[1892]Re:私も津谷論文に疑問を感じる

六城雅敦 投稿日:2016/03/28 20:54

六城雅敦(ろくじょう つねあつ)です。本日は3月28日です。

[1888]に清野眞一氏の『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』の丁寧な感想を拝読いたしました。清野さまには著者の一人として厚くお礼申し上げます。

私は昨年の定期講演会の前座として「蕃書調所と近代思想」という題で話させていただきました。
・「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」(SNSI論文集 2005/1 祥伝社)
・「時代を見通す力」(副島隆彦 2008/7 PHP)
・「隠されたヨーロッパの血の歴史」(副島隆彦 2012/10 ベストセラーズ)

この3冊が日本での表面的な思想史に一石を投じた著作物であると紹介いたしました。それにつづく「フリーメイソン=ユニテリアン・・・」は日本人には理解しがたい当時の<過激な西洋思想>の紹介を試みたものです。

私の章は明治エリートの代表格であり、軍医総監であった森林太郎(鴎外)が、脚気対策の誤りが全1/3に及ぶ兵士を消耗したことを微塵にも恥じず、死の間際まで爵位を心待ちにしていたということを知りまして、その背景を掘り下げるつもりでしたが、そこから明治のエリート・知識人のメンタリティへと話が逸れてしまったのです。
(参考文献:「森鴎外は何故袴をはいて死んだのか」志田信男著)

大作家である吉村昭も「白い航跡」で尊敬する鴎外をどうしても悪人として登場させざろうえなかったのか自問していると後のエッセーで読みました。

田中進次郎氏と私も奇しくも西周(にしあまね)が実は重要なキーマンであるという結論に達しました。それまでは明治維新の脇役程度にしか認識していなかった幕末明治のインテリたちが、巨大な壁として現れ始めたのです。

横井小楠を初めとするその系譜の人々(勝海舟ら開国派)そして幕府内の蕃書調所という特殊機関の存在・・・
余談ですが私は小楠が日本で最初のPhirosopherだと思っています。

蕃書調所は元は幕府天文台が起源でして、場所は浅草の南側にあたります。
天文台といいましても暦つくりを名目として語学だけに及ばず、数学者・物理学者の天才達が全国から集められた西洋思想の研究施設です。縁があるのか、その近くに私は居住しております。(ぽつんと交差点に教育委員会が建てた碑が建っています)

新たな思想の導入というものはこれほど激しく、私をはじめ頭の弱い者には厳しい時代だったのだと感じています。

NHK「歴史ヒストリア」という番組で津田梅子を紹介していました。番組中では創立時の津田塾では津田梅子は相当厳しく怖い教師だったそうで、嫁入り前の習い事程度の気持ちで入学した女学生では多くが退学したといいます。

幕末の状況と現代はとても似ていると定例講演会では締めくくらせていただきました。

・財政悪化と重税による景気悪化 ←天保の改革
・公共事業による景気浮揚 ←印旛沼開拓
・外国からの干渉/グローバリズム
・覇権国移動の過渡期 ←英国から米国へ
・宗教宗派・思想の対立、過激思想の蔓延
・リーダー不在
・産業革命・大量生産 ←絹綿製品の大量輸入危機
→大きな意識改革は20年以内に確実に来る!

そこで台頭するのは新たなインテリ達であることは疑いようがありません。

学問道場は15年近く経過し、当時の若者は中年、中年は黄昏(たそがれ)つつあります。
これが還暦をすぎた副島先生の実感ですし、残念ながら創設時に若かった私も若くはないという自覚だけが空回りしております。

福沢諭吉は物理学者であったというこのことがあまり知られていません。
幕末から明治にかけた神学論として入った思想、そして切っても切れない関係でである<思想と数学>は次回講演会でひょっとしたらお話がでるかもしれません。(私の勝手な期待と予想です)

六城雅敦拝