[1896]私の最新刊の 『日本が中国の属国にさせられる日』 のことを書きます。

副島隆彦 投稿日:2016/03/29 14:34

副島隆彦です。 続けて、あと一本書きます。

 私の新刊本が26日発売で、今書店に並んでいます。 政治の本だからあまり売れないだろうと、出版社が判断して、たいして発売部数がありませんから、大手の書店でしか手に入らないと思います。  

 書名は、『日本が中国の 属国にさせられる日』(ベストセラーズ 刊)です。こんな書名にしたから、あまり売れないかなあ、と自分では心配しています。

 アルルくんが、昨日、「今日のぼやき」の方に、さっさと、この本の紹介の宣伝の批評をしてくれました。皆さん読んでください。私よりも 20歳若いアルル君から見たら、私の今度の本は、このように 見えるのか、と私なりに感慨深いです。「やがて中国の属国になるんだよ」と言われて、気分がいい日本人はいないだろうから、あまり良い書名ではなかったかな、と 何度も思います。

「そんなはずはない。中国はもうすぐ崩壊する(共産主義体制だから崩れ落ちる)」と今でも堅く信じて疑わない人も 多い。 それでも、実際には、そんな気配はない。今も強大になりつつある。 中国崩壊論を書き続けている人たちは、内心、肝が冷えているのではないか。 

「 副島隆彦の中国認識は、根本から間違っている」と、私に対して、上から目線で、余裕をもって笑っている人も、この本を読めるように工夫して書いた。

 私自身は、こういう本を今のうちに書いて出しておかなければいけないと、思って急いで書いた。

 この本の帯(おび)には、「共産主義(きょうさんしゅぎ)の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と 書いてあります。 この本は、共産主義国である中国の日本支配が起きるだろう、という本ですが、私が書いているうちに、

「共産主義という政治思想が、生まれて130年ぐらいだ。 そして、ちょうど100年前のロシア革命(1917年)から、いったい、人類は、どういう悲惨なことをたくさん作りだして、残虐な何百万人もの 政治犯の 大量虐殺を起こして、ここまでやってきた」ということの、私なりの究明、探求の本になった。

 私が、この本を書こうと思った動因のひとつは、私たちの研究員である、藤森かよこさんが、私の講演しているときの、演台のすぐ下の、客席から、質問者として質問したことだ。それは、「副島先生は、中国が日本に攻めてくることに対して、どう考えますか」というものだった。

 私は、面食らって、「あなたのような(高学歴の女性で、見識のある)人でも、そのような心配をするのですか」と、答えた。それは去年の9月の講演会でのことだった。

 藤森さんは、アメリカ文学研究が専門で、女性学(じょせいがく)もなさっていて、そして、何よりもアイン・ランド(Ayn Rand )女史という傑出した、アメリカの政治思想の、リバータリアン思想の生みの親のひとりである文学者の日本における研究者の草分け(先駆者)である。 

 その 藤森さんに、私は、「あなたでも中国が怖(こわ)いのですか」と壇上から問いかけたら、「怖いです」と返ってきた。 だから、私は、この本を書いた。

 読んでみてください。 ただしこの本は、これまで副島隆彦の本も読ます、じっくりと物事を考えたことのない、普通の知能をしている程度の人では、どうせ理解できません。

 このように断っておきます。 本物の読書人(どくしょじん)であり、深く自分の頭で思考できる人しか、受け付けないでしょう。 だから対して、読書体験のない、20台の若者では無理だろう。若者は、自分が生きることで精いっぱいだ。40代、50代の人でも、サラリーマンをやっていたら、仕事が忙し過ぎて、本なんか買って読んでいられない。

 それでも、私、副島隆彦の本に出合って、何か大きなこの世の真実とか、隠されている真実とかに気づいて、自分の人生の意義を見つけた人たちには、分かってもらえる本です。私自身が、自己評価で見ても奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な本です。これまでのような、食い付きの良さはこの本にはありません。 私は、ついに読者(読み手)に迎合(げいごう)することをやめました。

 「共産主義の何が悪(あく)で、どこがどう間違っていたのか」と書くと、これは、世にいわゆる、反共(はんきょう)本、ということになります。そんな 時代遅れの、反共右翼や公安警察の手先(全貌社 )が書くような本を誰が読むか、と 吐き捨てられそうな本でしょう。  だが、アルル君は、そこのところのむずかしさを、的確に見破ってくれました。ありがとう。

 私は、安倍晋三首相 という明らかに、反共産主義=反共(はんきょう)で、頭のてっぺんから体の芯(しん)まで反共主義者である人物に体現される人が首相である間に、この本を書いておこうと思った。

 そして、「安倍ちゃん。頑張ってくれよ。あの態度の悪い チャンコロ、チョーセン人、ついでもロスケ(ロシア人への蔑称)を ちょっと痛めつけてくれよ」 と 安倍晋三を強く支持している 人々に向けて、彼らに読んでもらえるように、と思って、この本を書いた。

 私なりに、彼らの懐(ふところ)の中に、飛び込んで、彼らと対話をできるようにと、彼らの世界(土俵)に入り込んでゆく積(つも)りで、書いた。

安倍晋三が、国会答弁で、急に、「おい、日教組(にっきょうそ の アカ 野郎)。早く質問しろよ」と、首相らしからぬ忍耐の無さで、旧社会党系の 民主党の議員に、歯をむき出してケンカを売るごとく、言ったときのあの態度に、反共主義の堅い信念を見た。 自分が反共(はんきょう)主義者(=勝共(しょうきょう)主義者。共産主義に勝つ主義) であることに、強い誇りを持っていることがよく分かる。 だから、安倍晋三に向かって、私は、それでは、「安倍さん。あなたは、その反共主義の信念のほかに、何を持っているのか」と聞きたい、と思ってる。

 こういう私の問題意識を、副島隆彦の本読みの皆さんに、何とか分かって貰(もら)いたい。みんな自分のことで忙しくて、大変でしょうが、またしても、副島隆彦に脳天を叩かれた、という気になりたい人は、どうぞ読んでみてください。

 それから、この本を書こうと思ったのは、「いまのうちに書いておかなければ、時代に遅れてしまう。先へ先へと、世の中の流れを、ほかの人たちよりも、先へ読んでゆく予言者型(がた)言論人としての、自分の能力の欠如になる」 と考えたからです。

 どうせ、中国がアメリカに勝つ。それには、あと5年もかからない。アメリカの国力の衰退と、帝国(世界覇権国、ヘジョモニック・ステイト)としての世界管理能力が、どんどん減退している。それなのに、「アメリカは強い。アメリカはいつまでも永遠に、世界一だ。アメリカにしっかりしがみ付いてゆくのが日本の道だ」と考えている愚か者たちが、内心でボロボロになって、崩れ果てて、それで、どうするか、というと、ペロリを舌を出して、恥知らずに態度を変えて「アメリカはもうもたないと僕も思っていたよ」と言い出す前に。  私は、書いておかなければいけないのだ。

 私が、この本で書き忘れたことは、次のことだ。 「中国は、今は、まだアメリカよりも、弱い国だ。 金融・経済力でも、軍事力でもアメリカよりも弱い。だから正義がある。中国はチャレンジャー(挑戦者)だから、下から這い上がって来るものの、泥だらけの穢(きたな)さがあるから、だから正しいのだ。 それに対して、今の支配者であるアメリカは、尊大に構えて、まわりを見下(みくだ)して威張っている。だからアメリアは悪(あく)なのだ」 と、 考えていい。

 ところが、である。その今は正義である中国が、本当に、アメリカを追い抜いて、GDP(経済力)でも軍事力でもアメリカと拮抗(きっこう)するようになり、そして、アメリカの金融市場が崩れて、自壊を始めたときに、中国との関係で、逆転が起きる。

 その時である。中国は、じっと耐えてアメリカの衰退を、狙ってきた。そして、アメリカが自分のせいで内部からガラガラと崩れる時に、中国が、日本に対して、どういう態度を取るか、である。

 そのとき中国は甘い態度を、日本に対して取らないだろう。よくも、これまで、さんざん敵対してくれたな、という横柄な態度になるだろう。 今から2000年前の、漢(かん)の帝国に、日本(倭国、わこく)が朝貢(ちょうこう)していた頃と、同じような感じになるだろう。日本は、中国の歴代王朝(歴代の中華帝国)の、朝貢国=周辺属国のひとつ、だったのである。この大きな世界史規模での、歴史の事実を無視して、なにごとか、虚勢(きょせい)を張ってみても、つまらない話だ。 真に知識と教養のある者は、歴史に学ぶ。

 だから、中国が世界一の国になったら、中国は権力者だから、悪(あく)になる。それが冷酷な政治学からの目だ。悪(あく)になった中国が、日本にどういう仕返し、報復をしてくるか、を、今のうちから、考えておくことが必要だ。そのときに震えあがっても遅い。 このように考えて、副島隆彦は、この本を書いたのだ。  中国が本当に世界で一番強い国(次の世界覇権国)になったとき、日本は、どうするのだ。 

 このことを いまのうちから、先へ先へと、予言者の知識人として、考えて書いておかないといけない、と 私は思って、この本を書いた。 

 だから、安倍晋三以下の、日本の反共(はんきょう)思想の燃えるような堅い信念の人々に、このことの備えをそろそろ始めるように、と促(うなが)そうと思ってこの本を書いた。

読んだら、頭が腸捻転(ちょうねんてん)を起こすような奇妙な感じになるでしょう。 読んでみてください。

副島隆彦 記