[1988]天武天皇の正統性について
自ら正体を隠した柿本人麿
人麿作歌は、二つに類別することが出来る。歴史事件を歌ったものや皇子、皇女(ひめみこ)の死を歌った挽歌は公(おおやけ)を歌ったものであり、一方、妻の死と自身の死を嘆いた歌群は「人麿の私生活」を歌ったものである。
私は、(207)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」から(227)「或る本の歌」までの二十一首を、一つのシリーズ「亡き妻に奉げた鎮魂の」であると考えた。あくまでも私の仮説です。
小室直樹先生が、ことあるごとに力説していることは、科学は仮説を立てることで始まる、と云う事です。仮説を検証する事が、科学です。
科学者の能力は、人の思い付かない仮説を立てることが出来るか否かにかかっています。想像力、空想力が科学者には不可欠な能力です。
私が(207)から(227)までを一つのシリーズと考えた理由は、〔226〕「丹比真人(名をもらせり)、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌」
荒波に 寄りくる玉を 枕に置き 吾ここにありと 誰か告げなむ
この歌は(220)の「讃岐の狭岑島に、石の中に死(みまか)れる人視て、柿本朝臣人麿の作る歌」の反歌と見るとピッタリするのです。
また(227)「或る本の歌」
天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
この歌は、(207~216)の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌にピッタリします。
これは『万葉集』の編者が、(207)から(227)までを一つのシリーズと読めと示唆しているのではないかと、私は考えたのです。
このシリーズのヒロインは、覚悟の失踪を遂げ、何処で果てたかもしれない人麿の妻です。妻に奉げた鎮魂の歌群です。
そうすれば(223)「柿本朝臣人麿、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌」
鴨山の 岩根し枕ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ
この歌で人麿が語り掛けている相手は、今やあの世の住人である妻と云う事になります。
つぎの(224~225)「柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌」
今日今日(けふけふ)と 吾が待つ君は 石川の 貝に(一に云ふ、谷に)交(まじ)りて ありといはずやも
直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
答えて歌を返しているのは、あの世の妻と云う事になる。あの世の妻の気持ちになって歌っているのだ。
今日今日と 吾が待つ君は 石川の 貝に(谷に)交りて ありといはずやも
貝または谷とあれば、女性を指す隠語に決まり切っている。「貝に(谷に)交(まじ)りて」は、エロスの表現である。
つまり、妻を見殺しにした人麿が、長い苦悶の旅の末、新たな愛を得た、石川の娘さんとよろしくなさっているではありませんか、とあの世の妻が語り掛けている形に作っているのである。
次の
直(ただ)の逢ひは 逢かつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
直接お逢いする事は叶わないことでしょう、石川に煙を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びいたしましょう。
通説は「石川に 雲立ち渡れ」を、人麿を火葬した時の煙と云う。しかし、それはおかしいだろう。人麿が石見国の鴨山で死んだとするなら、妻が人麿の死を知ったのは、人麿が死んでからかなりの時間が過ぎた後であったはずだ。もうとっくに火葬も終わっていたはずだ。
ちなみに通説は、鴨山で死んだ人麿は、石川の川原に運ばれて荼毘にふされ、海に散骨された、と云う物語を作っている。
私は「石川に 雲立ち渡れ」の雲は、生活の煙りと理解する。炊事の煙りである。あの世の妻は、人麿の新生活を望み見て、それを祝福さえしているのではないか。
人麿は、長い苦悩の旅の末、石川の娘さん(石川郎女)の愛を得て新生活を始めたのである。
石川郎女は『万葉集』の中心的ヒロインの一人である。しかしその素性は謎に包まれている。『万葉集』には、少なくとも三人以上の石川郎女が登場しているように見える。
しかし、石川郎女は柿本人麿の相方である、人麿を謎の中に置いた以上、その相方の石川郎女も謎の中に置く必要があったのではないか。
石川郎女を探求する中で、柿本人麿の素性も自ずから明らかになってくるのではないかと考えた。
次回から、しばらくは石川郎女を検証しようと思う。