[1844]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/12/25 13:59

  何故、柿本人麿は石見国で下級官吏として亡くなった、と信じられているのか。

 上の設問に対する答えは、簡単である。『万葉集』自身が、人麿は奈良遷都以前に、岩見国の鴨山で亡くなった、と述べているのだ。
 『万葉集』第二巻、〔223〕~〔227〕の五首の歌とその題詞から人麿の死亡伝説は創られている。それらの歌と題詞を次に掲げる。

    柿本朝臣人麿、石見国にありて死に臨む時、自ら傷みて作る歌一首

  鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ〔223〕

 (大意)鴨山の岩根を枕にして横たわっている私を、そんなことも知らずに妻は、いつ帰ってくるかと待ち続けているのだろう。

    柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)の作る歌二首

  今日今日(けふけふ)とわが待つ君は 石川の貝に(一に云う、谷に)交りてありといはずやも〔224〕

 (大意)今日か今日かと私がお待ちしている貴方は、石川の貝に(一に云う、谷に)交じっているというではありませんか。

  直(ただ)の逢ひは逢ひかつましじ 石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ〔225〕

 (大意)直接お逢いする事はもう叶わないのでしょう。石川のあたりに雲を立ち昇らせてください、それを見て貴方をお偲びしましょう。

    丹比真人、柿本朝臣人麿の意(こころ)に擬して報(こた)ふる歌一首

  荒波に寄りくる玉を枕に置き われここにありと誰か告げなむ〔226〕

 (大意)荒波に打ち寄せられてくる玉を枕辺に置いて、私がここにいると、誰が家のものに伝えてくれるのだろう。

    或る本の歌に曰く

  天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野に君を置きて 思ひつつあれば生けるともなし〔227〕

 (大意)都を遠く離れた荒れ野にあなたを置いて、いつも思っていると生きた心地もしません。

 この五首の歌と題詞から、人麻呂の死亡伝説は創られている。つまり、石見の鴨山で死んだ人麿は、石川の畔に運ばれ、荼毘にふされ、石川に散骨されたのだと。妻は、その荼毘の煙りを見て人麿を偲んだのだと。
 しかし、この物語には都合が悪い点がある。〔226〕の丹比真人の歌と〔227〕の或る本の歌の存在である。
 〔226〕は、〔223〕の人麿臨死の歌の直前に置かれている「讃岐の狭岑島(さみねのしま)に、石の中に死(にまか)れる人を視て、柿本朝臣人麿の作る歌一首並びに短歌〔220~222〕」の反歌とすると、ピッタリするのです。
 また、〔227〕の或る本の歌も、〔207~216〕の「柿本朝臣人麿、妻死(みまか)りし後、泣血哀慟して作る歌」の反歌とするとピッタリする。
 これは、『万葉集』の編者が、人麿の生と死は、〔207〕の人麿の妻が亡くなった時に、泣血哀慟して作った歌から、〔227〕の或る本の歌までの連続の中で考えるよう示唆しているのではないか、と私は受け取ったのです。それで、〔207〕の歌から丁寧に検討してみます。どのような人麻呂像が浮かび上がるか。
 以下次回。