[2148]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2017/06/15 10:25

 6月15日、9時5分です。
五月に七十歳になりました、健康ですが、目だけは耐用年数が切れたのか日々衰えています。もうじきパソコンに向かうのも困難になる予感がします。

 さて「天武天皇の正統性について」ですが、明治維新以前では、天智天皇と天武天皇は「実の兄弟ではない」ということは常識として自覚されていたのです。
 
 明治維新の廃仏毀釈以前には、天皇家も菩提寺を持っていました。涌泉寺と云います。この寺は、代々の天皇の御霊(御位牌)を祭っているのですが、天武八代(天武天皇から称徳天皇まで)の御位牌は祭られていません。

 明治維新以前、天皇家自身が「天武の王朝は別家系」と明確に認識していたのです。「万世一系の天皇家」とか、同じ人間に変わりないのに「天皇は現人神でございます」など云う思想を押し付けたのは、明治政権の都合だったに過ぎません。

 現天皇の御退位問題ですが、この際天皇を廃止する事を真剣に論議するべきだと私は考えます。天皇家の藩屏である貴族(華族)を総て排除、否定して天皇だけを保存しようとしても全く無理、無謀というものです。天皇崇拝の根源は、万世一系の血統信仰ですから。

 私は、六十歳を過ぎてから日本史を勉強し始めました。他人の説に囚われないように、困難でもとにかく原典に当たることを原則とした。『日本書紀』『古事記』『万葉集』が最初から簡単に読めるものではありません。
 しかし、何回も繰り返して眺めていると、何となく意味が見えてきました。今も健康のためと、毎日『万葉集』を音読しています。好きな歌を選んで読むのではなく、最初の歌から最後の歌まで繰り返し声に出して読むのです。

 原典に当たって分かったことがあります。それは日本の教科書で教えている日本史は、出鱈目であるということです。明治維新の歴史だけが出鱈目なのではありません。古代史から出鱈目の歴史で創られているのです。日本人にとって歴史なんかどうでも良いのでしょう。