勿体ないと思うほどの、能力のある人がいる。こういう人も、家父長だ。まわりの人たちからの尊敬が、自然にある。この周囲からの尊敬、というのが、大事だ。

松下幸之助が、やはり偉かった。 彼は、「無税国家論」を唱えた。「私たち経営者が、内部留保(いないぶりゅうほ)を企業に積むから、それで、十分に、日本国民を食べさせてゆける。だから、政府が税金を取り立てる必要は無い」 と、幸之助は、言ったのだ。そして、本に書いた。ところが、お仲間から、「幸之助さん。そういうことは書かない方がいいよ」と、バカな助言をされて、その「無税国家論」は、読むと、何が書いているのか、分からないような、奇妙な、妨害がたくさん加筆されている。幸之助のまわりに、本当に、いけ好かない、嫌な野郎たちがいたのだ。

 松下幸之助は、この他に、1069年に、東大闘争で、騒いでいる学生たちをテレビで見ていて、「あの暴れている学生たちの言っていることが正しい。東大は、廃止すべきだ」と言ったのだ。 本当にそうだった。 尋常小学校までしか出ていない幸之助のこの、正直な、正しさが、日本のずば抜けて優秀な経営者の本当の良さだ。

 大阪の新地(しんち)や、京都の祇園(ぎおん)で、たくさんの子供を、芸者(芸妓)たちに、幸之助は、生ませたが、全部、生活費の面倒をみて、本当に、偉い人だった。 こういう偉い人を、偉いと、
皆が、認めないと、いけないのだ。 今も、全国あちこちにたくさん、こういう家父長=有能な経営者がたくさんいる。 

 ロシアの国家スパイKGB あがりのプーチンも経営者だ。プーチンが、毎日、ずっと仕事をして、それで、たった1.5億人しかいない、あのロシア人すべてを、彼の才能で、すべて食わしている。それで、あれだけの宇宙軍事力まで持つ、強い国にしている。この男は、不屈の経営者だ。

 習近平は、私が、ずっと書いて来たとおり、(私の中国本 これまでで10冊になった、を買って読んだこともないような人間は、あっちに行け)、鄧小平(とうしょうへい)が、苦労に苦労で、中国を何が何でも豊かにする、もう、地獄の餓死民族の、大きな勘違いの中華民族ではいけないと、1億人が餓死した(このうち政治的な死者は2300万人)、大躍進運動(1958年)とそのあとの文化大革命(1966-76の10年刊)の 地獄の底から這い上がった、中国人たちを、まさしく鄧小平が、経営者として「改革開放」をやって、「社会主義的市場経済、という赤い資本主義」をやって、ここまで大隆盛(りゅうせい)してしまった。
 
この地獄の底から這い上がった中国人に、「東洋(トンヤン。太平洋のこと)の離れ小島の、日本人ごとき」が、もう勝てるわけがないのだ。アメリカだって、これからさらに中国に追い落とされて行くのだ。ロシアを支える大後方(だいこうほう。グレイト・バック)は中国なのだ。プーチンが、「シベリア開発のための資金が欲しいの、2つめのルートの天然ガスを買ってくれ」と、4日前に、モスクワに来て、さっさと話し込んで習近平にお願いした。

2014年のサハリンとヤクーツクからの天然ガスは、100万BTU(英国熱量単位)あたり9ドルだったのに、今度は、世界市場で値下がりしているので、4ドルだろう。

 鄧小平は、1993年の死ぬ間際に、胡錦濤(こきんとう)に、命じて、我慢の我慢で、あの 習近平という若者を、江沢民、曽慶紅(そうけいこう)から取り上げて、諫(いざ)と言うときには、軍事力も使える、叛乱分子の鎮圧も出来る、悪(あく)も体現できる人間として、習近平を育てよ、で、今の中国がある。

 2015年の末から、「(中国共産)党の核心(かくしん)」運動というのを始めた。これが何なのか、私、副島隆彦も分からなかった。ようやく、この3月に分かった。「党の核心」とは習近平そのものだ。そして、「桃(もも)には大きな種(たね)がひとつだ」で、これが、党の核心だ。

 それは、北朝鮮への進撃、侵攻を中国軍を15万人から20万人投入して、して、北朝鮮を自分の言うことを聞く、穏やかな国に変更する、ということだ。

 あの、富坂聡(とみさかさとし)というチャイナ・ウォッチャー(中国分析家)の代表が、この人は、おそらく外事警察(がいじけいさつ。公安警察の一部)なのだろうが、中国分析用に、特別に、北京大学留学で、育てられた、評論家のようにしている人だ。

 この富坂聡が、「中国は、崩壊しない。それどころか、もっともっと繁栄する。習近平は、中国国民にものすごい人気がある」という本を、この4月に出した。それまでに、富坂が出した、31冊の、「もうすぐ中国は、あちこちで暴動が起きて、崩壊する」本を、自ら裏切った。

それで、富坂の最新作に、怒り狂う、反共信念の、安倍晋三派の、ネトウヨ系の知恵遅れたちが、どう言って、「この裏切り者の富坂。こいつは、中国に取り込まれたのだ」と、書いて、憂(う)さを晴らす、では、もう済まなくなって、自分たち自身の脳の方が崩壊しそうになっている。 

 私、副島隆彦の 毎年一冊の、中国研究の本に、毎回、毎回、「何を大きく勘違いをしているんだ、こいつは」と、悪罵を投げ続けた者たちが、消えて、溶けていなくなった。自分たちの方が、もう、どうにもならなくなった。

 私は、すでに、5月に、この富坂の『中国が、どうしても崩壊しない7つの理由』(ビジネス社刊)を使って、全面的に、評論して、そして、だから、副島隆彦の10年間(2007年から)の中国研究の勝利である、を書いた。今日のぼやきの方に、弟子たちが、いくらなんでも、そろそろ載せてくれるだろう。

 だから、大事なのは、パトリアーカー(家父長、かふちょう)だ。金儲けが本当に出来る、すぐれた経営者体質の指導者だ。ある程度、人格者でもあって欲しい。意地汚い、反共右翼のような、自分の蓄財ばっかりの下品な人間では困る。

 この家父長のまわりに、従業員と、障害者たちも100人ぐらいずつ、集めて、この男(あるいは、能力有る女でもいい)に、食べさせて貰いなさい。この生来能力、体力、知力、明るい人格、先見(せんけん)の明(めい)(博奕うちの才能。投資の才能。時代の風向きが分かる)が有る人間が指導者になるべにだ。

 この家父長たちは、人の面倒を見る力がある。現代の家父長だ。そして、この新家父長から、税金を取るな。 税金を、公務員どもが、当然の自分たちの収入源だと思うな。障害者や老人の福祉も全部、彼ら、生来(せいらい)の能力のある家父長=経営者たちにやらせろ。 そして彼らに大きな名誉を与えよ。、まわりからの尊敬を与えよ。
 
 人間は、平等ではない。 人間が、生まれながらに平等だ、というのは、ウソだ。 人間は、能力において、平等ではない。このことを、大きな声で言い合う世の中に、変えないといけない。生まれながらにして、たいして知能、能力、体を人一倍動かす能力の無い者が、偉そうにあれこれ言うな。周囲の人間たちの面倒を看ることの出来る人間だけが、偉いのだ。

自分の分だけ、ようやく生きているような人間は、しゃしゃり出てくるな。周囲の人間たちを食べさせることの出来る経営者たちで、まわりが、自然と頭が下がって、尊敬している人を、もっと、表に出せ。彼らを、一等国民として、まわりが、公然と、褒(ほ)めなければいけない。

 自分のこと、家族の世話だけで、手一杯の者たちは、黙っていろ。たった一人分の、自分の分しか生きれないような、人間が、大手を振って生きているような、社会は、間違った社会だ。

「人間はすべて平等だ。平等に神から愛されています」と、この場面でも、諸悪の根源は、ローマ教会キリスト教(とりわけエイズス会)と、ジャン・ジャック・ルソーだった。 今の日本の文部科学省 の中にも、今もヴァチカン(ローマ教会)から派遣の教育監視の係が来ていて、日本国民の教育洗脳と監視 をやっている。私は知っている。

 私たちのまわりには、能力のないバカが、たくさんいる。自分の職種の専門の仕事も、もきちんと出来ないバカがたくさんいる。 大学を出ても、肉体労働をやるしか他に仕事がない、時代なのだ。肉体労働を差別するな、とか、私、副島隆彦に言うな。私は、どんな人間よりも正直者だぞ。お前たちのような、 当たり障(さわ)りのないことばっかり言う(書く)人間たちとは違うのだ。

 諸般の事情で、始めから知能が低くて、能力が無いに決まっている、社会的弱者(しゃかいてきじゃくしゃ)たちは、自分が、公然と差別され、侮蔑されるのが厭(いや)で、イヤで、嫌(いや)だから、だから、「人間は皆、平等(であるべきだ)」を標語にして生きている。この弱者どもを褒めそやす思想を、ニーチェはものすごく嫌った。

 慎(つつ)ましやかな、お互いのいたわり合い、と、人間の優(やさ)しさと、他者を傷つけないで、生きてゆくことで、こじんまりと縮(ちぢ)んだまま生きていたいのだ。個人の能力差は、なかなか測定できなのだから、で、それで、みんな平等で、いい、となる。 そういうわけにはゆかないのだ。

 上智大学に巣くっているイエズス会士(ジェズーイット・プリースト)たちの、親玉のひとりで、長年、渡部昇一(わたなべしょういち)を育てて、洗脳してきた、ピーター・ミルワード神父(パードレ、ファーザー、バテレン)が、渡部昇一の告別式( 終ミサだから、終油=しゅうゆ=の儀式、塗油(とゆ)の式のはずだ。

 四谷の聖イグナチオ教会でやった)の演説で、かたことの日本語で、「ワタナベは、山形のイナカーモノ、だった。イナカーモノのだったが、学問で成功した。イナカーモノであったワタナベは、神に愛されました。

 イナカーモノ(田舎者)という恵まれない環境から努力して出てきた者を、神(ゼウス)は愛されます」と、本当に、失礼な 野辺送りの演説をしたそうだ。当日、告別に参加した編集長から、私は聞いた。本当に、イエズス会、というのは、こういう、日本人を、その自分たちの手先に成り尽くした者にまで、こういう人種差別のようなことを最後まで、言うのだ。これが、こいつらの本性(ほんせい、ほんしょう)だ。山形の(貧しい百姓の出の)イナカーモノの渡部昇一か。

 死んだときまで、こんなことを、イエズス会から、言われなければならないのだ。渡部昇一は、本人が、一番、自分が背負っていた、イエズス会の日本人のインフォーマントとして特別に育てられた自分の運命を深く知っていただろう。最後まで、哀れなものだ。

 桜井よしこは、この終わりのミサ(メサイア)に出席したのだろうか。桜井よしこは、私が、この台湾人の華僑(軍属)の娘 とパーマ屋、すなわち女郎宿の経営の女との子が、大和撫子(やまとなでしこ)の格好をするな、と昔書いたら、一番、今も、私、副島隆彦に根をもっているだろう。

 その後、数年前に、文春新書で、「私の父は、(ハワイで飲食店もやっていた)典型的な日本の父でした」と、書いて、文春と一体化して、自己防衛をした。「典型的な日本人の父でした」と書いていない。日本人の父 となっていなくて、日本の父となっていた。

 私、副島隆彦だけは、本屋の立ち読みで、この鋭い眼力だから、しっかり確認して、嗤(わら)ったからな。 今にも潰れそうな文春よ(ああ、トランプの、「今にも潰れそうなNYT ニューヨクタイムズよ」に似てきたなあ) 、私、副島隆彦が、しっかりと、こういうことは、鋭く確認するのだ、ということを、今、こうして伝えておく。私がこう書くと、廊下ヒバリたちがいて、必ず、桜井よしこに、このことが伝わるようになっている。

 金儲けがうまくて、従業員(すなわち、奴隷)をたくさん、なんとか食べさせる(給料を払える)人間たちに、社会的な名誉と賞賛を与えないといけない。 そして、能力のある人間たち(一等国民、グリーン車に、乗っている人たち。金持ちだから、その馬鹿家族たちまで)に、手元に残る、豪商、豪農としての、資産、資金を、たくさん湯水のごとく散財(さんざい)させるべきだ。

 そうすることで、文化、教養、芸術が栄える。そうすれば、デフレをインフレに変えられるのではないのか。インタゲ=リフレ=インフレ目標値政策の、ヘリコプター・マネーのバカ経済学者(アメリカの手先、手習いども)よ。
バカ公務員(官僚)たちに、文化(庁)予算までも配分、使いチラシすることをさせるな。

 こいつらは、根が貧乏人根性(官僚社会主義者。みな平等、みなビョウドー)だから、けち臭い使い方しか出来なのだ。私、副島隆彦は、こういう本を今、書いている最中だ。どうも、危ない本なのだろう。だから、自分でも困っている。

さて、北朝鮮の弾道ミサイル実験の件だ。

(転載貼り付け始め)

「 北朝鮮「ICBM発射に成功」 特別重大報道で 」

2017年7/4(火) ソウル聯合ニューズ

 北朝鮮の朝鮮中央放送などは4日午後3時(日本時間同3時半)、「特別重大報道」で大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験に成功したと伝えた。

 北朝鮮はこの日午前に西部の平安北道・バンヒョン付近から東海に向け弾道ミサイルを発射。これについて韓国政府の消息筋は「最高高度は5月14日に発射した(新型中長距離弾道ミサイル)『火星12』(最高高度2111.5キロ)より高かった」として、「高度は2300キロ以上と分析しているが、最高高度はさらに高い」と話した。別の消息筋は最高高度が2500キロ以上の可能性もあるとしている。

 韓国軍の合同参謀本部はミサイルが約930キロ飛行したと発表した。日本の防衛省によると、約40分間飛行したという。専門家らはミサイルが通常の角度で発射される場合、飛行距離は7000~8000キロ以上となり、米本土に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)級と推定していた。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 北朝鮮の7月4日の、弾道ミサイル発射実験は、世界中から、もううんざりだ、という感じで受け止められた。この問題は、私、副島隆彦は、4月10日に、自分の予言(予測)を書いて、ここに発表したおとりだ。私は、自分が書いたとおりに、事態が着着と進んでいるのだと考えている。私の予言通りに、世界は、これからも動いて行くだろう。

 だから、米軍による北朝鮮の核施設への一斉爆撃は、私の予言どおり来年の4月である。そして、中国軍が来たの国境線から、一気に侵攻(進撃)する。そして北朝鮮の政治体制を作り替える。

 金正恩を、キム・ハンソルに取り替える。そして、核兵器を持たない穏やかな国に作り替える。これを遂行するために、、トランプ(米国)と、習近平(中国)と、プーチン(ロシア)の3大国の指導者が、もうすぐ「3帝会談」で話し合う。今日明日のG20は、その根回しの準備だ。

 「3帝会談」=「第2次ヤルタ会談、新しい世界体制」は、年内か、年明けか、だ。日本は、じっとしていればいい。

 トランプは、アメリカ国内の、反対勢力、見苦しくトグロを巻いている、ワシントンの官僚ども(これにヒラリー派のムーニー勢力が寄生している)、のカマ首を、まとめて、2000個ぐらい斬り飛ばす、その態勢に入っている。

 ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNも、もう、あまり元気がない。「ロシアゲート事件で、ロシアが、アメリカ政治に干渉している」を、弱々しく言い続けることで、自分たちの勢力の旗頭(はたがしら)にしている。

 次の世界体制が、自分たちMoonies を、主なる敵として、たたき殺しに来ることを、十分知っている。・・・・それなのに、日本では、安倍と小池の、このマムシ一族の、日本統一教会勢力だ。東京都の公明党=創価学会の一番上の幹部たちの中にまで、ムーニーが相当数、潜り込んでいることの現われである(谷川派の中の秋山たち、と書いておくからな。関係者は、震え上がるがいい)。

 安倍晋三は、6月のトランプとの会談の機会に、「東シナ海(尖閣諸島)の問題で、米軍と日本軍(自衛隊)で、共同行動を取って、中国の動きを牽制しましょう」と、正式の外交プロトコールとして言ったらしい。そしたら、トランプから、「このバカめが。お前たち日本に何が出来るだ。

 私は、中国とロシアと話して、北朝鮮の処理を決めている最中だ。邪魔をするな。余計な足をひっぱるな」と、厳しく叱られたらしい。このあと、日本国内の、論調は、「アメリカは、日本から距離を置き始めた」などど、何を、間の抜けた、トンチンカンなことを言っているのか。アメリカは、日本など相手にしていない。

 アメリカ軍の動きをうしろから、後方支援(戦争人足=せんそうにんそく=で、きちんとサポートしろ、そのための、カネをしっかり出せ」と 安倍は、トランプから怒鳴りつけられたのだ。

 安倍の顔が、すっかり、むくんで、にこりともしなくなったのは、このとき以来だ。いくらトランプに、取り入って、すり寄って行ってカネを貢いでも。向こうはずっと大人だ。日本の脳タリンの首相の言うことなど、全く、相手にならない。このことを、多くの日本人がまだ理解しない。理解したくない。

 日本は、韓国や、台湾や、フォリピンと全く同格の惨めな2等国、小国 に、落ちてしまっていることに自覚がない。そのように分かることが恥ずかしいことなので、分かりたくないのだろう。

 ああ、疲れた。病み上がりの体には、文章書きは疲れる。肉体労働よりもきつい。普通の人間が使いたがらない、頭の一番、きつい部分を使うからだ。頭の酷使は背骨の神経索を伝わって、体に打撃を与える。 

 最後に、私のニーチェ本 (買って読め)への読書感想を早速送って来てくれた2つのメールと、私からの返信を載せる。他にも、載せたい会員たちからのメール文が、数十本有る、が、そのうちします。

(転載貼り付け始め)

—–Original Message—–
Subject: ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ! 読後感
Date: Sat, 1 Jul 2017 11:08:45 0900
From: *************
To: snsi@mwb.biglobe.ne.jp

私のような理工系の人間に取って、ニーチェなど、名前は知っていても、それ以上は興味もないし、また知ろうとも思っても難解で知ることは無かったでしょう。

今まで、先生の本、およびその関連の本を、興味深く読まさせていただき、その数は10冊以上になっております。 特に、自分の考えを改めさせてもらったものに、「歴史というものが国家間の闘争と思っていたものがもっと大きな財閥の闘争であったとする見方」、および「アメリカの政治情勢(含む大学)、ジャパンハンドラーという存在」など、大変勉強になっています。 

 この間の会員向けのセミナー(「ロックフェラー亡きあとの世界予測」)にも参加させていただきました。大変面白く聴かさせていただきました。

さて、本題に戻って、この本の読後感。当初、何んで「ニーチェ」なのかと思いま
した。それでも、ともあれ、先生の本で、今まで裏切られたことはないので、ここは先生が面白いから読めという言葉に従って読んでみることにしました。
今回、先生のこの本を読まなかったら、私は、多分一生、ニーチェを知らずして、終わったかと思います。

・ニーチェ個人について 時系列的に彼の動きを学べた。
 ・オペラについての概要知識が得られた。「ニーベルングの指輪」について
は、昔、NHK BS放送が開局したころ、長編に渡る舞台録画放送がありまし
た。一応全編見て、録画も取ってあります。私のオペラ知識はその程度のもので
した。
  ・19世紀のドイツ哲学を中心にしての、社会科学の勃興、及び音楽、芸術
など広きにわたり、知識を得ることができた。

最後に大事なことですが、疑問というか気になることが2点あります。

 無神論者、無宗教者 について、
  無神論者という言葉はよく出て来ますが、無宗教者(ノンビリーヴァー)ということはあまり日本では聞かない気がします。人間(私を含めて)誰しも、神の存在を絶対に信じるということはないものの、ひょっとすると居るのではないか、と薄々感じるようなことがあります。

 先生の本を読んでニーチェもそうだったのではないかなと。そういう意味では、ニーチェは別に特別な人間ではなくて、今では極標準的な日本人の感覚に似ているのではないか。でも、19世紀のヨーロッパという状況ではきっと特別だったのでしょう。

 人間には大きく分けて、「よく考える人間」と「考えない人間(人に言われ
る仕事を黙々やっていればいい)」がいるという話。確かに、そう思われるところがあることは認めます。しかし話は、こんなに簡単に割り切れるものではない。もう少し複雑です。

 例えば「よく考える人間」をAグループ,「考えない人間」をBグループとすると、ある一人の人間をとったとき、ある時(件)ではAグループ、またある時(件)ではBグループという様に出たり入ったりしている人達がいる。

 仮にABグループ(グレーゾン)としましょう。それから、Aグープ、Bグープ両方同時に所属している人たちで、個人個人それぞれ、その所属比例配分も異なるということ。全人口での構成配分は、見方にもよりますが、例えば A:AB:B=1:8:1とすると、大きく2通りに分けられるという言い方はできなくなります。

 以上、先生の本を読んで、感じたことを、誰にぶつける訳(聞いてくれる人が身近にいない)にいかないので、先生の許容力に甘んじメールで送らさせていただきました。私のメールの取り扱いについては、どのような形でも結構です。但し、公開の場合は匿名でお願いします。さらなる、副島先生のご活躍を期待しております。

追伸 
私も痛風、痛い痛いです(笑)

****さまへ
副島隆彦から

2017年7月3日

 メールをありがとうございます。 私の最新刊のニーチェ本を買って読んでくださいましてありがとうございます。貴兄は、理科系なのに、文科系の 政治言論が中心である、私の本に付き合ってくださってありがたいことです。

 ご質問の、 atheism エイシイズム 無神論、 についてですが、この思想を、知ることは、今の日本人の知識人たちでも、ほとんど理解の初歩も出来ていない。 明治、大正の知識人たちの方が、極めて少数ですが真剣に考えたでしょう。 

 仏教などのアジアの異教徒 は、ペイガン pagan と呼ばれて、始めから相手にされない。 異端 ヘレシー heresy は、キリスト教からの裏切り者だから、宗教裁判(異端審問、オーディール。拷問 )に掛けられて、火炙りの刑(火刑、焚刑)です。

 欧米白人で、自分は無神論者だ、と公言し、そのように行動すること(たとえば、教会行かない、神父、牧師を尊敬しない)ということは、20世紀の 1930年代まで(すなわち、戦前)のヨーロッパでさえ、まだ大変な、嫌われ者で、危険思想の人間のように思われていました。

 このことは、ヴィスコンティの映画、「大熊座の星の下に」などを見ると分かります。無神論者(エイシイスト)は、当時の欧米社会では、体制への反逆者、破壊活動家のような扱いです。

 だから、私が、弟子たちと研究しました、「フリーメイソン=ユニテリアン教会 が明治日本を創った」(成甲書房)をお読み下さると、彼ら、ユニテリアンは、無神論の一歩手前の、理神論(りしんろん、神の存在を疑う。 deism デイスム )までしか言えなかった。ここまでしか行き着けなかった。

 アメリカの独立革命の達成者(国父たち)たちであるワシントンやジェファーソン、少し前の フランクリンでも、デイスム( 「私は、イエスという、尊敬すべき人間、の言行録として聖書 を信じる」という防御の理論を作って実践した)のまでです。

 私とこの本を作った編集者は、大学時代(1980年代。地方国立大学)に、日本に来ていたドイツ人やフランス人の雇われ外国人教師たちが、過激派の極左のドイツ赤軍(バーター=マインホフ・グルッペ)の連中に対して、「アテ、アテ athe  (無神論者)」と呼んでいたそうです。

 無神論、というのは、ヨーロッパ人知識人たちの文脈では、そのような、激しい破壊活動家を表わす、ものすごいコトバのままなのです。日本人には、欧米知識社会のことが、今も分からない。

 これ以上の説明は、日本土人たちに話しても、きっと理解困難です。私、副島隆彦は、こういうことに、ピン、ピンと来ながら、生きてきた人間です。それが、私の特異体質であり、能力です。

2点目のご質問の、 人間には、「よく考える人間」と「考えない人間(人に言われ
・・・)がいる、 という分類は、永遠の人間分類です。私も、この二分法
(ダイコトミー)を使いながら、今も、「どうしようもないなあ。どうせ、私が書いていることを、ほとんどの日本人は理解しないだろう」とうめき声を上げながら、40年間、生きてきました。 これが私の人生です。

今後とも副島隆彦の本から学んで、いろいろとピンときて、ご自分の人生の闘いに役立てて下さい。  副島隆彦拝

(2通目のメールの転載貼り付け)

From: ************
Sent: Sunday, June 25, 2017 11:33 AM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: 『ニーチェに学ぶ「奴隷をやめて反逆せよ!」』の誤植

副島隆彦 様

 名古屋の****です。新刊の『ニーチェに学ぶ「奴隷をやめて反逆せよ!」』を購入し読了したところです。誤植の2刷改訂の参考まで。 p73 最終行 敵菜→適菜  p110 6行目 敵菜→適菜

 『 隠されたヨーロッパの血の歴史 』第4章p203 からの ニーチェ記述の本論が、今度の本ですね。 5年前に出された『 隠された歴史 そもそも仏教(ぶっきょう)とは何ものか?』での、p262 「現実の人間世界には、ついに救済はなかった」との 指摘と同じく“真実の力”に衝撃を受けました。

内容とは別ですが、本書は『余剰の時代』(ベストセラーズ新書)、『老人一年生』(幻冬舎新書) との連作とも感じました。

(追伸) 本の帯でLGBTを前面に出しているのは。内容を過(あやま)つものです。帯裏の文章と入れ替えた方が理解を助けると思います。  ****

****さまへ
副島隆彦から
2017年6月27日

メールをありがとうございます。 拙本 ニーチェ本を お読みいただきありがとうございます。誤植のご指摘は、謹んで、次版で訂正させていただきます。ありがとうございます。

 **さまが、私が 前著の 「ミケランジェロ、ルネサンス本」 と、「 隠された歴史  仏教とはそもそも何ものか? 」(PHP刊) を 引き継いだ、、このニーチェ本が、3冊目の本である、ということに、 鋭くお気づきいただいて、まさしく私が自分なりには大きく構想している 思想ものの体系の それぞれが一部をなすのだ、と分かっていただきまして、大変、嬉しく思います。

 これほどの 読み巧者(よみごうしゃ)に恵まれまして、私の至福とすべきことです。 本読み、もの書き人生30年の自分の軌跡を実感します。

 同じ時期に書きました 「老人一年生」には、きっと私が自覚しない、自分の同時的なつぶやきが、ニーチェ本と重なっているのでしょう。それは、自分も老い先が見えてきた、という諦観、達観になりつつあります。

 このあと、私は、ゲーテについては書かないでしょう。この人は、大きいのだけれども、生き方上手の人だし、あの長編昨のオペラの台本としての「ファウスト」というのは、ゲーテ本人にもどうにもならないまま支離滅裂になってしまった大失敗作です、ですから、あまりやりたくない。適菜収氏の ゲーテ本でもまず読んでから、考えようと思います。

 モーツアルトは、本当に、果敢に闘い抜いた人で、35歳で死んだ(殺された)、激しい情熱の人で、真の天才です。

 超一級の人です。私の天(てん)のひとりです。ところが、私は、音楽、劇作がそんなに分からない、入れあげていない、ということで、フリーメイソン=ユニテリアン思想 の熱心な活動家だった、モーツアルトを描くしかない。 ですから、ここでもためらいます。

 それよりは、江戸時代の 郭(くるわ)、遊郭、隠れキリシタンたちだった高級女郎(花魁、おいらん)、そしてその後継者たちである明治・大正・昭和の花街(かがい)の芸者たち、それから、歌舞伎役者たちの世界の、その裏側を大きく、自分なりに真実を抉(えぐ)り出したい。果たして、そんなものが本になるだろうか、と最近は、考えています。

**さまのような優れた読み手を得まして、私は、本当に嬉しい。私の本書きに、付き合ってくれて、大きな助力をしてくれています、小笠原豊樹編集長と共に、重ねてお礼を申し上げます。  副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝