[1907]介護の現場から
私の仕事は介護福祉士です。以前、老人施設で利用者(業界では、介護サ―ビスを受ける人を、利用者と言います)3人を、介護士がベランダから落として殺したという事件がありました。私の勤務する施設で、この事件にちなみ、老人虐待についてのアンケ―トを書けと言われ、私はそれに、以下のように書きました。「何もしていないおとなしい老人を面白半分に虐待するなどという事は、まず、無いのではと私は思う。現実の認知症の老人は弱者などではなく、暴れる狂人で、それに対して、ついカツとなってやり返してしまった、というのが、老人虐待の実態だと思う。虐待映像など、一部だけをシヨツキングに報じるのは、認知症老人や、介護への無理解を助長するものでしかないと思う。」また、こうも書きました「意識もなく、体だけが生きている、放っておけば自然死する老人に、経管栄養を流して(食べられなくなった人に、胃ろうと言って胃に穴を開け、そこから、これを流します)他人の手で無理矢理生かす事自体が虐待だ」。前述の事件について、テレビで、介護の現場は本当に大変で、老人の方が暴力を振るったり、暴言を吐いたりすることもある、それに対して介護士がイライラすることもあるでしょう、でも、プロだったら、そのイライラをコントロ―ルできなければならない、と言っていたコメンテ―タ―がいたが、こんな意見は大嘘です。いかにプロだろうが、女神のように優しい人だろうが、認知症老人にイライラしない人などいません。美智子皇后だって、こんな人のオムツ交換を毎日していたら、ぶん殴りたくなってくるだろうと断言します。現場のプロが、「暴れる狂人」に我慢しているのは、犯罪者になりたくないのと、仕事を失くしたくないからです。老人介護の問題について、国がすべき根本の事は、介護の充実でも、介護士の教育でもなく、安楽死を認める事です。認知症老人とは、生きているだけで他人の迷惑でしかない存在だ、という現実を直視せずに、私ら現場の人間を悪者扱いするな、です。作家の、故山田風太郎氏が、以前、65才になったら、希望者を募り、国立往生院とでも呼ぶべき施設に入り、安楽死させてもらったらどうか、と書いたら、大賛成の投書が殺到した、それが65才以上の老婦人ばかりだった、と書いていました。私の職場にも、安楽死ル――ムなどを設けるべきだと、私は本気で考えています。職場の同じ立場の連中も、影では、こうした意見に賛成しても、表向きは無難な事しか言いませんが。