[1865]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2016/02/22 16:41

柿本人麿の悲劇(その3)〔1861〕の続きです

 かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏(かしこ)き(高市皇子に奉げた挽歌より)

 大君は 神にしませば 天雲の 雷(いかづち)の上に 庵(いほ)らせるかも

 上記の表現は、全て柿本人麿によって始められている。「天皇(すめらみこと)のことは、心で思う事も畏れ多く禁ずべきで、まして口に出して云う事などもってのほかである。何故なら、天皇は神であらせられるのだから。」と。
 「天皇は、神であるから、つべこべ言わず、ただ崇め奉れ」と云う事である。人麿こそは、天皇の現人神(あらひとがみ)信仰の創造主であった。
 天武の王朝の最大課題は、「壬申の乱」で大和王朝を簒奪した倭国の大皇弟(天武天皇)に正統性を付与する事であった。日本国の最初の正史『日本書紀』に、天武は天智天皇の同母に弟と挿入することで、正統性を獲得したが、当時の人々はそれがインチキと誰でも知っていたのです。もう一工夫する必要があった。それが、天皇を神そのものにすることであった。神であるから、一切の批判は許されない、と。これは人麿の独創であす。
 
 人麿は、間違いなく日本史上の最重要人物の一人です。しかし、彼の素性、正体は全く分かっていない。私は、以前から人麿の正体を知りたく先人の書を読んできましたが、いずれの論にも納得することが出来なかった。それなら自分で解明してみようと思い立ったのです。この論を進めていく中で、人麿の正体が浮かび上がり、読者を説得することが出来ればそれ以上の満足はありません。

 前回は『万葉集』第二巻〔210〕の歌を検討しました。題詞と歌の内容が異なっているのです。通説は、題詞「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌二首」に囚われ、人麿の妻は死んでしまっていると決め付けている。その為、「世の中を 背きし得ねば」を「死ぬと云う事は世の摂理、人はそれに背くことが出来ないので」と解釈し、人の魂は死んだ後、山に行くのだと、山岳信仰のように考え、人麿は妻の魂に会いに行ったかのように訳している。。
 しかし、歌の内容は、人麿が必死で妻を捜し求めている。実際に山に分け入り岩を踏み砕き難渋して妻の姿を求めているのです。人麿は、妻の死を簡単に受け入れることが出来なかった。
 
 岩根さくみて さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が ほのかにだにも 見えぬ思へば

 題詞には「二首」と有りますが、実は「或る本の歌に曰く」としてもう一首の歌が並んでいます。〔210〕の歌と内容はほとんど同じですが、最後だけ劇的に異なっています。

 大鳥の 羽易(はがひ)の山に 汝(な)が恋ふる 妹は居ますと 人のいへば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば 

 〔訳〕大鳥の羽易の山で あなたが恋い慕っている奥さんを見かけた、と人が云うので、岩根さくみて 難儀して捜しに行った。良い事なんか何にもなかった。生きていると信じている妻を、この灰があなたの奥さんのなれの果てだというのだもの。

 人麿は、妻の死を簡単に受け入れることが出来なかったのです。妻は何か得体のしれない異様な事件に巻き込まれ、夫である人麿が世間の目が恐ろしくて逢いに行くことが出来なくなっていた。ほとぼりが覚めたらまた逢えるようになるさ、とのんきに構えていたところに、突然妻の里から使者が来て「もみち葉の 過ぎて去(い)にき」と告げられた。あまりのことで頭の中が真っ白になり、人麿はどうして良いのか分からなかった。それでも若しかしてと微かな希望を抱き妻のお気に入りの場所であった軽の市に捜しに行った、と云うのが〔207〕の歌の内容でした。

 題詞は、必ずしも本当の事を書いていない。人麿の正体を隠すために擬装されている。人麿は、妻の窮状を知っていた。しかし手を差し伸べて救ってやらずにいた。世間が怖いと妻を見放していた。人麿は妻を見殺しにしたのです。長い間人麿は苦しまなければならなかった。懺悔と鎮魂の旅を続けねばならなかった。