[2016]小林よしのりのアンチ・シン・ゴジラ論に反論する

相田英男 投稿日:2016/10/15 18:06

相田です。

これは映画板に書くつもりでしたが、小林よしのりが、相変わらず反シン・ゴジラのプロパガンダをやってるので、ここ重掲で、以下に引用の上で反論します。映画「シン・ゴジラ」の公開とその後の一連のアフターマスは、2016年を代表する事件の一つだといえます。まだしばらくは上映されるみたいなので、観ていない方はリアルタイムで体験してみるべきです。(今日は菅官房長官も見たというニュースがネットに載ってました)

(引用はじめ)

愛国心むき出しの国家主義的リメイク
小林よしのり

『シン・ゴジラ』のアメリカでの映画評は、かなり厳しい。

「愛国心むき出しの国家主義的リメイク」
「おしゃべりが過ぎる」
「日本のひどく不快な軍国主義の過去が蘇る」
「セリフが多く、ゴジラのアクションが少ない」
「会議室での会話が多過ぎてわかりづらい」
「大量の地名や登場人物の肩書きがスクリーン上に現れる」
「アメリカ人が傲慢で高圧的に描かれている」
石原さとみの英語力が「説得力に欠ける」
「米公開の際には英語の吹き替えが必要かも」

相当にフラストレーションが溜まる映画だったようだ。

しかしこの評価、まるでわしの評価と同じではないか。するとわしはアメリカ人のメンタリティーに近いのか?だがわしはナショナリズムが強い人間だと日本では思われていて、わし自身もそれを自認している。そのわしが『シン・ゴジラ』はオタクの無意識の国家主義だと批評した意味を考えた方がいい。

(引用おわり)

相田です。小林よしのりの反論は私には理解に苦しむ処が多いが、アメリカ人に受けないことがそんなに大問題なのかね。あの映画は映像自体は別に大した物ではないよ。所詮CGをちょこっと使った特撮に過ぎないしさ。だけども、映像の裏ある「憑きモノ」が我々日本人には強烈なインパクトがを与えるのだ。あの「憑きモノ」は、3.11を経験した日本人の深層心理に刻まれたモノなので、反応せずには居られないのだ。普通の映像であっても観る者の印象を増幅するように、シン・ゴジラは計算されてつくられている。

そんな映画を外国に持ってっても受けないことは、最初から明らかじゃん。3.11を知らない外人には「憑きモノ」なんて見えないよ。

そもそもが最初のゴジラにしても、東京大空襲と広島、長崎の原爆被害と、ビキニの水爆実験への恐怖と抗議を、モチーフとして作られた映画なのではないか?最初から強い「反米」 主張が込められていたんだよ。怪獣が暴れまくるから相手も深く考えなかっただけで。シン・ゴジラはその第1作のモチーフを純化させている訳だからさ、アメリカ人が観ていて気分良くなる筈がないだろう。

そんなにアメリカ人の御機嫌を取るのが大事なのかね?サブカルが絡むと、いきなり主張がポチ化するのは一体どういうことかね?

(引用はじめ)

そのわしが『シン・ゴジラ』はオタクの無意識の国家主義だと批評した意味を考えた方がいい。

(引用おわり)

小林よしのりは、この映画の解釈を間違えている。小林は世代が違うので知らないのだろうが、シン・ゴジラのテーマは庵野監督が大ファンだった、昔の特撮テレビ「帰って来たウルトラマン」の、いくつかのストーリーを組み合わせて作られている。

別に私はサブカル評論家になるつもりなどないが、怪獣の名前だとグドンと、シーゴラスと、テロチルスが登場する話になる。この時の話はいずれも前後編2週になっており、1週目の終りでウルトラマンが負けるか怪獣を倒すのに失敗して、次の週には怪獣が東京を蹂躙して廃墟にするという、恐ろしい展開だった。最後はウルトラマンが怪獣をやっつけるので救われるのだが、小学生の子供にはテレビを見ながらすごく怖かった記憶がある。月に一回くらいは東京が滅茶苦茶になるのに、いつの間にか復旧してるなあ、とか番組を見ながら疑問を感じたものだった。

これらの前半部のあまりにハードな展開に子供が引いてしまったため、しばらくして、ウルトラマンのピンチの時にウルトラセブンが助けに来るという、テコ入れがされて人気が復活したらしい。さて、怪獣の事は別にどうでも良く、大事なのは、この時期のウルトラマンの一連のシナリオを手がけたのが、上原正三さんという沖縄出身の脚本家だったことだ。

上原氏は太平洋戦争の終盤に沖縄が本土の捨て石にされて、焼け野原にされた恨みから、ウルトラマン中で怪獣達に東京を襲わせて廃墟にさせるという話を、何度も繰り返したらしい。あのドラマの裏にあったのは故郷を焼かれた脚本家の、反戦と、本土への恨みと、そして反米メッセージだったのだ、と今になってから自分にはしみじみと実感できる。

庵野監督はこのドラマから強い影響を受けて、特撮作家を目指したのはオタクの世界では常識なっている。要するに、監督はゴジラを作る際に、自分が最も大事にしているウルトラマンのドラマのモチーフを惜しげも無く投入して、その結果できたのがシン・ゴジラということだ。トッポいオタクの映像作家が、気まぐれの、興味本位で、政治的な主張を入れたのではなく、自分が子供の頃から温めて大事にして来た、ウルトラマンの話を骨格として使った結果が、あの映画の内容になったのだ。実はその裏には沖縄出身の作家の強い反戦、反米メッセージがあったと私は考えている。

シン・ゴジラのストーリーには数十年間わたって受け継がれ、温められた骨格が存在するのだ。小林よしのりが批判するような、底の浅い安易な映画では無いのよ、全くね。だから、観る人の感動を呼ぶのではないのかね。なんでそんなことがわからんかね?要するに感性が衰えてるんじゃないのかね?

(引用はじめ)

だがわしはナショナリズムが強い人間だと日本では思われていて、わし自身もそれを自認している。

(引用おわり)

本当はあんたは、そんな人間ではないのではないかね?別に映画が面白くなければ、文句だけ言って、後は無視すれば済むのではないか?それを件のアニメ映画を引き合いに出して、どっちが出来がいい、だのと論じたり、アメリカ人様達にウケない映画はツマラン、などとケナしたりする処は、あまりに不可解で見苦しい。ナショナリズムが強い人の対応とは、とてもではないが思えないよ。

自分が政治漫画でばら撒く毒よりも、更に強力で影響力の強い毒気を発するシン・ゴジラが登場してしまったため、アタフタしてるだけなのではないかね?ツマランと思うのならほっとけばいいよ。でもひいき目でなくみても、シン・ゴジラの発する影響力は、あんたの一連の本よりも遥かに上回ると、私は思うよ。

これからもアンチ・シン・ゴジラ活動に頑張るかね?でもあの映画をよく見れば、何が本当なのかは一目瞭然だと思うよ。DVDが発売される時には、今度は不買運動でも展開するかね?

相田英男 拝