[2135]1572年のサン・バルテルミの虐殺が与えた影響について

田中進二郎 投稿日:2017/05/13 16:26

副島隆彦先生のご投稿の
今日のぼやき(会員専用1971)で、冒頭部分がわかりにくいので、前後の話がつながるように編集してみました。)

(今日のぼやき1971の冒頭部分から引用開始)

話はそれますが、 もう少し前に、フランス国王のアンリ2世(1519-1559)というのがいる。この人は相当に苦労して国を治めたんです。もうどうしていいかわからない状態でした。

 アンリ2世は、カトリーヌ・ド・メディシスという女性を奥さんにもらったんですね。カトリーヌ・ド・メディシスというのは、「メディチ」ですから、イタリアの大富豪のメディチ家の娘なんです。これは、「偉大なるロレンツォ王」と呼ばれる、私の大好きなフィレンツェにいた、貴族とも自称しない、また、国王でもないのに、実はフィレンツェの最大実力者だった、ロレンツォ・デ・メディチの姪っ子になります。そのカトリーヌ・ド・メディシスがフランス国王と結婚したんですよ。1533年のことです。このアンリ2世は、有名な予言者のノストラダムスにその死を予言されたことでも知られる人物です。1559年に馬上のやりの試合で、目を貫かれて、それで死んでしまうのです。
カトリーヌはアンリ2世とノストラダムスの二人に入れあげていたんですけどね。


カトリーヌ・ド・メディシス(写真)

 その結婚から約40年後に、アンリ4世(1553-1610)はシャルル9世の妹・マグリット・ド・フランスと結婚しました。

(田中進二郎加筆ーーアンリ4世の女好きは大変なもので、一生の間に50人の愛人をつくったといいます。その最初の奥さんがマグリットです。二番目に妃となったのが、さっき出てきたカトリーヌ・ド・メディシスの姪(遠縁)のマリー・ド・メディシスです。この人はアンリ2世の妃のカトリーヌとは違って、浪費家でろくでもない女なんですが、王子ーのちのルイ13世ーを生んでいて、1610年にカトリック勢力によってアンリ4世が暗殺されると、摂政に就きます。そして、夫のアンリ4世が認めた信教の自由を全部消してしまうんですよ。息子のルイ13世は大きくなると、この母親のマリーを追い出して親政を開始します。しかし、それから後も母子二人の対立が長く続きます。これを調停したのが、前回-今日のぼやき1970-に登場したリシュリューです。ここからルイ13世の信任が厚くなっていって、1624年にリシュリューは宰相の座に就くことになります。ー田中加筆終わり。)

 話を戻して、アンリ4世がマグリット・ド・フランスと最初の結婚をした結婚式の夜、パリの町中でプロテスタントたち2万人ぐらいが虐殺されます。この実行犯は、カトリックの突撃隊というか、さっき言ったフランス右翼の警察や軍隊みたいな連中に殺されたんです。これが世にいう「サン・バルテルミの虐殺」です。1572年のことです。

(以上、副島隆彦先生の今日のぼやき1971 引用終わり)

田中進二郎です。「サン・バルテルミの虐殺」のときに、イギリスの一人の外交官がパリでこの大事件を目撃しています。それは、のちにエリザベス1世のイギリスでスパイマスターになる、フランシス・ウォルシンガムという人物です。
イギリスではテレビ映画『エリザベス』やその続編の『エリザベスーThe Golden Age』
に登場するので有名だそうですが、ウォルシンガムはイギリスの諜報機関を設立した重要人物です。彼について、佐藤優監訳の最新刊『MI6対KGB-英露インテリジェンス抗争秘史』
(レム・クラシリニコフ著 松澤一直訳 東京堂出版刊)には次のように書かれています。

ウォルシンガムは、若い時にイタリアのパドヴァ大学で法学を学びながら、イエズス会士ともつながりを持っていた。この頃にマキャベリの『君主論』を研究した。そして、カトリック教会の異端審問の制度について精通していく。しかし、パリでサン・バルテルミの虐殺を目撃して、その残忍さにカトリックへの憎悪をつのらせます。イギリスに帰国すると、
メアリー・スチュアート(スコットランド女王 「血のメアリー」で有名なメアリー1世とは別人)の一派から、エリザベス女王を守るために、諜報機関を作り上げていきます。イギリスではその頃に郵便制度が始まっていますが、ウォルシンガムは郵便物を検閲することをやっています。

メアリーを泳がせておいて、エリザベス女王暗殺を命じる手紙をつかんだあと、一斉逮捕します(1586年バビントン・プロット事件)。

首謀者のバビントンとメアリーは、手紙を暗号で書いてやりとりしていたが、それらの手紙はすべてウォルシンガムのもとで写しがとられ、かれが雇い入れたトマス・フェリペスという暗号解読家のもとで解読されていた。そしてウォルシンガムは、メアリーがエリザベスの暗殺計画にかかわっているという決定的な証拠をつかみます。

そのあと、イエズス会の秘密警察さながらの拷問をメアリー一派に加えていきます。そして、メアリーは処刑される(1587年2月)。これは、スペインの無敵艦隊との決戦の前年です。ウォルシンガムは、スペインの重要な港湾都市にスパイを配置して、無敵艦隊の動きを逐一報告させていました。そして、エリザベス女王の愛人とも言われる海賊のキャプテン・ドレイクに指示を出しています。それから、スパイを通じて、イギリスの偽情報をスペインに流していきます。こうして、無敵艦隊はイギリスに敗れることになります。ウォルシンガムの作り上げた諜報機関の原理原則は、このあとも引き継がれていって、現在のMI6(イギリス対外諜報機関)、MI5(国内諜報機関)にも脈々と受け継がれている、と『MI6対KGB』には書かれています。

つまり、ウォルシンガムはイエズス会の秘密警察のしくみを盗んで、イギリスの諜報機関を作り上げた、というわけです。そのきっかけが、1572年のサン・ヴァルテルミの虐殺だったことを思うと、この事件が与えた衝撃の大きさが分かりますね。
田中進二郎拝