[1880]ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこう

清野 眞一 投稿日:2016/03/15 14:05

[1878][1879]と2本立て続けに「学問道場」の主宰者である副島先生が、実に貴重な投稿をしている。

 ここに結集している早期入会の会員として、私は先生に連帯の意見を述べてゆきたい。

 副島先生は、端的に、「学問道場」の会員に期待するものは何かを、以下のように率直に書き記している。

「私、副島隆彦の現地からのコトバに、耳を傾けることをせずに、それまでの、私の本や文章への信頼を、一気に失って、『もう私はこの人の言うことを信じない。学問道場をやめる』として居なくなった。そういう人が1000人も出た。

 私は、このことを今も深く無念に思っている。慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない。せめて、『もしかしたら、副島隆彦の言うことが正しいのではないか』と、自分の判断をためらい、保留する、ということをしてくれたら、どんなに有り難いかったか。

 普通とは違うことを言う、この人の意見に耳を傾けてみよう、という態度こそは、本当に優れた人間が取る行動だ。今も会員でいる人たちには、その人間としての余裕がある。この一点が、人間として素晴らしいことなのだ。

 私は、困った時、悩んでいるときに、そういう『ひとまず判断を保留して、戸惑いながらも、もう一度、自分の頭を整理して、考え直してみる』という、生き方の態度を身に着けられる人を尊敬している。そういう人間を育てることを、この学問道場の教育方針の一番大事なところに置いている。

『いや、待てよ』と、世の中の大半の人が、たいして考えもしないで、即座に行ってしまう方向に行かないで、『いや、そうではないのではないか。この人の言っていることは、筋が通っている。真剣に訴えている』と、じっとその場で、立ち止まって、ひとりで考えることだ。それが真に賢明な人間のすることだ。

 そういう人間たちを育てるために、私は、この学問道場を16年間やってきた」

 会員に求められる資質はこれである。

 道場を退会した者たちは、まず自らの信念とは何かについて真剣に考えなければならない。そして考えを深めていく過程において、己のとんでもない浅薄さと軽信とを本当に恥じる必要がある。そうしてこそ今後の人生がある。

 学問道場の会員の論文集に『悪魔の用語辞典』シリーズがある。この名前の元になったのは、ご存じピアスの『悪魔の辞典』である。

 その中の信仰(Faith)の項目には、「類例のない物事について、知りもしないくせに語る者の言うことを、証拠がないにもかかわらず正しいと信ずること」とある。

 放射能の危険については、すぐれた古典がある。講談社のブルーバックス『人は放射能になぜ弱いか』がそれだ。この本の初版は約30年前なので、ポット出の本ではない。まずはこの本を読んでみようではないか。

 この本は、初版が1985年11月、改訂新版が1991年2月、第三版が1998年8月が出版されている。

 そして福1事故後の第三版第六刷(2011.3)にあたっては、「東日本大震災による原発事故にともなう放射線被ばくリスクに国内が大揺れしています。今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません。本書はその科学的根本をしたためています」とある。

 この本の第三版は、放射能リスクのしきい値を認め「放射線を少しあびた場合、被ばくによる傷が身体から完全に排除される。この素晴らしい防衛機構に関する最新の研究を紹介する」ために、改訂新版の発行からわずか7年後に出版されたのである。

 だからまず「専門家」とは、実際には何の専門家なのかを真剣に問わなければならないのだ。だからここはまず副島先生の見解に学ぶべきなのである。

 そして会員の論文集『放射能のタブー』に真剣に取り組む必要がある。それでこそフリー・シンカーである。

 よく言われる事ではあるが、信念とは一度でも疑った事がないもの言うのではなく、何度疑ったとしても、必ず自分がそこに帰って行く立場を言うのである。

「学問道場」の会員たる者、今後とも世の全てを疑い尽くして行こうではないか。

 さて最初の投稿である「聖徳太子=タルドゥ説」は、衝撃的だ。私も谷沢榮一氏の『聖徳太子はいなかった』本を書評して、大山一派と谷沢氏の過去を暴いたことがある。

 私は更に自分の聖徳太子論を極めたいと考えて、文明史論家新井信介氏の種本と睨んだ小林惠子氏の総ページ478の『興亡古代史 東アジアの覇権争奪1000年』を読んでみた。そして小林氏のその気宇壮大さと荒唐無稽ぶりとに驚かされた。

 しかし私は今迄岡田英弘先生の流れで研究してきたのでその節に非常に困惑したが、小林氏も既に20余冊の著述がある事も知っていたから、単なる飛んでも本と安易に決めつける事なく、その著作をほとんど買い求めて、現在研究を進めているところである。

 副島先生が小林惠子氏の本を読んで新たな視野を切り開きつつある事で、私の研究にも先生から新たな指針が出来るかと考えて、大いに喜んでいるところである。

 会員の皆様、ともにフリー・シンカーたるべく、日々研鑽してゆこうではありませんか。