[2094]近代は「天体原理主義」から「数学原理主義」の転換であり、これからは「特徴ベクトル原理主義」へ

六城雅敦 投稿日:2017/02/20 21:39

会員番号2099六城雅敦です。本日は2017年2月20日(月)です。

昨日発行された下條竜夫氏の最新刊「物理学者が解き明かす思考の整理法」(ビジネス社)を読みました。

目次
第1章 なぜ日本人は哲学がわからないのか
第2章 星占いの科学
第3章 歴史の謎を天文学から明らかにする
第4章 金融工学とはどういう学問か
第5章 現代物理学は本当に正しいのか?
第6章 STAP事件の真実
第7章 AIとは何か
第8章 なぜ日本人は論理的な文章が書けないのか?

この本は大学の教養課程の学生向けに書かれ、内容が盛りだくさんですが、各章どれも深い中身でどれも、新たな事実があり息つく間もなく、これでもかと下條氏が直球で投げ込んで来る力作です。

冒頭からいきなり哲学論になりますが、別に難しい話ではありません。

■アリストテレス哲学が、イスラム哲学経由で、キリスト教の中に入り込んでいった

 数学史の本を読めば分かるのですが、科学(数学)と宗教の関係は普通ではありません。
宗教(信仰心)に、科学的(論理的)な思考が入る余地はないはずだった。それを無理やり入れていった。

ギリシア哲学を、無理やり、信仰の「神」(ほんとうはこの言葉は不適切)の教理の中で、体系的に
合体させようとした神学者たちがいた。本来、整合性は無い。

神学者(僧侶の中で、神の存在を証明しようとした者たち)により、新しい宇宙観や自然観が新たに加わる度に、神学者(哲学者)は、ローマ・カトリック教の教義との整合性を、無理やり、見つけることで、信者を納得させていかねばならなかった。整合するはずはなかったのに。

<B>■ギリシア哲学は、キリスト教(ローマン・カトリック)の神学とは、論理矛盾なく整合できるはずはなかった 

 本書の解説では、15世紀(1439年)に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)が、イスラム教のオスマン・トルコ帝国によって崩壊させられかかっていた次期に、ローマ教会との統合の話をする会議のために、フィレンツエにやってきた、デミストラ・プレトン(ギリシア語を話し、コンスタンチノープルからやってきた、当時、最高のプラトン研究者)という哲学者が、唱えた考え方が支配的だった。

プラトンの考えは現世とは別の理想世界が存在している。その(神の)世界は観念(イデア)でしか我々は知ることができないとされていた。

ところが、プラトンのあとの(プラトン本人から学んだ)アリストテレス哲学は、現世(現実)こそが神の造った世界であり、現実(リアリズム)でしか、神(これを無限なるものとして、アリストテレスでも認めていた))の存在を知る手だてはないとした。

 それまで、1000年の間信じられたプラトン哲学のイデア論よりも、アリストテレス哲学のほうが、現実世界を矛盾無く説明できる、現実的な解決であったので、ローマ・カトリック教会の僧侶(神学者)たちの中に、取り込まれていった。それでも、信仰と、理性の整合はつかない。融合はできない。
アリストテレスの世界観を引き継いだユークリッド幾何学が神学者たちの中で、大きな議論を生むようにになった。それがスコラ論争(1300年代まで)だ。

<B>アリストテレスのいう神の世界観はメソポタミアが発祥である

 太陽や月と 星座 との動関連を研究する、占星術(いわゆる星占い)がある。これが古代の天文学だ。
やがて、近代の天文学や物理学になっていった。

これら自然科学がペルシャ地方で発達して、当時のイスラム教の中のイスラム哲学が、北アフリカからイベリア半島(今のスペイン)に、はいって(後=ご=ウマイヤ朝。アッバース朝と対立した)、アラビア語から、ラテン語に翻訳がすすんで(キルヒ一族によって、翻訳都市、コルドバでなされた)、そうやって、北アフリカ経由で、ヨーロッパ世界に、辿り着いたものが、近代(15世紀、1400年代)の西洋思想の始りだった。

 プラトン( 紀元前399年に、自分の長年の先生のソクラテスが、毒杯をあおいで自殺した)から、アリストテレスの主張にパラダイムシフトしたのが近代(modern、モダーン)だ。この説に私も同意します。 ただし、1493年から始まった、フィレンツエでの、前述したプレトンたちを招いての、ルネサンス運動は、プラトン哲学を使っての「人間復興(ルネサンス)」、すなわち、ローマ・カトリック教会に、激しく、反対して、ローマ教会の教義を打ち破る、運動であった。これが、同時代の、北ドイツ、オランダでの、北方ルネサンス運動(激しく湧き起こったプロテスタントの、宗教改革運動と同じ時代だ。ルター派とカルヴァン派が内部で対立した)に影響を与えて、北方ルネサンスから、ヨーロッパ近代が生まれた。

<B>■天体の研究では中国文明が1000年以上進んでいた 

(副島隆彦注記。ここから先は、六城くんの、mおかしな文に、訂正および加筆はしません。私、副島隆彦は、少し、六城くんの、雑駁な知識に、怒っている。彼は、理科系の数学と物理学はよく出来て、分かっているのだが。副島隆彦注記おわり)

第二章では古代の天体観測はメソポタミア文明とならんで中国も進んでいたというお話です。奈良の高松宮古墳やキトラ遺跡の北斗七星が描かれた壁画、そして中国由来である大阪天王寺と法隆寺にも類似した絵が残っているそうです。

中国の天文学が奈良時代以前にも伝えられており、奈良時代には宗教祭事として重要視されていたと言うことです。
天皇という称号は、北極星の中国の名称であり、天の支配者という意味から中国では最高支配者にも使われていたと言うこと。それを大和朝廷の華僑系日本人が真似たということ。

<B>■中国発祥の古代天文学は道教となって日本にも定着した

古代史の重要な鍵として星々の動きが政治中枢から民間信仰にまで強い影響を与えていたことを下條氏は地元西播磨の神社を調査したことで明らかにしています。

天皇の補佐には陰陽師家があり、庶民も妙見(みょうけん)信仰があります。いまでも大阪北西部(能勢町)でも星祭りと称した妙見信仰が盛んです。発祥は大阪府南部(南河内郡太子町:聖徳太子の墓がある)です。私(六城)の故郷でもあるので話題となって少し嬉しいです。

<B>■神社が北斗七星の形に配置されているのは偶然ではない

西播磨には秦河勝(はたかわかつ)が祭られた大避(おおさけ)神社があります。大避とは中国語では「ダビデ」という意味だそうで、ユダヤ人と日本人が同じ種族であるという「日ユ同祖論」では有名だそうです。ここの関連神社も北斗七星で配置されていることからも北極を模したことで、権力を表していたということです。

古代人にとって天球の写し鏡が地上であったのです。このような人間の考えは脈々と受け継がれてきたのです。

<B>■天体原理主義を打ち破ったパスカル

ブレーズ・パスカル(1623-1662)「人は考える葦(あし)である」という言葉と液体の圧力はどこにも同じに働くという「パスカルの原理」で知られているパスカルは科学者兼哲学者です。

パスカルは賭けにおいては神の采配よりも「確率」を研究していきます。やがて期待値や確率という学問体系が生まれていきます。金融工学もパスカルが発祥なのだと下條氏は説明し、それは単に正規分布(釣り鐘型の分布)をもとにした売り買いでしかない。

取引の根拠として数学の手法が用いられてきたのが20世紀の時代であったと言われる日がやがて来るだろうと述べています。

世界の中央銀行(日銀も含む)による量的緩和で景気が良くなる数学的根拠は大ハズレもいいところです。

<B>■物理学における数学とは思考を節約する道具でしかない

播磨のSpring8(大型電子加速器)の研究者である下條氏の発言にはびっくりしました。
物理学者にとって数学(数式)は、言いたいことを表す道具(表現)の一つでしかないということです。

説明しやすいから数学を使うのです。別の方法で説明できればそれでも良いと言うこと。

氷から水になる現象をエントロピー式で表したり、流体にレイノルズ数を使うのは理学者や工学者にとって想像(実感)しやすいからです。

<B>■科学者の悪い癖「一定の条件下において・・・」という前置き

副島先生が科学者の悪癖を鋭く指摘しています。
それが「~の条件下において・・・」といった前提をおいて話を始めると言うことです。

下條氏もそれは認めており、相手も同じ土俵に引き上げていかないと生産的な議論にならないという制約でもあり、伝統的でもあるということ。

しかしこの副島先生の指摘は重要だと私は考えます。というのも
私(六城)が最近読んだ本に「エントロピーの常識が崩壊した!―科学における人間の復権と21世紀科学革命」千代島 雅(ちよじま ただし)著 晃洋書房 (2001/02) という本があります。

哲学者による「エントロピーは増大する一方だ(熱力学第二法則)」という説はとても恣意的だという指摘をした本です。

実験において初期条件が全く人工的な状況だからです。そしてほら無秩序になったでしょという解説も人の目によるものだからです。

(たとえばトランプをシャッフルすれば無秩序になったというが、別の秩序になったという見方もできる)

<B>■科学の業績は政府や国家間の陰謀(Conspirancy:共同謀議)でもある

あ~あ第一線の科学者がこんなこと言っちゃっていいのか?というお話です。

STAP細胞騒動でうごめいたハーバード大学とそれになびいた世界のメディア、そして裏では「金のなる木」としての特許とそれに絡む国際金融によるファンド(つまり強欲な世界)を解説しています。

こうして有能な科学者や実験屋は強欲者によって奉られたり、つぶされていくという闇深い話も存在するということです。この掲示板を読まれる方には理解していただけるかと思います。

<B>■「数学原理主義」から「特徴ベクトル原理主義」へ

中国の天文学から星占い、金融工学から人工知能まで、まあなんて引き出しの多い方なんだと驚きながら読み進めます。

最近特に強くなりすぎた将棋ソフトも題材としています。

将棋の最善手を求めるための手法としてプロ棋士を真似るために考案されたのが「特徴ベクトル(特徴表現)」という数値化技法です。

ボナンザを造った天才プログラマー保木邦仁(1975年-)氏がプロ棋士の最善手をプログラムで再現するために導入した概念です。

保木邦仁氏は下條氏と同じ物理化学の研究者であり、化学反応の量子化学計算プログラムを将棋ソフトに流用したと解説されています。

ブレークスルーは、プロ棋士の棋譜を人間が入力するのではなく、コンピュータ自身で「特徴ベクトル(特徴表現)」を見つけるプロセスを持ち得たことであると説明しています。

<B>■教師なしで学習していく学習過程のブレークスルー

深層学習という手法でビッグデータで自動学習ができるようになったAI(人工知能)は「特徴ベクトル(特徴表現)」の精度を増やしていくだろうということ。

人間の脳の学習過程の解明にも役立ちますが、かつての論理計算しかしなかったコンピュータが経験で自動的に学び、まさに「人工知能」になる時代へと突入したということ。

<B>■論理的な文章とはPowerPointでのプレゼン資料のことだ

私(六城)もロジカル・シンキングとか論理的文章入門といった類の本を何冊か買ったことがあります。

数ページ読んだだけで本棚の肥やしです。

下條氏は<説明に落ち度がなく、論破されない文書が論理的な文章ではない>と述べています。

欧米人の論理的とは、流れ(Flow)がわかりやすいことが第一であることなのだそうです。

パラグラフでまとめて、それが次のパラグラフへつながる連鎖構造が「論理的文章」だということ。

良い例はプレゼンで使われるパワーポイント的な構成であるということです。

これは意外と若者の方が向いているかもしれませんね。これはそのまま副島先生のいう文書家業(文書修行)と重なっているといえます。

「理科系からみた文科系の世界」という帯びこそが、ほんとうはこの本のタイトルにふさわしいと思います。

たいへんお奨めです。自分自身の思想/思考の源流を考える上でも、ヒントが満載です。

六城雅敦拝