[2066]伊東俊太郎著「近代科学の源流」は近代科学史を根底から覆した
会員の大川です。今日は2016年12月11日です。
ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領に決まり、世界史的な大変革が始まった。
この激動の時代に、今までの歴史の通説で隠されていた事実が次々と暴かれていくことは間違いない。その1つが、副島隆彦 SNSI副島国家戦略研究所著「明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所研究」である。この本の帯に「さらば!ウソ八百の薩長史観!!」とあるように、これまで常識とされていた薩長中心史観は今後ますます見直されていくことだろう。
以下、伊東俊太郎著「近代科学の源流」(2007年、中公文庫)について述べる。
伊東先生(東京大学名誉教授)は「近代科学の源流」において、古代ギリシアの科学がビザンティンとアラビアに継承されながら発展し、12世紀に古代ギリシア(ヘレニズム時代を含む)、ビザンティン、アラビアの最高水準の科学文献がラテン語に翻訳され、これによって西欧ラテン世界がギリシアの科学を学習・習得していったことを、ギリシア語、アラビア語、ラテン語、シリア語の原典を緻密に研究することによって証明した。従来の西欧中心の近代科学史を根本から問い直した研究成果である。(1978 年に刊行され、文庫化にあたり校訂のうえ2007年に出版された。)
私はこの本を1年以上前に初めて読んで、大きな衝撃を受けた。それまで近代科学史に漠然と抱いていた疑問が氷解する思いがした。そして、何とかして伊東先生の研究成果をこの学問道場に報告したいと思い、やっと今、ここに書くに至った次第である。
解説者の金子務氏は巻末で、本書の内容を次のように簡潔に要約している。
(引用始め)
近代科学の「誕生」といったら、ガリレオ、ニュートンらによる研究方法の確立と、ロンドン王立協会やパリ科学アカデミー誕生という第一次制度化のあった、「十七世紀科学革命」を指摘するのが普通であろう。しかし本書は、そういう近代科学の「誕生」ではなく、その「源流」の解明を目指している。
すなわち、中世科学のうねりを生み出す四代潮流、古代ギリシア科学、中世ラテン科学、ビザンツ科学、アラビア科学、の四つの源流の解明に主力を注いで、それに三分の二を割き、残りで十二世紀ルネサンスの大翻訳運動を経て、西欧ラテン科学が興隆・発展して、本流のガリレオ科学に至るまでの流れを纏(まと)めている。」(同書p.394)
(引用終わり)
科学史において、西欧が初めてアリストテレス、ユークリッド、プトレマイオスなどの膨大な科学文献を知ることになった12世紀は、西欧の「12世紀ルネサンス」と呼ばれる。伊東先生の研究について私がある科学者に報告したところ、「伊東先生の研究は素晴らしいね」という反応が即座に返ってきた。科学者や科学史の専門家の間ではよく知られ、高く評価されている研究なのだろう。
通常、ルネサンスといえば14~15世紀のイタリアルネサンスを意味し、思想、文学、芸術、建築などの分野が中心である(ルネサンスに8~9世紀のカロリング・ルネサンスを含める場合もある)が、最近では「12世紀ルネサンス」も一般読者向けのヨーロッパ史の本に記載されるようになってきた。しかし、その内容は研究者によって異なる。西欧がビザンティンやアラビアから科学を学んだというよりも、12世紀に西欧の内部で学術研究が活性化したことを強調する内容が多いようだ。
伊東先生は「週刊エコノミスト」(毎日新聞出版)2015年6月2日号のインタビューで、次のように述べている。(42-43ページ)
(引用開始)
現在のヨーロッパ史を読むと、ある歴史上の重要な局面が消されている。それは、イスラム世界が西欧文明の成立に重要な役割を果たしたという事実だ。12世紀、西欧はイスラム世界にあった優れた学術を取り入れ、近代文明として離陸する根底を作った。それはちょうど、幕末から明治にかけての日本が、西欧の学術に出合い、その後の発展の基礎を作ったのと同じだ。当時の日本がしたことを西欧は12世紀に経験したのだ。(中略)
西欧文明というと、数学者ユークリッドや哲学者アリストテレスが出た古代ギリシャ以来3000年の歴史がある、と一般的には理解されている。しかし、これは間違いだ。実は古代ギリシャの文明は、西欧で一度途絶えている。(中略)
彼ら(引用者注:先駆的な知性を持った西欧の「目覚めた人」たち)がイスラム世界から知識を吸収して西欧の学術の背骨を作り、それが17世紀の科学革命へとつながった。デカルト、ガリレオ、ニュートンの時代になって初めて、西欧が世界を主導するようになる。
この歴史的事実を、今のイスラム世界は知っている。しかし、西欧社会は認めず、西欧の見方をうのみにする国の人々は知らないままだ。
(引用終わり)
では、12世紀に初めて西欧が本格的に科学を学んだと言える根拠は何か。伊東先生は、誰がいつ何処で、何語から何語に、プトレマイオスの「アルマゲスト」(天文学の研究書)やユークリッドの「原論」やアルハーゼンの「光学」やヒポクラテス、ガレノスの医学書を翻訳したか、それによって天文学や数学や物理学や医学が何処へどのように伝わってどのように発展していったか、それらをギリシア語、アラビア語、ラテン語、シリア語の原典(写本)にできるだけ忠実に解明している。原典に基づく根拠を明確に示しているのだ。(ただし、チャールズ・ハスキンズや堀米庸三などの先駆的研究に負うところも多い。)
つまり伊東先生は、古代から中世のギリシア語、アラビア語、ラテン語、シリア語の原典をそのまま読んで、そこに書かれている数学、医学、天文学、物理学の内容を比較検証し、それらの文明史的意義を明らかにするという、にわかには信じ難い稀有の能力をお持ちなのである。そのうえ、高度な研究成果を一般読者向けにわかりやすく解説するという、恐るべき能力と文章力を備えているのだ。
二千年以上の時間の長さと、西欧から東欧・アラビアまでを扱う地理的スケールの大きさと、多言語を駆使した文献研究の緻密さに圧倒されるばかりである。そして何よりも、西欧が軽視してきたアラビア文明を掘り起こして光を当てた。歴史の通説を根本から覆した快挙である。
なお、伊東先生の「12世紀ルネサンス」(講談社学術文庫、2006年)も、高度な内容をわかりやすい文章で表している。
大川晴美