[1890]いち日本庶民の心願
近頃、世界経済の中心地が西側から東洋に移ってきていることを感じて心に浮かんだ個人的願望です。
アメリカ合衆国の勃興期は、1800年代末から1900年代初期と思われます。
1776年7月4日に独立戦争を終えてアメリカは建国されましたが、政治的にも経済的にもずっとヨーロッパ各国の衛星国扱いであったことは客観的に諸事を鑑みれば誰でも分かることです。
そんな状態の中で、ヨーロッパ系資本に頼らずアメリカ国内の資本で独立的に経済を運営すべく活動したのが、丁度1800年代末?1900年代初期に活躍したジョン・D・ロックフェラー、アンドリュー・カーネギー、ジョン・ピアポント・モルガン等の民族資本派の財界人たちであります。
中でもロックフェラーのヨーロッパ系資本に対する敵愾心は顕著であり、欧州ロスチャイルド系金融機関およびその顧客たる企業群に対する無慈悲かつ徹底的な攻撃的措置は冷酷を極め、繁栄させるべき対象の筈のアメリカ国民たちからも悪魔と蔑まれたと言います。
無論、「すべてのアメリカ国民に平等の光を。(庶民たちにもリーズナブルな価格で石油ランプを提供する意)」や「神から金儲けの才を賜ったからには、出来るだけ多く稼ぎそれを仲間たちのために配る。それが私の義務なのだ。」の言葉通りの経済的貢献とフィアンソロフィスト=慈善活動家としての貢献は、アメリカ合衆国の繁栄に多いに役立ったことであり、そのこと自体は認めざるを得ないことです。
世の中の善悪の尺度は、その時代を生きている人間たちの倫理観で決まると思われます。
約100年前に勃興したアメリカ合衆国が衰退の一途を辿り、アジアの国々が勃興しているこんにち、かつてのロックフェラーやカーネギーのような人々がアジア各国から出現するのだと思いますが、アジアの経済界の英雄たちの倫理が、(西側の英雄たちがキリスト教各宗派により倫理を守ったように)儒教や仏教や神道等により守られることを願います。
私ごとき庶民は、そう心願する以外には然したる社会的貢献も出来ずにただ生きて逝くだけしかないというのも、虚しいものです。
加地龍太 拝