[1916]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2016/04/30 07:46

柿本人麿の悲劇(その10)
 
 〔1886〕人麿の悲劇(その7)で「吉備の津の采女(うねめ)の死(みまか)りし時、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌」巻第二〔217~219〕は、人麿が亡き妻に奉げたレクイエム(鎮魂歌)であることを論じた。
 妻を見殺しにした人麿は、懺悔、慰霊の旅を続けなければならなかった。「吉備津の采女」に対する鎮魂は、己の妻に対する鎮魂と響きあっている。

 この歌の次に配置されているのが「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌」220~222である。

    讃岐の狭岑島に、石の中に死(みまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌

 玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き
 天地 日月とともに 満(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 継ぎて来る
 中の水門(みなと)ゆ 船浮けて わが漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに
 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく 
 鯨魚(いさな)取り 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶引き折りて 
 をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面(ありそも)に 庵てみれば
 波の音(と)の 繁き浜べを 敷たへの 枕になして 荒床に 自伏(ころふ)す君が 家知らば 行きても告げむ
 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おぼぼしく 待ち恋ふらむ 愛(は)しき妻らは

 《訳》
 (玉藻よし)讃岐の国は、国柄が良い故か、見ても見飽きることが無い。それとも神柄がとても貴いのか、天地日月とともに永久に満ち栄えて行くだろう神の御面として受け継いできた。
 中の港から我らが出港し漕いで来ると、季節風が大空に吹き、沖には大きなうねりが立ち、浜辺には白波が騒ぎ押し寄せている。
 (鯨魚〈いさな〉取り)海が恐ろしいので、櫂を全力で漕ぎ、あちらこちらに島々は沢山あるが、良い名である狭岑の島に泊まり、仮庵を作りあたりを見回すと、波の音の頻りにする浜辺を枕として、荒床に倒れ伏しているあなた。
 あなたの家が分るなら、行って知らせましょう。妻が知ったなら、やって来てあれこれ夫を発見した時のことなどを問うだろうに。
 あなたの死を知らせる道すら知らない。不安な思いで待ち恋い慕っているだろう、あなたの愛しい妻は。

 この歌の命は、後半にある。
「荒床に 自伏(ころふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは」
 人麿は、実に心優しい。海岸に打ち伏している屍に人麿の心は共振を起こしている。「あなたの家路が分ったら、飛んで行って、あなたの奥さんに教えてあげましょう」と。
 必死に捜索したが、ついに発見できなかった妻、その妻への鎮魂と、狭岑の島の海岸に一人伏している屍への思いが重なり合い共鳴しているのを歌い上げている。
 人麿は、妻への鎮魂の旅をいまだに続けていたのである。