[1912]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2016/04/22 11:58

柿本人麿の悲劇(その9)

  《柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌》〔207~216を検討してきた。そこで明らかになったことは、

 1、三首の長歌の長歌の後半は、三首とも必死になって妻を捜し求めている様を謳っている。
 〈大鳥の羽易の山に 汝が恋ふる 妻は居ますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し 好けくもぞ無き うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば〉〔213〕

 「うつそみと」…生きていると  「思ひし妹が」・・・信じていた妻が  「灰にてませば」…灰なのだもの

 三首とも、人麿が必死になって捜索していたことを歌っているのです。〔207〕の歌では、人麿の妻が苦境にあったことを歌っています。人麿は、世間の目、評判が恐ろしくて妻の元へ通うことが出来ないと歌っている。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、とのんきに構えていた。既に二人の間には子供が誕生していたのにです。

 人麻呂の妻は、遂に堪え切れずに覚悟の失踪を遂げた、と私は読み解いた。

 「世の中を 背きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白妙の 天領巾(あまひれ)隠れ 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば」〔210〕

 人麿の妻は、お里でひっそりと暮らすことすら世間の批判の的になり、厳しい視線の中にあったのだ。まるで村八分のような。そんな妻の苦境を人麿は十分承知していた。しかし、世間が怖いと救いの手を差し伸べることが出来なかった。時間が経てばほとぼりも覚め、また逢えるようになるさ、と。
 そんな中、妻は死に装束に身を正し、覚悟の失踪を遂げたのである。

 私の目にした全ての解説書は「世の中を 背きし得ねば」を「人間が死ぬと云うのは逃れようのない世の摂理」と訳している。題詞の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」を無批判に受け入れ、人麿の妻は死んでしまっているのだ、と決め付けて解釈しているのだ。
 
 死んでしまっているのなら、どうして人麿は必死になって捜索する必要があると言うのだ。
 人麿は、妻を見殺しにしたのである。妻殺しの原罪を負って出発した詩人が柿本人麿である。