[2138]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2017/05/19 13:03

『日本書紀』の持つ、相反する二つの正統性

 「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾子孫(あがうみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)いて治(しら)せ。行矣(さきくいませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)まさんこと、当に天壌(あめつち)とともに窮り無かるべし。」『日本書紀』より

 上の記事は、日本国の主神天照大神が、理想の国土日本を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に与え、皇統が永遠に続くこと(天壌無窮)を約した「日本神話」の肝心要の部分である。

 皇統の継承は、あくまでも親から子に、が大前提であり、それだけが天皇の正統性を保証した来た。日本には(易姓)革命が起きなかったことを誇りにしてきた。 天地開闢以来近畿大和王朝しか日本列島に君臨した王朝はなかった、というのが『日本書紀』の歴史である。

 しかし、この『日本書紀』の編纂を命じたのは、天武天皇(在位673~686)であった。天武天皇は、天智天皇(661~671)の長男・大友皇子(明治に追号弘文天皇)を滅ぼして(壬申の乱)即位した。
『日本書紀』は、天武の方が本来の正統な皇位継承者であり、その地位を大友皇子に譲ってやったのに、その恩を忘れ、大友皇子が危害を加えようとした。それで仕方なく決起したのだ、と『日本書紀』に記す。 
 『日本書紀』は、天武天皇の即位を正統化するために編まれたものである。しかし、奈良時代の王朝人等は、天武の正統性を認めていない、否定している。皇位の簒奪者と、天武天皇を認識していた。

 皇統の永続性などと云っても、七世紀半ばでも日本列島は単一王朝の時代ではなかったのである。「白村江の敗戦(663)」で知られる唐・新羅連合軍と戦った倭国は、近畿大和王朝ではない。九州筑紫を京とし、日本列島の代表王朝であった。近畿大和王朝の上位者と振舞っていた。

 『日本書紀』は、倭国の記憶を取り組み、倭国の存在を抹殺して作られたのだ。唯単に天武天皇を正統化するために。「壬申の乱」の天武の決起には、正統性など全くなかったのである。完全なだまし討ちである。
 天武は、己を正統化するために、歴史を捏造し、創造したのである。