[197]細野豪志は大人の政治家です。「ありゃあ、たいしたもんだ」

ゆみこ 投稿日:2011/03/01 21:16

群馬のゆみこです。この掲示板の 【[195]狂言「佐渡狐」で「たくさん納税できて幸せ」というプロパガンダ】で初投稿後に、「日本のインテリが集まる偉大な掲示板にこんな文章投稿しちゃった・・・」と最も重い気持ちになりました。今日も投稿後にさらに重い気持ちになることを覚悟して投稿します。

その[195]で「一緒に行きませんか」とお誘いした、2011年2月27日(日)に群馬県高崎市で行われた「三宅雪子 国政報告会」のレポートを書いて阿修羅の掲示板に載せました。
【レポート☆三宅雪子・国政報告会☆群馬県高崎市にて、2011年2月27日 】:
http://www.asyura2.com/11/senkyo108/msg/704.html

人生で二回目の政治集会に行って、こう思います。「やっぱ、ライブは違う。」
批判されているテレビ、新聞はもちろん、インターネットでいろんな記事を読んでいても、ライブ体験にはかなわない。インターネットは生々しい感じがするけれど、よく考えたら全部“又聞き(またぎき)”です。現場に行く、そして本人に会う、そういう行為は、文字で書かれたものを読んだり、映像を見たりするのとはまったく違う体験です。人はからだ全体で感知しているのが良く分かります。なんというか、やっぱり・・・派動なんでしょうね。派動をキャッチするんです。

報告会にゲストで来た細野豪志(ほそのごうし)内閣総理大臣補佐官を、わたしは素晴らしいと思いました。細野さんは「民主党の代表選で小沢さんに投票したのに、なぜ今は菅さんを補佐しているのか」とよく聞かれるのだそうです。彼は、「菅さんを補佐するのは民主党政権のためであるから当然なのだ」と言いました。「私は好きとか嫌いで政治をやっていない!」と。これを聞いて、わたしはそれまでぐらぐらしていた気持ちが吹っ切れて、「小沢一郎と、そして民主党政権を支持していこう」と思いました。わたしがおじさんだったら、「細野豪志、ありゃあ、たいしたもんだ」と言うでしょう。

阿修羅をチラチラみていると、みんな小沢一郎を支持していて、それゆえに「小沢一郎をはずす今の菅政権はぜんぜんダメだ、ぶっつぶせ!」という感じだと思います。これは「AとB、どっちがいい?Aの小沢一郎だよね。じゃあBの菅直人(とその仲間)はたたきのめすね」という二者択一です。どちらかを選ばなくてはいけないという話になる。でも、二人とも民主党の議員なんだから、民主党に投票した我々は両者とも応援したほうがいいのじゃないでしょうか。「菅直人を応援する」というと、「それはちょっとしたくない」と思ってしまうのだけど、なんというか、わたしたちは濁り水の菅さんたちも内包してあげなくちゃ、しょうがないのじゃないか。だって、民主党が割れたり、または解散総選挙をやって民主党が惨敗したりしたら、人が減ってしまう。人数が少なければ政権は取れないのだから、権力を手放すことになる。そうしたら、また何もできない立場になってしまう。

そもそもこの宇宙、というか“すべて”は二元的ではなく一元的です。「すべて」なんだから、ほかには何も無い。だから菅さんを「排除する」ということはできない。排除しようとすればするほど、「菅!菅!菅!」と言えば言うほど、菅さんにエネルギーが集まる。
わたしたちの本来の姿(一元的)から離れると力が弱まる。分裂すると力が弱まるのはそのためです。離れ離れになると、さみしいでしょ。みんなが一緒で、心までちゃんと一緒になると、パワーが出てくる。なぜなら、それがわたしたちの本来の姿だからです。こういうことは“スピリチュアル本”に書いてあって、最初は理解できなかったけど、やっぱりこれは本当だと思います。もちろん、違う派動の人どうしは、そのうち自然に離れていくのだけど。

最期に“変な”ビデオのリンクを貼り付けます。
Abraham-Hicks(エイブラハム-ヒックス) “How Source Sees Natural Disasters”(“源”から見た自然災害)
http://www.youtube.com/user/AbrahamHicks#p/u/9/aupLxCokSZI

エイブラハムとは、ここで喋っているエスター・ヒックスという女性を通じて考えを送ってくる“集合意識”です。いいんですよ、見たくない人は見ないで。最後のエイブラハムの“You’ve just got to get over this death thing.” 「あなたたちは死というものを乗り越えなくちゃね。」というのが傑作です。わたしは一応、乗り越えた・・・と思います。何年も前にブライアン・ワイスの『前世療法』(『日本のタブー』で足助友子さんが挙げていた)を読み、ほかにもその手の本をいろいろ読んで、「死は終わりではない」ということを受け入れたら、恐怖心がとても減りました。わたしはこうして副島先生の本とスピリチュアル本を行ったり来たりしています。
こんな話ですが、女の言うことですから許してください。