[2121]会員からのメールと、それへの私の返事メール。
副島隆彦です。 今日は、2017年4月3日です。
花(すなわち 桜。ほとんどはソメイヨシノ。幕末の改良種で、すぐに散る)が、全国で咲き始めています。 まだ春の陽気とは言えない、薄寒い日が続いています。私は、苦しみながら、目の前の本の原稿を書かないで、言論雑誌とかを読みあさっています。
以下に載せるのは、ある会員からの自己紹介を兼ねた私へのメールです。最近、10本ぐらい、以下に載せるのと同じような、優れた書き手からのメールを貰っています。すべて紹介したいですが、その場所と時間(私の時間)がありません。 近いうちに、私は、「読者、会員と副島隆彦 のやりとりのメールだけ を載せる 掲示板」を 新たに一つ作ろうかと、思います。
皆さん (この学問道場に集まる人たち の多く)は、優れた人生観をしている人たちですが、自分の考えを公表したりしません。みんなに向かって、大声で言うことなどはない、人の気の利いた文章を読めれば、それでいい、という人たちだ。
だから、私のような、本業の物書きの人生が、いよいよきつくなってゆきます。 私が、頑張って、人の10倍、20倍、努力しないと、「みんなの言論」が、前に進まない。
まず、こういう人がいます、というメールを載せます。力を抜いて読んでもらえる文面です。 もっと皆(みんな)、自分をさらけ出すような文を書いて欲しい。ただ、ここは、公共言論(誰でも見れる、読める場所)の場ですから、自(おの)ずと、このことにも限界があります。
まず、私の返事メールから先に載せます。
(転載貼り付け始め)
2017/03/23 8:34、副島隆彦 <gze03120@nifty.ne.jp> のメッセージ
****さまへ
副島隆彦から
自己紹介のメールをありがとうございます。
貴兄の、真面目な生き方を尊重いたします。それと、私の本を熱心に読んで
いただいて感謝申し上げます。
あなたは、生来、感受性の豊かな、感覚の鋭い人で、ものごとを深く理解する
能力のある人です。 ご自分の資質を大切にしてください。生来、お坊様、出家
者、仙人さまのような人だと思います。
お父さんや周囲の皆様のおかげとご支援で、十分に、ゆったりと生きておられるのですから、恵まれた人生だと思います。あなたの知識や思想の理解力の高さは、私、副島隆彦が、全国にいてくださる同志 と読んでいます皆さんと同じ水準に達しています。
アイン・ランドを読んで、リバータリアンの思想も理解できています。 しかし、あなたの場合は、元々が、芸術的な資質ですから、きっと現実の闘争や、現実での経済活動(金儲けや会社員)などは、向かない人だと思います。 ですから、どうか、遠くの方から、私、副島隆彦たちの活動と、闘いをじっと見ていて下さい。
ご質問に、簡単にお答えします。
1.私は、ニーチェについての本を今、書いていますが、苦しんでいます。私は、芸術、とりわけギリシア古典悲劇なるものや、オデュセウス、イリアッド、アイエネイスなどのギリシア古代歴史、人間の生き方の範型(types イデアル・タイプ、イデアル・チューブス)にまで、入り込んで行けない。それで困っています。日本人にはこの世界に入って行くのは無理だろうと思ってがっかりすることが多い。
2.千利休(せんのりきゅう)は、キリシタンです。
堺の会合衆(えごうしゅう)の幹部で、武器商人です。今井宗久(いまいそうきゅう)や津田宗きゅうの方が格が上だっただろう。秀吉の代になって、利害が衝突したのでしょう。背後に、スペインと、ポルトガル(は、スペインに併合された)の争い、とかローマ教会の日本政策の変化への、対応があったので、秀吉に自死を命じられて、死んだのでしょう。
3.天皇制(という国王の存在)は、私たちにとっての、運命です。目の前の現実と存在を肯定しないことには、言論も知識も、歴史研究も、思想も成り立たない。
このことは、私、副島隆彦が、「日本語という 東アジアの土人言語、その牢獄の中に生きて、それを使って書いて=思考して=言論商売の同道具にして、私は生きて、死んで行くしかない。あとにその本たちが残る」と書いて来ました。
このことと同じぐらい、私たちの、人生の既定、与件(よけん。given 、あらかじめ与えられた大条件、前提条件)、すなわち予(あらかじ)決められた運命としてある。人はすべて時代の子です。
生まれたときに自分が与えられた生活・生存条件の中で生きて行かなければいけない。 日本の天皇制も、その大きなひとつです。これは私が生きてしまっている、人生環境=牢獄 という運命です。
アメリカのリバータリアンたちは、ヨーロッパから流れ着いてきた、食い詰め者の、貧乏な開拓農民から興った思想です。だからインデアンをたくさん殺したり、土地を奪ったり、奴隷制を肯定したり、の大変な条件の中で、作ってきた思想です。
ここで大事なことは、リバータリアンは、自分にウソをつかない、ええカッコをして自分たちを素晴らしい、理想の思想の実行者だと、言わないことです。 どこまでも泥臭く、です。
ただし、あなたが、以下にお書きのことに感動しました。
「 趣味は食べ歩きと飲酒です。ちなみに大阪の心斎橋に梅市という割烹があるのですが、とても美味しいです。梅市の話をしたのは、オリックスの宮内さんや光世証券の会長さんなどが来るお店で個性的でおしゃべりな店主と女将がおり色々な大阪の裏事情も知っているようで、先生の興味の範疇かなと思ったからです。
私 自身大阪人のつもりでいますので、先生のご存知の大阪人の汚(きたな)らしさ等を、また書 いていただけると嬉しいです。道頓堀が大阪城の外堀であったことは全く知りませんでした」
副島隆彦です。あなたのこの文の中の、その「大阪の心斎橋にある梅市(うめいち)という割烹」に、どうか、そのうち、私を一度、連れて行って下さい。一生に一度、何かの機会誘ってください。私も、さっさと人生を達観して、あなたと同じように、趣味人(しゅみじん)として、ゆったり、郭(くるわ)の芸者コトバなら まったり、と生きたいのです。 それが出来ません。
原稿書きと、本読み、雑誌読みで、追われて地獄の日々です。弟子たちの面倒を見る時間もありません。出版社と、編集者たちに、次々と騙されて、バカみたい、と 思っています。
「日がな一日、花を翳(かざ)して暮らしけり」 「人生は、暇(ひま)つぶし」になりたい。 このコトバは、私が、尊敬する、 山本夏彦(やまもとなつひこ)という人生の達観者のコトバです。
山本夏彦は、日本では珍しい、おフランスかぶれではありましたが、リバータリアンの思想を体現した作家、随筆家(そう、ボルドーの塔の中に籠もって暮らした、モンテーニュのような)でした。
こう考えると、フランス・モラリスト(本当は、「反」モラリストだ。ラ・ロシュフーコーも)が、リバータリアン思想の源流かも。 商売は、やる、です。
私は、***さん。私は、勝手に、霊的、精神的な存在になって、どこかをさ迷うわけには、私はゆかない。あなたは、そういう世界の人です、きっと。ですから、あなたの理解力は高いのですが、どうか遠くの方から、副島隆彦と一統(一党)の闘いを見ていて下さい。
副島隆彦拝
Subject: 挨拶、自己紹介、そして三つの質問
Date: Sat, 18 Mar 2017 14:17:49 0900
副島隆彦先生へ
会員番号3202 **** です。先生からは様々なことを勉強させていただき本当に感謝しております。
私は、現在40歳で****市在住、****という***のオー
ナー兼経営者として生活を送っています。オーナー経営者といっても、私は二代
目で、今は亡くなった父が付けてくれた年齢が近い有能な人に社長をやってもら
い、彼とあと一人有能な人と三人で切り盛りしています。
自分自身、英語が喋れない英語講師でした。おそらく英検準一級になんとか合格できる能力しかないと思います。自分なりに、二代目経営者としての、そして欠陥英語教師としての存在悪を自覚しています。それでも私はこの仕事で生きていくのが最も楽な生き方で、それに甘えています。
もちろん、気持ちのいい人間でありたい、お客様に良いものを提供したいとは思うので、自分の苦しくない範囲でですが、努力しています。そうしないといつ潰れるかわかりませんし再就職もないでしょうし。
学歴は地元の**第一小学校、転校し西宮の***小学校を卒業、中高は***学園、大学は****大学中退です。大学を中退し父の会社に入るまでの経緯
は、アルバイトから父の会社で後を継ぐべく働いたのですが、ファッションデザイナーになりたいと馬鹿 な夢を見て挫折し、父に拾ってもらい、もう一度社員として雇ってもらったという流れです。
職歴としては22歳か30歳くらいまでは****として、30歳頃から36歳頃までは半経営者として、36歳頃に食物アレルギーが悪化しアレルギーが良くなった最近まであまり働かず社員のみんなに食わしてもらっているような状況でした。
メールを送らせていただくのは初めてですが、10年ほど前に一度学問道場の秋の定例会でご挨拶し握手していただきました。
読書歴は18歳頃までは歴史物語などばかり、19歳歳頃に小林よしのりの戦争論にはまり、一時は西部邁(にしべすすむ)の文体に憧れ真似をしたりしていました。二年ほどは彼の考えの影響下にありましたが、その間に小室直樹先生などの本も読み、おそらく23歳頃、副島先生の著作に出会いました。
先生の本は一冊二冊の読みこぼし はあるかもしれませんが、ほぼ全て購入し読み今も自宅にあります。読んではい ますが正直内容の理解が疑わしいところもあり、二回三回読んでようやく腑に落 ちることも多いです。
他に岡田英弘先生、アイン・ランド、ヘッセ、橘玲、塩野七 生、大前研一など色々読み散らかしています。思想系、知識系、ビジネス系を一緒くたにしています。今からは吉本隆明先生の本を簡単なものから読んでいきたいなと思っています。漫画もよく読みます。映画はあまり見ません。
趣味は食べ歩きと飲酒です。ちなみに大阪の心斎橋に梅市という割烹があるのですが、とても美味しいです。梅市の話をしたのは、オリックスの宮内さんや光世証券の会長さんなどが来るお店で個性的でおしゃべりな店主と女将がおり色々な大阪の裏事情も知っているようで、先生の興味の範疇かなと思ったからです。
私 自身大阪人のつもりでいますので、先生のご存知の大阪人の汚らしさ等、また書いていただけると嬉しいです。道頓堀が大阪城の外堀であったことは全く知りませんでした! また、食べ歩きから和食器に興味を抱き茶道もやっております。
既婚で子供はいません。妻は大学の同級生で出会いました。妻の実家は長崎
の浦上、先祖に江戸時代の迫害での殉教者もいるらしくゴリゴリの日本カトリック信者です。ちなみに私は、不可知論者でカトリックは先生の影響もあり大嫌い、妻の洗脳も大分解けてきたかなという感じです。茶道を始めたのは妻が習い始め、妻が共通の趣味を持ちたいからと誘われたからでもあります。
自己紹介が長くなりましたが、私はこういった人間です。
以下、三つ、質問を宜しくお願いいたします。
一つ目
・美術についてです。
何かの本で、ニーチェが中世美術を批判しギリシャ美術を賞揚した、という記述
を読んだ記憶があるのですが、先生が考えられる、美術の判断基準や美術史の流
れ、民族や文化ごとに何を美しいとしてきたのか、思想や歴史と美術の関係、な
どをお教えいただきたいです。
ちなみに私は去年ぐらいかに上記の記述を読み、生きる楽しみをたった自己の
生命力を鼓舞してくれるような美術に関心を向ける、ことにしています。先生の
影響で何かしらの真実を後世に伝える美術も素晴らしいと思います。
また、ニーチェの本は数冊持ってはいるものの正直読めていません。難しいで
す。ニーチェについての本を何冊か読み影響を受けています。先生の、ニーチェ
について、とても楽しみにしております。
二つ目
・千利休が殺されたのは、彼が商人として自己の権益の拡大を図り、その為にキ
リシタンとなり?カトリックの日本侵攻を手助けし、キリシタン大名の思想的
リーダーのような役割をしていたからではないか? という疑問についてです。
先生の著作などを読みそのような疑問を抱きました。何かしらの裏付けがあった
りするわけでもない自身の想像の疑問を質問し申し訳ありません。
ちなみに私は茶道はやってはいるものの、侘び寂びを美しいと感じる感性は適正
なのか? とか、家元制度って宗教とかネズミ講と一緒だよな、とか、京都人っ
て外面はいいけど嫌味な物言いして気持ち悪いなあ、とか思いながらも何とか続
けています。
三つ目
・なぜ先生が天皇制の存続に肯定的であるか?です。同じような疑問で、なぜ先
生は日本という国に確固たる愛情を抱き続けられるのか? というのもあります。
もし私が先生の御考えを測り違えていれば申し訳ありませんが、なんとなくそう
なのかな?と思いました。
なぜ疑問に思うかというと、リバータリアン的に考えると国家は最小規模であ
るべきであり、天皇家も肥大した官僚機構やカトリック教会と同じようなもので
はないか? リバータリアン的に考えると、強欲思想は戒められるべきだが国
家に縛られないユダヤ人的な生き方が最も力強く推奨されるべきではないか、な
ど考えたからです。
自分なりに、国家元首としての天皇の存在が、内閣の制御装置や外国との交渉
の際の権威として、一定の役割を果たしているからか? 人間には一定の共同
幻想が必要で天皇家の象徴としての役割も国民のある層には必要だからか?
ほとんどの人間はそんな強い生き方は出来ないからか?(私自身も外国に出てバ
リバリ働いて生きていってやる、は能力的にも気力的にも無理です)
先生の読 者層は天皇制の存続する日本で生きる日本国民だからか? などと考えま
した。ここまで書いて、この三つ目の質問は二つに分けるべきだったかと思い思案し
ま したが、なぜか私の中では結びついてしまっています。おそらく天皇も日本国も
「お上」という権威、で同じように捉えてしまっているのだと思います。
以上、三つ、お答えを頂けると嬉しいです。
今までの先生の著述の中で既にお答えでしたら申し訳ありません。
先生の著述からは、思想、歴史、世の中の大きな枠組み、世の中の真実や裏側、
などを勉強させていただいています。また、同時に人生への向き合い方も指導し
ていただいていると思っています。
とても尊敬し感謝しております。これからも勉強させていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。 ****
副島隆彦先生
先日、挨拶、自己紹介、そして三つの質問 にご返信いただきました、****の****です。御返信いただきありがとうございます。とてもとても嬉しかったです。
先生のメールを拝読し、自分が恵まれた人生を歩んではいるが現実の闘争や経済活動には向いていない人間である、ということを、改めて、そして深く実感認識できました。
また、先生から、君はそういったものには向いてないし、そういうものに関わらない方が幸せでいられるよ、という教えを頂いたのかな、とも思いました。青年会議所やライオンズクラブの集まりなどにも呼ばれるのですが、何度行ってもどうしても何かしらの違和感を感じ距離を置いています。自分は社会貢献や社会活動などに取り組めないダメな人間だなと感じることもあるのですが、何か諦(あきら)めというか踏ん切りが付きました。
と同時に、私は先生方が取り組んでおられる政治的現実的活動に関わっていける人間ではないし、その覚悟も持てないことを、学びました。先生が、覚悟がない人間は参加してはいけないんだよ、お教えくださっているようにも感じました。先生の仰る通り、遠くからですが皆さんの応援をさせていただきます。
学問道場の会員は続けていくつもりですので、此方こそこれからも宜しく御願いいたします。
私の質問に対して先生が下さったお答えを拝読し思ったことは、
1、 ニーチェについて
先生のお書きになった人間の生き方の範型ですが、古代ギリシア人がどのような範型を持ち、ニーチェがそれについてどのように考えていたのか。また、他の民族や国民、昔の日本人がどのような範型を持っていたのか、が知りたいなと思いました。先生は古代ギリシア人の範型は、日本人には無理だろうと書かれていました。が個人的にはとても興味がある話題です。範型というのは小室直樹先生が書かれていたエトスと同じことを指しているのかな? と疑問にも思いました。またよろしければお教えください。御本、本当に楽しみにしております。
2、 千利休について
お教えありがとうございます。先生のお教え通り納得できます。
個人的な話ですが、お茶室の空気感などは好きなのですが、武者小路千家の家元がローマ教皇と会って茶道へのキリスト教の影響について話し合った、や、濃茶の回し飲みや袱紗の扱いは、利休がカトリックのミサから影響を受け始めたものだ、などの記述を読むと茶道を続けるのが嫌になります。
先生が書かれている、ローマカトリックこそが、人間世界の悪の根源だ、とのお話しは本当にそうだと思います。殆ど全ての組織化された宗教に共通する集金システムや、五感に訴えかけながら従属を強いる儀式などが私も大嫌いです。茶道の家元制度が宗教の集金システムと同じに思え、其処此処(そこここ)に見えるキリスト教や封建制の残滓が鼻に付くのです。
とはいえ、お茶室での落ち着きくつろげるのも事実ですし、礼儀作法の勉強としては必要かなと思い、困ったなぁ、という感覚でお茶のお稽古を続けています。
3、 天皇制について
お教えありがとうございます。おそらく理解できたと思います。
小室直樹先生が、天皇制とは~である、と書かれていた部分、何と書かれていたかははっきりと記憶にないのですが、ずっとよく分からなかったのですが、初めて理解できたと思いました。先生のお弟子さんがどこかの本で引用されていた部分かと思います。
今回、先生は、既定、与件、運命、と書かれていました。おそらく副島先生の『悪の経済学』で、「予定(プレデスティネイション)とは疎外(そがい。エントフレムデュンク)であり構造(ストラクチュア)もこれと同じことだ。人間世界の外側(そとがわ)に冷酷に存在している冷酷な法則のことだ。これを人間が勝手に変えることはできない」という記述を読んだことを思い出し、今回の先生のお返事の内容も同じだと理解しました。
自分は運命とか与件をしっかりと受け止めて生きていっていないな、とも思いました。先生が下さった今回の御返事の中でリバータリアンについて書いてくださいましたが、自分にはそういった泥臭さや、生きていく上でどうしようもなく背負ってしまう罪 に対する覚悟がないなと認識し、自分は現実から乖離した理想論を語っており、リバータリアンの思想の理解が浅かったのだと思いました。
以上が先生から御返事をいただいて自分が思ったことです。
改めて色々とお教えいただきありがとうございます。お答えをいただいてから先生のこれまでの著述をしっかりと読めば理解できることが有ったなと申し訳ないです。でも、自分ではこの理解は得られなかったと思いますし、とても良く分かったと思っています。誤った理解がありましたら、ご指摘ご指導いただけると嬉しいです。
梅市について
先生がご興味を示してくださいました「梅市」についてですが、大阪にいらっしゃる時にお声がけくだされば可能な限り日程を調整し、ご一緒させていただきます。というか、先生とご一緒にお食事できるなど嬉し過ぎます。ぜひ宜しくお願いいたします。とても楽しみです。とはいえ、現在、私、右足を骨折しており少し不自由しておりますので、4月半ば以降でお願いいたします。
以下、二つ、書かせてください。
一つ目
イギリスのcoldplayというバンドの viva la vida という曲があるのですが、この曲の歌詞の内容は、ローマカトリック批判かな、と思いました。もしそうなのであれば、この曲がヒットした背景などについて、先生のお考えをお聞かせくだされば嬉しいです。
二つ目
在日の人たちについて、どういった向き合い方・態度が適正なのだろうかとよく考え悩みます。差別主義者にも排外主義者にもなるべきではないし、なりたくもないと思います。自分自身、日本人であり、外国に行った際に差別される側に立たされる状況は不快ですので。韓国・中国の人たちに、戦争中は本当に申し訳ないことをしました、と謝罪すべきだとも思います。先生の書かれている通り、アジア人どうし戦わず、が本当に大事だと思います。
しかし、喧伝されているように、在日の人々やその関連組織などが不当な利益を得たり特定の便宜を図られているのであれば、それは嫌なのです。とはいえ、それらの情報がどこまで本当なのかきちんと判断できません。何を考慮に入れて自分の態度を決定すべきかが分からない。同様に、被差別部落に対してのあり方も、自分の中でこれが公正だという判断ができていません。
先生のお考えをお教えいただければ幸いです。以上、新たに二つお教えいただきたいです。
今回、先生から御返事を頂け本当に嬉しく勉強になりました。厚かましいお願いですが、このメールの御返事もいつで構いませんのでいつか頂けると嬉しいです。
以前も書きましたが、先生からは本当に色々なことを学ばせていただいております。その様々なことは、とてもここには書ききれませんが本当に感謝しております。先生の著作に出会えたことで、まがりなりにも情弱(じょうじゃく。情報弱者)ではなく情強になれているのだと思います。
知識や思想・歴史はもちろんですが、生き方も学ばせていただいているつもりです。先生のおっしゃる通り、言っていることとやっていることが食い違っていない人間がいい。隠された歴史で書かれた、ロレンツォ・デ・メディチ の生き方に感銘を受けました。自分なりにですが。これからも先生のご本で勉強させていただきます。
ここまで、本当に長々と書きましたまとまらない文章、最後までお読みいただき、ありがとうございます。梅市、ご一緒させていただけるのを楽しみにしております。
山本夏彦を読んだことがないので読んでみます。遠くからではありますが、お慕いし応援しております。「家父長制(パトリアーキー)」について、ニーチェについて、そして他の先生のこれからの色々な著作を楽しみにしております。 ****
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦 拝
下 ↓ の 浅川さんの 投稿文に対して。私、副島隆彦の考え。 幼児をふたり、自転車の、前とうしろに振り分けにして、乗せて、よろよろしながら走っている人もます。こういう若いママチャリの 危ない運転と、それを条例で禁止しようとしても、この若いママたちの、人生の切実な、目の前の 厳しい日々があります。 こういうときの母親は、本当に強いです。 県や市の 条例などで、「危険だから禁止する」と決めても、きっと、それを打ち破って、やってゆきます。 それを、私は認めます。 動物的な本能からの行動を私は否定しません。
少子化問題、 と、 多くの日本人は、結婚をしない、子供を作らない、になっている 現実に対しても、
私は、人口問題( デモグラフィー demography と言います。人間たちについての統計学)の方向から、近く、考えを書きます。 このあと、 安倍昭恵 首相夫人 という 女性のことを、続けて書きます。 副島隆彦拝