[2001]Re:『明治を創った幕府の天才たち』誤記訂正。執筆者のひとりより
田中進次郎さん
六城雅敦です。訂正箇所の指摘ありがとうございます。
開陽丸が沈没したところは江差(函館の西側)でしたね。車で札幌から小樽を経て江差はすぐという感覚があったので、こんな勘違いをしてしまったのですね。
たしかに沈没した場所は江差(今では小さな港しかない寂しい町)沖でした。
千利休がプロテスタントかという点は、時期的に確かにおかしいく先走った記述でした。
当時の堺では千利休の屋敷のそばに、フランシスコ・ザビエルが大阪の布教の拠点としていた日比屋了慶という豪商の屋敷(現在ザビエル公園となっている)があります。
商人でもあった千利休との交流もあったでしょう。鎖国前の人ですから。
西洋数学が輸入されて算学好きの大坂商人らによって伝播していったのが、早くても1700年以降、八代将軍吉宗(在位1717-1745)の洋書解禁の時期以降です。
千利休=堺の鉄砲商人=西洋科学信奉=プロテスタント?
非常に雑な連想でした。
信長=秀吉時代はイエズス会、フランシスコ会といったカトリック海外布教を目的とした組織が日本国内では力をもっていたのですから、カトリックの影響が大なのは当然ですね。
私の感覚では雑器や雑木を見立てる茶の湯のわびさびは、内村鑑三らがひろめようとしたプロテスタントの反権威主義に重なって見えてしまうのです。
皮肉にも利休は茶道具の目利きの権威となってしまったのですが・・・
私はクリスチャンではないので、浅はかで短絡的な感覚で判断してしまいました、反省します。
「プロテスタントだったろう」は削除です。
> P95 「江戸時代の蘭学者の系譜」の図より
> ×古河謹一郎 →○古賀謹一郎(こが きんいちろう)
提出した原稿は古賀でしたが、写植時で誤変換されたようです。気づきませんでしたorz