[1850]私の「 信長・爆殺、家康・すり替わり」本への感想文 と 追加の真実。

副島隆彦 投稿日:2016/01/17 11:02

副島隆彦です。  私が書いて、年末に出しました、『 信長(のぶなが)はイエズズ会に爆殺(ばくさつ)され、家康(いえやす)は摩(す)り替えられた』
(PHP 刊) への 書評文を いただいておりました。書いてくださったのは、私の本を何冊も作って下さった、定年退職した 名うての編集者です。

 そのあとに、この本を出した後に、私が知った、この本の 第11章、12章の「 洋式大砲 (カノン砲)が勝負を決めた関ヶ原(西暦1600年)の戦い 」への 新事実の指摘のご教示のメールです。 

 歴史もの の 本を読むことに興味がある人は、どうぞ私の「信長、家康の 本当の 歴史の真実」本を読んでください。 きっと、私の主著である『属国・日本論』の 続編になるようなすごい内容だと、分かって下さるでしょう。

(転載貼り付け始め)  

****さまへ

2016年1月15日

副島隆彦から

メールをありがとうございます。
 **さんが、こうして私の本を丁寧に読んでくださって、毎回、感想文を書いてくださることに、本当に感謝申し上げます。  (略)

 **さんが、書評文で、拙本をこのように褒めてくださって 大変、うれしく思います。 私のこの「信長、家康の 真実」本は、私なりに苦労して時間をかけて書き上げた本です。  (略)  
 丁寧な 拙本への読後感想を本当にありがとうございます。
  
副島隆彦拝

From: ****
Sent: Monday, January 11, 2016 6:03 PM
To: 副島 隆彦様
Subject: 最新刊の読後感をお送りいたします。

副島 隆彦 様

 新春を迎え、なにかとお忙しくお過ごしのことと存じます。
 旧臘には『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』という
意欲作をお送りいただきありがとうございました。
 この御作を思った以上に読むのに手間取り、感想をお送りするのが遅くなり、申し訳ない。

 この本は、内容が込み入っており、どの説もがスリリングなものばかりですので、理解するのに苦慮いたしました。

 本書に展開された戦国史の三大謎(なぞ)の真相を知り、私はただただ衝撃を受けています。「家康の願人坊主(がんじんぼうず)説」だけは、かつて宇野正美(うのまさみ)氏の講演会で聴いたことがあり、今度の先生の著書でいっそう理解を深めました。

 しかし、さらに大胆な説である「信長はイエズス会に爆殺された」は副島先生以外では想像もつかない歴史の真実の暴きだと思いました。
  
 私も、ザビエルの来朝(1549年)以来の、イエズス会の日本侵略の軌跡には、興味を持っていました。しかし、本能寺の変で彼らイエズス会宣教師が
これほど深く、信長暗殺にかかわっていたとは想像もつきませんでした。

 本書の25ページにある、イエズス会の本拠となる南蛮寺が、本能寺から
これほど直近に建てられていたとは、脅威でした。このことは八切止夫(やぎりとめお)氏が、初めてつきとめたことなのでしょうか。

 イエズス会の宣教師たちや密偵が、本能寺にあらかじめ強力な火薬を仕掛けておき、爆殺する手口はいかにもありうることです。まさに「9・11事件」を彷彿させます。

 信長にオルガンティーノという会士が、地球儀を贈ったことが、バテレンの日本征服計画の最大の失敗だったという説はおおいに説得力がありました。

 私は1994年に、『 ユダヤの日本侵略450年の秘密 』(太田龍 著)という本を、日本文芸社から刊行させていただきました。テーマはザビエルの日本来朝以来の「イエズス会による日本征服計画」を 暴露したものです。しかし、太田さんでもさすがに、本能寺の信長殺しが彼らの仕業だったとまでは見抜けませんでした。なお、太田さんも八切止夫を高く評価していました。

(副島隆彦注記。イエズス会の創立者たちは、イグナチオ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルほか、スペインの北部のバスク地方の者たちが多い。バスク人は、独特の血筋を持つ人々であり、今も多くの謎に包まれています。副島隆彦注記終わり)

 もう一つ、圧倒的に凄まじい真実は、ウイリアム・アダムズ(のちの三浦按針)が乗っていた、オランダ東インド会社のリーフデ号が、1600年の3月に、今の大分の豊後(ぶんご)水道に漂着し、そのとき船に積まれていた大砲・弾薬を、大阪城でアダムズらに謁見した、家康が手に入れ、その半年後に、関ヶ原の合戦に、実際に使用したという副島先生の説です。

 これでようやく関ヶ原の合戦の全体の謎が解けました。これまで、すべての学者や作家がわからず逃げてきた真実の暴きに、副島先生御一人が近づけたのではないでしょうか。

 しかも、関ヶ原一帯を隈なく歩かれ、取材されたあげくの成果だと思います。
私も今まで、松尾山(まつおやま)に布陣した小早川秀秋(こばやかわひであき)が、なぜ、家康軍の鉄砲の恫喝だけで、裏切りを覚悟したのか、ピンときませんでした。

 今度、その理由が、舶来製の最新大砲を使用したことで、小早川秀秋の軍が大音声と洋式大砲の威力に驚き、西軍を裏切り、松尾山を駆け下り、麓(ふもと)の大谷吉継(おおたによしつぐ)の隊に雪崩れ込んだ。その光景がまざまざと見えるように理解できました。

 それと、本書に実にわかりやすく描かれた布陣図により、実際の東西勢力の動きが手に取るようにわかりました(ただし、宇喜多秀家(うきたひでいえ) 軍の名前が地図から落ちているのが残念です)。 関ヶ原の合戦とは東西の勢力が、最後までどちらに味方するか、ぎりぎりまでわからずに行なわれた戦(いくさ)だということがよくわかりました。

 ”家康四天王”のひとりの本田忠勝(ほんだただかつ)の軍の中にこの洋式大砲が、密かに隠してあった。 ウイリアム・アダムズのリーフデ号に積んであった 最新式の大砲を現地まで運んで、用いた攻撃で、関ヶ原の勝敗の 決め手となったことが、この図でよーくわかりました。 

 わずか、これだけのページ数で、関ヶ原の合戦の各隊の動きが細大漏らさずに
理解できたのは さすがです。 いままで読んだ「関ヶ原合戦」のどの書よりも傑出していました。

 司馬遼太郎の『関ヶ原』などは、ただ長いだけで、歴史の真相にまったく触れていませんでした。おそらく、今回の先生の説が正解ではないかと、改めて賛同いたします。

 今回の優れた著作を拝読し、かつて私が編集長を務めていました「歴史Eye」という月刊誌がまだ存続していたら、真っ先に「本能寺・信長殺しの真相」という特集を組み、巻頭に副島先生の「信長はイエズス会に爆殺された」 という説を掲載したかったと、残念に思いました。

長くなりましたが、取り急ぎ、感想に変えさせていただきます。
本書が話題になることを、心から祈念いたします。   ****

気鋭の物理学者の
下條竜夫 (げじょうたつお)くんへ

2016年1月13日

副島隆彦から

 早速の返事メールをありがとうございます。

 この22日に、皆で、 君の新刊本「物理学者が解き明かす重大事件の真相」(ビジネス社刊、この9日に発売) の出版のお祝いを・・・・(略)

 以下の ジャイルズ・ミルトン著 「さむらいウイリアム(・アダムズ)」 本の 指摘をどうもありがとう。 私は、この本のことをつい数日前に知って、以下のように、アマゾンの書評を 自分用に貼り 付け保存していました。 

  この中のひとりの書評子(しょひょうし)の文に、次のようにあって、 これぞまさしく理科系の緻密な頭をした人たち自身が、その後の実験で、自分たちが驚くことに似た実験結果が出て、「あとで、心底びっくりし合う」という世界なのでしょう。 

 そのアマゾンの書評子は、次のように書いています。

「・・・・・ただし、著者がイギリス人作家ということもあり、細部を見れば日本の歴史認識に対する誤謬も見受けられる (関ヶ原の戦いの雌雄(しゆう)を決したのはリーフデ号の大砲だった、など) だが、大局的に見れば本書の価値をさほど損ねるものではあるまいと思われる 」

 です、と。日本で一番頭のいい読書人たちでも、この程度の理解力でずっと、日本史をやってきています。 だから、君だって、その優れた理科系の物理学者の頭脳で、歴史の本まも、これからどんどん書けますよ。

『さむらいウイリアム(・アダムズ)』(日本語訳 2005年刊 ) の p116 の ご指摘をどうもありがとう。この本の次の増刷のときに、空白ページのどこかに、「 その後、私は、以下の事実を知った」として、書き加えようと思います。 
 他の優れた読書人が、もうひとり、この事実を指摘してくれるのは、いつのことだろうか、と 待とうと思います。 

副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

From: “下條竜夫”
Sent: Wednesday, January 13, 2016 2:45 PM
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Subject: Re: 熱海に行ってきました

副島先生
CC:SNSIメーリングリスト

下條です。昨日おそく帰ってきました。
 先週は熱海でお世話になり、どうもありがとうございました。
 先生につくっていただいた、餃子と焼き豚、それとミカンジュース
はみな本当においしかったです。

訪問のおりに出た情報ですが、まず映画監督のスタンリー・キューブリックの告白については、ここにでています。

「月面着陸は捏造、私が撮影した」スタンリー・キューブリック

死後15年目の告白動画が話題! やはりNASAは月の秘密を隠している!?

http://tocana.jp/2015/12/post_8421_entry_4.html

 ちょっと見ましたが、本人かどうかはっきりとはわかりません。

 それから、リーフデ号の大砲については、ジャイルズ・ミルトン著『さむらいウイリアムズ』のP116にでています。 1600年の関ヶ原の戦いの箇所です。

<引用開始>

 リーフデ号の大砲が敵にどれだけの損害を与えたのか不明だが、
あるスペイン人の報告から、大砲はひっきりなしに敵の戦列にうち
こまれたことがわかる。

 それが事実であれば、砲弾は、刀を振り回している大勢の歩兵の
あいだに落ちて、多数の死傷者が出たことだろう。

<引用終了>

 この本の記述から 関ヶ原の戦いについてのスペイン人の報告書
が有ることがわかります。

下條竜夫拝

Sent: Tuesday, January 12, 2016 8:15 AM
SoejimaTakahiko(副島隆彦)
Subject: さむらいウイリアム

「 さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代 」
単行本 - 2005/10 原書房

ジャイルズ ミルトン (著), Giles Milton (原著),

24 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

歴史的事実の再認識

投稿者 junfan gung-fu 投稿日 2005/11/4

 主としてヨーロッパの今に遺る広範な資料を典拠に、客観的な叙述を貫いた労作である。タイトルからして、多分に小説的ドラマ性に寄り掛かった内容かと思ったがそうではない。万里の波濤を乗り越え、勇躍、海外に飛び出して行った歴史的事実としての『冒険商人』らの姿がここには活写されている。

 事実というからには、むろんきれいな姿ばかりではない。彼ら商人であり船乗りらは概して金に汚く、飲んだくれで好色、何かにつけ暴力的である。イギリス人同士の仕事をめぐる嫉妬と憎悪、あるいは貿易上のライバル、オランダとの事実上の血で血を洗う抗争など、日本を舞台にしたこれらのエピソードには、少なくとも教科書や映画では知り得なかった驚きを読者は感じることだろう。漂着というかたちであったにせよ。

 巨利を目論み、やって来たイギリス東インド会社の面々に先んじて日本で住み暮していた主人公ウィリアム・アダムズ(三浦按針)は、これら荒くれ者の目には、見なれぬ衣装を身にまとい、腰に大小を差すひとりの厳粛なる「さむらい」として、カルチャー・ショックの権化として立ち現れる。

 すでに10年以上日本で過ごし、日本人というより特権的武士階級としてのマナーを会得し、日本語も理解でき、家康、秀忠という二代にわたる時の最高権力者の信任も篤いその存在は、その後の平戸(ひらど)におけるイギリス人社会では波紋を漂わせつつも通商上、なくてはならぬ存在となる。

 国家体制そのものがますます閉鎖的になっていくこの国にあって、いつしかイギリスはオランダとの貿易競争に破れ、日本をあとにする。時おかず、その後、アダムズも55年の波瀾にとんだ生涯の幕引きを迎える。

 二度とイギリスの地を踏むことのなかったアダムズのこのあたりの経緯については、いささか唐突の感は否めぬが、本書の性格上、記録のあるなしに必然的に関わっているのだろう。その埋め草のつもりか、近世における欧州の東アジア貿易の実相についての記述はかなり充実しており、この点興味のない人は退屈するかも知れない。

 「鎖国」という言葉が頻用(ひんよう)されるのは、意外にも19世紀に入ってからだが、なるほど「国を鎖す」とは言え、オランダとの通交はあり、それ以前にもアダムズの故国イギリス、他とも経済的利益の共有は厳然としてあったわけである。

 「極東の島国」という表現は自己を卑下したわが国民独特の言い回しだが、そんなちっぽけな国が大航海時代の余波を歴然と受け、当時のヨーロッパ人に命を賭けてでもこの目で日本と日本人を見てみたい、と思わせしめていたという「歴史的事実」を知るだけでも、本書の意義は大きいといわざるを得ない。

 ただし、著者がイギリス人作家ということもあり、細部を見れば日本の歴史認識に対する誤謬も見受けられる(関ヶ原の戦いの雌雄を決したのはリーフデ号の大砲だった、など)だが、大局的に見れば本書の価値をさほど損ねるものではあるまいと思われる。

 三浦按人とイギリス商館
投稿者 アマゾン次郎 投稿日 2009/11/3
形式: 単行本
非常に興味深い作品である。

 ウイリアム・アダムスという名の英国の傑出した航海者の伝記である。彼は数奇な運命を経て徳川家旗本三浦按人となるのであるが、彼から見た徳川政権の黎明期における日本を見る、というのが読者の興味の焦点となろう。

 作品の半分は、平戸に設けられた英国商館のコックスとその周辺の人々、彼らは素朴、怠惰、貪婪な、どこにでもいそうな凡庸な人々であった、の数奇な人生、その大半は目まぐるしくも惨憺たる不幸に終わるのであるが、その著述に割かれている。

 これはこれで興味深いのであるが、西欧的実業的知識人であると共に、日本人以上に生真面目に生き、家康側近の旗本として甚だ濃密な人生を送ったアダムスの方が、日本人にとってはずっと魅力的である。その辺を知りたい読者は白石一郎氏の「航海者」の方がより詳細で面白いだろう。

 英国商館とオランダの当初の蜜月とそれに続く激しい抗争、それに巻き込まれる平戸の大名松浦法院(まつらほういん)、隆信(たかのぶ)親子の、はた迷惑な様子、更には英国、スペインの使者に、堂々たる日本の「王」として応対する徳川家康、秀忠、その周囲の諸侯の立ち居振る舞いなど、生き生きと記述され実に興味深い。

 アダムス死後、彼の遺言書、及びささやかな遺産が、英国に残された貧しい夫人に渡される経緯、それは強欲な東インド会社の尻を引っ叩かねば、危うく着服されかねなかったのではある。アダムスの細やかな心配りなど、時代を超えた人間的悲しみを今日に伝えるものである。

 戦国ものの歴史小説が好きな方へ
投稿者 あじあちっく 投稿日 2008/11/12
形式: 単行本
 
 江戸時代初頭に日本にやってきたウィリアム・アダムス(三浦按針)を始めとする、イギリスの冒険商人(ぼうけんしょうにん)の数奇な人生や、彼らと日本人との交流の様子を、彼らが残した日記、手紙、また当時公刊されたヨーロッパ人の日本見聞録を基に描き出した歴史読み物。

 なんと数行に1回は史料から括弧書きの引用を挿入して、史実に忠実であろうと勉めている。それでありながら、なおかつイギリス人らしいユーモアやウィットを随所に散りばめて、とても読みやすく楽しい物語に仕上がっている。

 本書には、大航海時代の苦難に満ちた外洋航海の具体的情況や、荒くれ者が多かったヨーロッパの船乗りや冒険商人の気風、それに加えて日本の支配者たちが、自分の一存で領民を即時処刑することや、その遺体をばらばらになるまで試し切りする武士など、戦国時代の気風が色濃く残る当時の日本の世相が、1600年のアダムスの日本漂着から、1623年のイギリス東インド会社の日本撤退までの期間を中心に生き生きとした文章で描かれていて、歴史小説好きの読者にはたまらない一冊です。

 ウイリアム・アダムスの生きた時代背景を活写!
投稿者 katarin VINE メンバー 投稿日 2013/11/25
形式: 単行本 Amazonで購入

 私は、だいぶ前に白石一郎著「航海者」を読んでウイリアム・アダムスを知った歴史の門外漢です。 三浦按針の名前は、一般的な知識としては知っていましたが、どこのどんな人かも知りませんでした。

 読後、私が行ったアメリカの観光地で、居合わせた人に「按針さんを知っていますか?」と聞かれました。その人はイギリス人の観光客だったのでしょう。 こんなところで、アダムスのことを訪ねられるとは思ってもいなかったので、かの国では有名なのでしょうか?

 この著作は、内外の膨大な資料を基に、アダムスを中心に当時の欧州の力関係、カソリックとプロテスタントとのすさまじい確執などの狭間で翻弄される、冒険者たちの物語といってもよいでしょう。

 2年に及ぶ航海の様子は、「航海者」の迫力に及ぶべくもありませんが、イギリス東インド会社の描写をはじめ、イギリス商館とオランダ商館の幕府への仲介や新教と旧教のつばぜり合いなすど、アダムスと彼の生きた時代を生き生きと描いており、大変に読み応えがあります。

 アダムスの最期の描写は、涙を誘います。はるかイギリスから日本にたどり着き、功成り名を遂げたイギリス人の万感の思いがうかがい知れ、涙を誘います。

 当時の日本の残忍な処刑の描写が頻出しますが、外国でも斬首や絞首刑、火あぶりなど公開処刑が一般的でだった時代もあったはず。それは中世までだったのでしょうか? 当時の東洋貿易に関する情報に富んだ興味深い著作です。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝